20170820(日曜日:曇)

休暇村支笏湖です。緑が一杯です。もう何度訪れことでしょうか。

■今朝は走りました。日曜日ですし、暑さも峠を超えましたので、本当なら高野コーチの言うLSD、しかも最低2時間から3時間走をしなければいけないのです。でも、そこまで元気が出ません。ということで、今朝は一時間走で済ませました。

10.39km を走り、これで今月は総計 73.26km を積み重ねました。あと 27km 弱が残りました。今月は、当然のことながら暑い日が続きました。夜も熟睡しにくい日が続きました。それでも少しずつ積み重ねることができるようになったのは大いなる進歩です。

■昨日は静岡で県眼科医会の集談会。飯田会長が今の任期で退任されるとのこと。災害時の体制、マニュアルを構築されるなど、静岡県としての懸案事項を解決された手腕は見事でした。紳士ということばが本当にピッタリの先生ですが、自分はあまりお役に立てなかったのが、申し訳ない思いです。

■さて昨日は帰ってきてホッとしながら、テレビを何気なく観ていると、甲子園での激闘を放映していました。仙台育英と大阪桐蔭高等学校の試合は、まさに劇的としか言いようがありませんでした。私が観始めたのは、ちょうど九回裏二死ランナー一塁、二塁でショートゴロが打たれた場面。一塁手がキャッチして試合終了かと思いきや、脚が離れてセーフの判定。

 0-1 で迎えた9回裏、2死満塁。それまで無得点に封じられていた相手の先発右腕・柿木(2年)の投じた1ストライクからの真ん中低め直球を叩くと、打球はセンターを越えた。一気に2者が生還するタイムリー二塁打。センバツVチームからサヨナラ勝ちでベスト8進出を決めると、甲子園を地鳴りのようなどよめきが包んだ。

と、なりました。9回ツーアウト、ランナー無しの場面からの逆転劇。本当に最後の最後まで何があるか分かりません。こんな場面を観ると思い出すのは、やはり箕島高校の大逆転劇です。

箕島対星稜延長18回(みのしまたいせいりょうえんちょう18かい)は、1979年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第61回全国高等学校野球選手権大会の3回戦における和歌山代表・和歌山県立箕島高等学校(以下、箕島高校、箕島)対石川代表・星稜高等学校(以下、星稜高校、星稜)の試合を指す。

延長18回、試合時間は3時間50分の熱戦で、劇的な試合展開故のテレビ中継における視聴率の高さや関連する書籍も多く、高校野球史上最高の試合とされる。

私が覚えているのは、延長16回裏の箕島高校の攻撃です。

簡単に二死。続く森川の打球は一塁ファウルグラウンドへ高く打ち上がり、試合終了かと思われたが、一塁手・加藤のスパイクがこの年から敷かれた人工芝の縁に引っかかり転倒したため捕れず。これにより命拾いした森川は、カウント2-1から左中間スタンドへ同点本塁打を放つ。実況を担当していたNHKの内藤勝人アナウンサーは「奇跡としか言いようがありません。」と、朝日放送の植草貞夫アナウンサーは「甲子園球場に奇跡は生きています!」との言葉を発した。

この場面は一生記憶に残るでしょう。その後、何度も放映されました。いまならユーチューブで、いつでも観ることができます。このビデオを観て一番心に残るのは、自らの落球のためにチームが勝利をのがした加藤一塁手の、その後です。つらい時期を過ごしたのでしょう。自殺した、というデマも流れました。両校の親善試合はその後も続いているようですが、ある年の親善試合で、最後のバッターが箕島の尾藤監督。一塁フライを打ち上げ加藤選手が取って、星稜高校OBチームの勝ち。尾藤監督が、

今日のヒーローは加藤だ、これから人生勝利者になれるから頑張れや!

と、励ましたのです。それから加藤選手は少年野球の監督を始めたそうです。尾藤監督という人間の素晴らしさを物語る逸話です。こうしたドラマが尽きないところに人々は惹きつけられるのでしょう。