20180321(水曜日:雨、強風)
■今日は春分の日。昼と夜の長さが、ほぼ等しい一日です。「国民の祝日に関する法律」には、「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日と定められています。どこの国でも、どの文明でも、昼と夜の時間が等しくなる日は、とても大切にしています。
火星に人間を送ろう、という計画すらある現代に生きる私たちは、過去の文明を軽視しがちですが、古代に生きた人々は我々よりもずっと自然と対話しながら生きていたに違いないのです。
マヤ文明の天文学的知識の凄さは、まるでミステリーのようです。科学によって得たものは、もちろんとてつもなく大きいのですが、同時に失った感覚、感受性も大きいに違いありません。
■今朝の東京新聞文化面の記事、「象徴のうた 平成という時代」はいつもながら読み応えがあります。歌人で細胞生物学者の永田和宏さんが書かれています。
今日の内容は、国民のために「為す」です。
平成八年の歌会始での皇后陛下の歌、
日本列島田ごとの早苗そよぐらむ 今日わが君も御田(みた)にいでます
を取り上げて、平成の30年は「象徴」とは、どうあるべきかを今上天皇が自ら模索続けた30年だったのではないか、と永田さんは位置づけています。そして、こう書かれています。
それは常に「国民のために何ができるか」という、「成すこと」を基盤においた発想以外のものではなかった。
ーーー「在ることによる象徴から、為すことによる象徴」への模索の一つの形だったのだと私には思われるのだ。
そして、最後にこう永田さんは語られています。
それ故に、体力的な衰えの自覚が、退位の決意へとつながるのは必然でもあった。退位表明の「お言葉」に対して、天皇は皇居でじっと祈ってくれれば十分だという〈有識者〉がいたが、それは平成の天皇による新たな「象徴」像の確立を無視した発言であったと言わざるをえないだろう。
なるほど。こうして分かりやすく解説してもらえると、平成天皇が、ぐっと身近な存在となってくることを体感できるのです。
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