2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2018年11月 Page 2 of 4

ユーモア

■20181121(水曜日:晴れ)

 

川口市の妙仙寺です。

 

■今朝は走りました。 いつものコースを走り、6.10km を積み重ね、総計70.39km 残り9日で 29.60km となりました。今朝は珍しくタイムが、40分を切りました。キロ6分30秒を切って走りきることができました。いつもより少しペースが速いかな、と自分でも思いながら走っていましたが、走り終わって記録を見ると、そのとおりでした。

 

昨日は札幌でようやく雪が降りましたが、記録的な遅さだったようです。ネットによれば、

 

北海道上空に寒気が入った影響で、札幌では 20 日、初雪を観測した。統計開始以来、最も遅い記録となった。

北海道上空に 12 月上旬並みの寒気が入り込んだ影響で、札幌で午前 0 時 50 分ごろに初雪が観測された。札幌の初雪は統計開始以来最も遅い 1890 年(明治 23 年)と並ぶ記録となった。

 

今朝は静岡も一桁台の冷え込みでした。フリースを着込み、走り始めました。考えていみたら12月の2日にお伊瀬マラソンを走らなければなりませんので、その前三日間は休息が必要です。となると、走るのは28日の水曜日まで、となります。最後の二日間での積み上げできませんので、それまでに100キロを走る必要が有ることに、昨日気づきました。23日の休日に、少し長めに走り込む、つまりはLSDを敢行する必要がありそうです。

 

■今朝の東京新聞、平成の言葉欄には、落語家 立川談志さんの言葉が紹介されています。

 

ユーモアは客観的に己が分かること。

 

なるほど、確かにそのとおりだと思います。そして、それはとても難しい。自分の事が一番分かりそうなものなのですが、客観的に自分を見つめることを、どこかで阻むものがあるのです。面倒くさいのか、辛いのか。分かっちゃいるけど、できないのです。傍目八目ではないですが、他人の事は、よく見える。

 

そこを突き抜けて、己を見つめることができると、そこにユーモアが生まれるのでしょう。客観的に自分を見つめて、自分を笑えるようになったら、少しは近づけたのかもしれません。

 

 

驚き

■20181120(火曜日:晴れ)

 

川口市の妙仙寺から見た現在のマンションです。ここに昔は団地がありました。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。明日に向けて休養です。しかし昨夜は驚きました。日産のゴーン会長が逮捕された、という報道です。上を下への大騒ぎ、とはこのことでしょう。何しろ日産のゴーンさんといえば、泣く子も黙る経営者だったからです。潰れるかもしれない、と言われていた日産自動車をV字回復させました。しがらみがなかったのが幸いしました。日本人経営者には、なかなかできない荒業でした。

 

会社の資金の私的流用と所得隠蔽が容疑のようですが、真相はどうなのでしょうか。しばらくは、この件でマスコミは大騒ぎでしょうから、他の問題が蔑ろにされそうです。ほくそ笑んでいる人々、特に政治家の皆さんの顔が浮かんできそうです。

 

どちらにしても、どんなに優秀な人でも、長く同じ地位にいると腐敗してくるのでしょう。知らず知らずのうちに。それは人間の性ですから、致し方ありません。そう考えると、憲法がうたう三権分立とは、究極の腐敗防止策なのでしょう。日本では、あまり適切に機能しているとは言えない面が多々ありますが。

 

■そう考えると、あの世界一の大富豪ビル・ゲイツ氏の生き方は他者には真似できません。1955年生まれですから私より二つ年下。

 

2006年6月15日の記者会見にて、2008年7月にマイクロソフトの経営とソフト開発の第一線から退き、「ビル&メリンダ・ゲイツ財団 (B&MGF)」の活動に専念すると発表した。

 

とありますから、現在は慈善事業に専念しています。ロータリークラブが進めているポリオ撲滅運動にも多額の寄付をしてくれています。死後50年経っても忘れられることのないのは、ビル・ゲイツであって、スティーブ・ジョブズではない、という人がいます。どちらも素晴らしい業績を残したのですが、その違いは慈善事業の有無だ、というのです。

 

なるほど、一理ありそうです。平々凡々の一市民であっても、自分の人生を、どう生き、そして始末をつけるかは、一生の課題に違いありません。

 

 

prezi

■20181119(月曜日:曇)

 

 

 

 

■今朝は雨かと思いきや、曇り空で暖かな朝でした。おかげで5時に起き出して走ることができました。6.09km を走り、総計 64.28km 残り11日で 35.71km となりました。目標ラインを少し上回っている計算です。でも油断大敵。怪我をしない、風邪をひかないように注意しないといけません。

 

■先日ロータリークラブの例会で、モンゴル出身の米山奨学生親善大使の方が卓話をされました。その時プレゼンに使用されたのが、Preziでした。新しいプレゼンソフトです。プレゼンソフト言えばマイクロソフト社のパワーポイントが定番です。パワポと省略されます。もちろん、それはそれで使いやすくて素晴らしいのですが、今の時代には味気ないのです。

 

Prezi のプレゼンを受けた時は、ちょっと驚きました。平板なスライドが次から次へ提示されるパワポにすっかり慣れている私には、とても新鮮に思えました。

 

Prezi(プレジ)は、全世界で8000万人のユーザーを持ち、米国企業の売上高上位500社の75%で採用されている新感覚のプレゼンテーションツール。

サービスを提供するPrezi.Inc は、2009年にブダペストで創業し、現在はサンフランシスコに本社オフィスを置き、全世界にサービスを提供しています。

 

とネットには記載があります。私も以前、何かの記事で読んだ記憶があったのですが、何だか面倒くさそうで、試してみるのを止めました。でも先日のデモを見て、これは取り組む必要がある、と再認識しました。次回のプレゼンの予定は、東部眼科医会役員会ですが、これはさすがに定番の方が分かりやすそうです。ということで、その次の沼津西ロータリークラブでの、ベトナム支援の旅の報告で、みんなには知らせずこっそり勉強して、少し驚かしてみようかと思っています。

 

 

適応

■20181118(日曜日:晴れ)

 

川口市の妙仙寺です。

 

■今日は新沼津カントリークラブのBクラスの月例です。今年の3月にAクラスからBクラスに陥落して、年を越そうとしています。24からスタートして、優勝、準優勝を重ねてAクラスに上がったものの、今の実力では復帰するのは至難の業になってしまいました。歳を重ねて体がいうことを効かなくなってきたのでしょう。桑田泉プロのレッスンを見ながら、自分なりに理に適ったフォームを作り上げようと思ったのですが、いかんせん練習不足です。

 

今日はインスタートでしたが、二番目のホール11番ホールで、なんと3発続けてOBを打ってしまいました。フォーム改造が裏目に出ました。それでも振り切る、ヘッドを回す、という桑田プロの指導は、とても納得のいく説明でしたので、諦めずに続けていると、次第にナイスショットも出てきましたし、飛距離も伸びたように思います。

 

しかしゴルフは足元が、毎回毎回異なる条件で打たなければなりません。つま先上がりだったり、逆につま先下がりだったりします。条件が全く異なります。それでもしっかりとボールを捉えなければいけませんが、フォームが固まらないのに条件が変わるのは大変です。とんでもないところに飛んで行くこともありました。まぁ、あとは練習あるのみです。

 

 

 

ソフトウェア

■20181117(土曜日 晴)

 

住んでいた団地の道路越しにあったお寺。妙仙寺。懐かしい思い出がいっぱいです。

 

 

■今朝は走りました。いつものように5時に起きて準備を始め5時半頃から走り始めました。いつの頃からか5時半でも真っ暗な状態になっています。LEDの少し明るめのペンライトを持って走っています。真っ暗な中で走るのは、とても危険なのです。自分が運転している立場だと、よく分かります。

 

いつものように 6.13kmを走り、総計 58.19km 残り13日で 41.80km となりました。キロ6分31秒は悪くありません。体調が良かったのでしょう。月曜日は天候が崩れるようですから、来週は火曜日から、さらなる積み重ねを予定しています。

 

帰ってきてから朝食をとりましたが、今日は最後のスイカの一切れを食べました。これでスイカも完全に終わりです。夏の間、走った後のスイカは最高のご馳走でした。さすがに今の気候ではスイカのありがたみも夏とは比較になりません。また来年の夏まで、あのスイカの美味しさはおあずけです。

 

朝食も終えて、いつものようにランニングウォッチをパソコンにつなぎ、今朝走ったデータを掲載しようとしたのですがWiFiが繋がっていないことに気づきました。時々へそを曲げてルーターが機能しなくなります。ルーター自体の故障というよりも、それより上流にある、もう一台のルーターが接続不良になることがあるのです。受付の机の下に設置してあるのですが誤ってコンセントを外してしまうことも起こるのです。色々な書類や荷物が積み重なっているのがいけないようです。今こうしてブログを更新できているのは、スマホのLINEモバイルの回線を利用しています。普段は家庭内のWiFiを利用していますので、LINEモバイルの電話回線はほとんど使用していません。携帯電話で電話のやり取りをすることは、ほとんどありませんので、LINEモバイルの回線料は月に何と1000円程度です。携帯電話に月に1万円も2万円も払ってる人がいるなど、私には信じられません。

 

■さて東京新聞の社説欄には今までと異なる紙面構成が組まれています。今までの社説の欄が少し削られて、その分新しい連載記事が始まっています。「IT強国 中国で考える」という内容です。いまだに中国はモノマネだけで世界の工場として製造していると思っている人が、日本には多いようですが、それは明らかに時代錯誤です。全ての面で日本を追い越したというのは、もちろん誤りですが、IT特にソフトウェアの面では日本よりも先を走っている分野が多いのです。ソフトウェアの分野における日本の立ち遅れを危惧する指摘が識者の間でかなり多くなっています。日本に優れたソフトウェア技術者がいない訳では勿論ないのですが、社会全体としてソフトウェアに関して評価が低いというのは間違いがないと思います。プログラムばかり組んでいる、いわゆるオタクっぽい人という偏った見方がソフトウェア技術者に対して持たれているのは間違いありません。ハードウェアが重要なのはもちろん言うまでもありませんか今やITの生死を決めるのはソフトウェア部門なのです。

 

人工知能AIを始め、アメリカ、そして中国では莫大な予算を組んでソフトウェアの開発に投資しているのです。例えばappleといえばiPhoneを発売しているハードウェアの会社と思いがちですが、実はアップルでは1台の携帯電話も製造していません。製造は全てを中国に委託しているのです。世界的に知られた電子機器委託製造会社であるFoxconnに製造させています。トランプ大統領がアップルに対して中国で生産などせずにアメリカで生産しろ、という苦情を述べていますが、アメリカでは製造するのは無理なのです。それは決してコストの問題だけではなくて、様々な部品を揃えてそれを一つの製品に作り上げるまでの広い裾野が中国にはあるのです。今やITの分野における製造のメッカは、中国の深センになっています。

 

アメリカではITの先端企業としてGAFAという言葉がありますが、中国ではそれに匹敵するのがBATと言われています。この三つの会社はいずれも深圳に本拠を構え、まさにしのぎを削っているのです。中国政府のやり方には色々な批判もありますが、私は好意的に評価しています。つまり後発国として自国の産業を保護しなければ全てアメリカ企業に支配されてしまいます。例えば検索部門ではグーグルのひとり勝ちの状態ですが、中国では異なっています。中国ではbaiduと呼ばれる会社がナンバーワンなのです。そんな国は他にはないはずです。中国政府の保護政策の賜物です。なにしろ中国国内だけで13億人の人口がある訳ですから十分巨大な市場なのです。

 

今日の連載の題名は、「行き渡る指導者の号令」です。中国版グーグル百度(バイトゥ)では、今一番力を入れているのが、人工知能( AI )。

 

AIとビッグデータ。この活用が中国経済の最大テーマだ。習近平国家主席が経済分野などで唱えている「改革を進化させなければならない」という指示だ。

 

記事の最後に、こう書かれています。

 

杭州のスーパーで特産品の龍井茶を買おうとクレジットカードを出した。レジの若い店員が「これなに。初めて」と不思議そうにカードを眺め、慣れぬ手つきで決済した。スマホ決済が一気に広がり、現金はおろかクレジットカードまで忘れられている。ライバルの変化は恐ろしく速い。

 

そうなのです。まさに中国は、日本の7倍のスピード、ドッグイヤーで進化しているのです。

 

 

 

 

北方領土

■20181116(金曜日:晴れ)

 

アーバンハイツ飯塚三丁目二号棟です。この場所に私達家族の住んでいた団地があったのです。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。次第に最低気温が一桁になる日が増えてきました。先日は北海道で初雪を観測しましたが、観測史上2番目の遅さという場所もあり、それだけ暖かい日が続いてきたということです。確かに日中なら半袖で良い日もありましたから、この時期としては暖かい日和なのでしょう。それだけに一旦冷え始めると寒さが骨身にこたえます。さすがに厚めの羽毛布団までは、まだ必要ありませんが、そろそろ準備をしておかなければいけないようです。

 

■さて東京新聞、今朝の朝刊の「本音のコラム」掲載欄では、「2島プラスアルファ」と題して佐藤優さんが解説されています。 佐藤さんの主張の骨子は、「北方領土問題に関して、政府は立場を変更すべきだ」です。さすがは佐藤優さんです。短い紙幅の中で分かりやすく解説されています。覇権放棄を邁進するトランプ大統領の出現で、世界は大きく変わろうとしています。過去を振り返り、私達も冷静に判断すべきではないでしょうか。

 

北方領土問題に関して、政府は立場を変更すべきだ。1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約で日本は南樺太と千島列島を放棄した。当時の日本政府は、放棄した千島列島に南千島、すなわち国後島と択捉島は含まれているという立場をとっていた。ソ連はこのサンフランシスコ平和条約に署名していなかったので、この条約には拘束されない。1955年から56年の日ソ国交回復交渉が始まってから、日本は放棄した千島列島に国後島と択捉島は含まれないという主張をし始めた。1945年8月にソ連は当時有効だった日ソ中立条約を侵犯して日本との戦争を開始した。国民感情に照らせば、国後島と択捉島を日本が要求するのは道理がある。それと同時に日ソ国交回復交渉は行われた時期は東西冷戦下だった。米国が沖縄と小笠原の施設権を日本に変換していない状況で、ソ連が 歯舞群島と色丹島の返還に応じたら、国内で親ソ感情が高まり、共産主義の影響力は拡大する可能性があった。だから、ソ連側がのめない択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の四島一括返還という立場を取った。

冷戦は終わった。そろそろ日ソ共同宣言に基づいて、歯舞群島と色丹島を日本の主権下に置き、国後島と択捉島についてはロシアの主権を認めた上で日本人が自由に往来できる二島プラスアルファで北方領土問題を解決すべきだと思う。

 

 

 

クラスのヒーロー

■20181115(木曜日:晴れ)

 

川口市立西公民館です。かつては一等図抜けた存在でした。

 

■今朝は走りました。昨夜は敷布団を夏向けのものから暖かめのものに変更しました。そのおかげかどうか熟睡できたように思います。結局は寒くて眠れなかった、ということでしょうか。今朝も5時に起きて準備をし走り始めました。冷え込みが進み気温も10度を切ったようですのでフリースを着て走りました。2日前 10 km を走りましたので少し疲れも残っていたためか体が重くてペースが上がりませんでしたが、それでも無事に6.05 km を走り、エプソンのホームページにランニングウォッチをつなぐと、パソコンが今月の累積距離が50 km を超えました、おめでとうございます、と告げてくれています。月の半ばで52.06 km ですので、残り15日で47.93 km のところまで到達しました。まだまだゴールは遠いようです。

 

■日曜日に出席した中学時代の同窓会の様子です。卒業してからほぼ半世紀の時間が経ちました。集まったのは技術・家庭の先生だったIketeru先生の担任のクラスでした。先生自身、人望のある方でしたし、クラスの中で面倒見がよくマメな仲間がいるおかげで、これまで何度も同窓会をすることができたに違いありません。私は数学の先生であったTakebe先生の3年4組でしたので、残念ながら2組の皆さんとは交流は、あまりありませんでした。今では先生は大宮にお住まいとのことで、クラス仲間の1人がお酒が飲めないとのことで運転手代わりを務めているようです。車で先生の家まで伺い先生を乗せて川口の会場まで連れてきてくれました。先生は来年で米寿とのこと。88歳になられるわけです。もちろん耳は少し遠くなられていましたけれども、声もよく通り、きちんとお話をされる姿には、さすがだと思いました。

 

 

7名出席していた女性の中には、私が所属していたテニス部のメンバーもいました。その方から私もテニス部だったのよ、と言われたものの、私自身ほとんど覚えていないことに驚きました。部員だけで20名ほどいたと記憶しているのですが、覚えているのは4,5名にすぎません。さらに、なぜか女性は一人も覚えていないのです。当日出席されていた7名の女性の中で記憶に残っている方は一人もいませんでした。

 

 

改めて気づいたのは、各クラスにはそれぞれヒーローがいた、ということです。2組のヒーローはKitahara君でした。成績も良く、話も上手で、しかも今で言うと韓国のアイドルグループのメンバーのような顔立ちだったのです。つまりは非の打ち所がない生徒だったのですから、人気がないはずがありません。 今でも川口に住んでいるようで出席されていた仲間も時々街で彼を見かけるとのことでした。私の覚えている彼は、まさにアイドルグループのメンバーのようでしたから、半世紀経って、どんな風になっているのか興味津々といったところです。残念ながら当日、彼は出席されませんでした。

 

 

蝉取り

■20181114(水曜日:曇)

 

かつてこの辺りは燃料研究所、燃研があり、迂回しないと家までたどり着きませんでした。

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜は10時過ぎにはどこに入り、いつものように Kindle で「サピエンス全史」の再読をしました。これで3度目です。この本は何回読んでも新たな発見があり、飽きることがありません。少なくとも15万年前には東アフリカに現れたであろう私たちの祖先がどのような経過を経て、現在この地球に存在する唯一のホモ属となったのか。その歴史をわかりやすく語っています。

 

10時半頃でしょうか、読書もやめて寝入ろうしたのですが、なかなか寝付けません。なぜ寝付けないのか訳が分からずに、あれこれ思い悩む時間を経たのですが、やがてひょっとしたら寒くて寝付けないのかなと気づきました。薄い毛布を掛け布団の上からかけてみました。これが正解でした。ここのところ暖かな夜が続いたので、寒くて寝付けないなどとは、まさに夢にも思いませんでした。昨夜のテレビの天気予報では、寒気の南下に伴って、北海道の宗谷地方では平野でも雪が降る可能性がある、とのことでした。きっと吹雪いているのかもしれません。数年前にSunと一緒に8月の末に宗谷岬を訪れた時には、日が暮れ始めると、もう寒いのです。その夜泊まった民宿には、なんとストーブが置いてありました。さすがにストーブを使うことはありませんでしたが、その違いには驚くばかりでした。

 

■さて先日訪れた川口での中学校同期会のことです。こうへいちゃんとの待ち合わせまで1時間ほどありましたので、川口駅西口から以前住んでいた団地跡地まで、ゆっくりと歩いてみました。50年前には川口駅西口から歩き始めると燃料研究所、私たちは「ねんけん」と呼んでいましたが、その大きな敷地の中を通れないために、かなり迂回しなければなりませんでした。 現在では「ねんけん」は無くなってしまい、区画整理が進み、駅前からの道路は一直線に西に向かっています。 昔は家に帰るのに、どんなに急いでも10分以上かかりましたが、今ではその半分でたどり着くことができました。

 

途中、川口市立西公民館の建物を見つけました。50年前には周囲に高い建物がありませんでしたので、とても大きな建物だった、と記憶していたのですが、今ではひっそりと建っているに過ぎません。あの当時、鋳物工場を別にすれば、高い建物といえば、この市民会館と、私たちが住んでいた三階建ての公営団地ぐらいしかなかったのです。

 

団地跡地に着いたのですが、今では3階どころか、10階以上はあろうかと思われるマンションが建っていました。 道路を隔てて北側にあった、当時とても大きく思えたお寺は、今ではビルの谷間に隠れるように残っていました。妙仙寺です。 境内に入ってみました。子供の頃、夏休みになると毎日のように蝉取りに出かけたものです。天にまで届くのではないかと思えるほどの大きな木に思えたのですが、先日訪れてみると、意外なほどにこじんまりとした木でした。

 

50年後

■20181113(火曜日:曇)

 

川口総合文化センター リリアです。

 

■今朝は走りました。昨夜は何度も目が覚めてあまり熟睡感が得られなかったのですが目標達成には、そろそろ積み上げが必要になってきました。昨夜は雨音が何度も聞こえましたので結構雨が降ったようです。目覚ましの音で起きた時には雨音は聞こえませんでしたので、もう雨は上がっているだろうと思い準備を始めました。雨のおかげか幸い冷え込みはゆるく、起き出すにもそれほど辛くはありませんでした。着替えの準備は昨夜のうちにしておきましたので、生ゴミのビニール袋を持って玄関を出ました。結局今日は10.78 km を走り、これで今月は総計46.01 km 残り17日で53.98 km となりました。パソコンが教えてくれる目標ライン13日目を、やっと超えました。 最初の2 km から3 km は体が温まっていないせいか走り方もぎこちなく、一向に足が前に出ませんでした。3 km を過ぎてくると、ようやくスムーズに進むことができるようになり心地よく走ることができました。

 

今月は何かと会議が多いひと月です。今月が無事に終われば、来月は忘年会などはあるものも、自分自身で準備をしなければならない会議はありませんので、今月が最後の山場です。

 

■日曜日に参加した中学校の同窓会ではほぼ50年ぶりに同級生に会うことができました。 私たちが中学校を卒業したのは1969年昭和44年ですから、ほぼ半世紀となります。今回私は卒業後初めて再会しましたので、ほぼ50年ぶりとなります。オーヘンリーの短編に20年後という作品があります。とても有名な作品ですのでお嫁になった方が多いと思います。 Wikipedia によれば、

 

ボブとジミー・ウェルズはある場所で20年後に再会する約束をした。ボブが待っていると夜中に巡回中の警察官がやってきて、ボブはジミーとの約束や西部での成功体験を語る。警察官が去った後、 ジミーと思しき背の高い男が現れ、2人は共に歩き始めるが、明るい場所に出たところでボブは背の高い男がジミーではないことに気付く。背の高い男の正体は警察官であり、指名手配されていたボブを逮捕しに来たのであった。

 

警察官がボブに手渡した手紙から、最初に現れた警察官がジミーであり、ボブが指名手配犯であることに気付いたが自身の手で旧友を逮捕したくなかったため、別の私服警官を派遣したことが明かされる。

 

私たちの再開はほぼ50年ぶりですから、この作品の中の二人の出会いの倍以上の年月が経っているわけです。会場の料亭二階の部屋に入った時、女性7名男性12名ほどが参加していたのですが、こうへいちゃん以外の出席者の顔に見覚えは全くありませんでした。まさに浦島太郎の心境でした。

 

 

 

 

 

憧れ

■20181112(月曜日:曇)

 

川口駅西口から見た東口の様子です。

 

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。2日続けて朝走りましたし、昨日は埼玉県川口市で行われた中学校時代の同窓会に出席し2次会に行ってカラオケまでしましたので帰宅が遅くなりました。月100 km 走の目標達成までは、まだまだ遠いのですが、ここは一回ゆっくり休み、また明日からの積み重ねをすることにしました。

 

 

■昨日はゴルフを欠席してまで出席することにした、同窓会に出席するために、まずは原駅 9 時 39 分発の電車に乗って三島駅まで行き、新幹線に乗り換えました。ちょうど三島駅に止まるひかりに乗れたのは良かったのですが、超満員で自由席では座席が一つも空いていませんでした。こんなことは初めてでした。急ぐ旅でもなかったので、こだまにすれば良かった、と後悔しましたが、良い勉強になりました。新横浜駅までは立ちんぼでした。

 

 

京浜東北線で川口駅まで行き予定通りたどり着くことができました。Kouheiちゃんとの待ち合わせまで、1時間近く時間があったので駅から歩き始めました。西口で降りて一直線の道を歩き始めました。幅があり、ゆとりのある歩道を歩きながら、かつて住んでいた団地のあった場所に向かいました。途中、川口市立西公民館を発見して驚きました。昔、家から駅に向かうときに歩いて5分ほどの所にあったとても大きな建物だったのです。ところが今では周りに高層ビルが建ってしまい、目立たない存在になってしまったのです。もちろん昔のままではなく、何度か建て替えられたに違いありません。それでもあまりの目立たなさに拍子抜けがしたほどでした。

 

 

以前団地として住んでいた場所に、その後に建った高層マンションを写真に収めました。マンションの前の道路を挟んで建てられたビルには、医療モールがあり、整形外科小児科、そして皮膚科が同じビルの中に開設されていました。団地に住んでいた頃、3歳頃から19歳までですが、二階の窓から道路越しの風景をよく見たものです。その頃には、まだ畑があり、キャベツを栽培していて、モンシロチョウが湧くように飛んでいたことを覚えています。そして、その医療モールの横の細い横丁を入っていくと妙仙寺というお寺がありました。小学校の頃、夏休みにはこの寺の境内で山ほど蝉を取ったことをよく覚えています。

 

 

その横丁で、映画の撮影が行われたのです。吉永小百合さんの映画です。キューポラのある街でスターになった吉永さんが、浜田光夫さんとコンビを組んで撮影されていたシリーズ物でした。妙仙寺の塀の上に登って、たくさんの野次馬に混じって撮影風景を見ました。はっきりと脳裏に焼き付いています。

 

 

さて、街をぶらぶら歩き荒川の土手の方へ向かいました。ある交差点にたどり着くと標識がありました。浮間ゴルフ、こちらと書かれてあったのです。ゴルフハウスは荒川の土手の手前にあり、土手を越えて荒川の河川敷にゴルフコースが広がっています。階段を上り、土手まで登ってみました。

 

 

土手に登って真西の方向を見ると、そこには母校、川口市立西中学校はあるのです。残念ながらそこまで行く時間がありませんでしたので、荒川沿いの写真を東西にわたって何枚か撮りました。東の方向を見れば、京浜東北線の走っている鉄橋が見えるのです。その風景は映画「キューポラのある街」でも登場しています。

 

 

時間も押し迫ってきましたので、慌てて土手を下り、また駅に向かって歩き始めました。駅へ向かって歩いて少し路地に入った所に川口市立飯塚小学校のあることが分かりました。以前Sunと歩きながら見つけた、あの頃のままでした。二宮尊徳像も当時のままに設置されていましたが、50年前とは向きが逆になってるように思いました。かつては小学校の校舎玄関脇にグラウンドを見つめるように立っていたのです。朝礼がある時には、かならず尊徳さんが、みんなを見つめていたのです。

 

 

さて、時間も押し迫ってきたので急いで駅に向かいました。考平ちゃんの携帯に電話をして三、四分遅れることを詫びました。こうして、待ち合わせの時間の12時よりも5分弱遅れて辿り着きました。場所は川口駅東口前にあるビルの玄関にある時計台の下です。無事待ち合わせも終わり2人で同窓会の会場に向かいました

 

 

 

 

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