■20190120(日曜日:晴れ)

サホロスキー場の様子です。遥か彼方にゴンドラの終着駅が見えます。標高千メートルです。

■先週から続いているインフルエンザ騒動も、ようやく収束しそうです。とは言っても、まだまだ体調は元通りとはいきません。まだ咳が出ますし、味覚が変化してしまい、食欲も戻りきれていません。一時は塩辛さがひどくて、同じインスタント味噌汁を飲んでいるのに、なんでこんなに塩分が多いのだ、とびっくりしました。途中で飲むのを止めたほどです。

さすがに、もうそこまでは味覚が狂ってはいないのですが、正直あまり美味しくは感じません。全然食欲が無いわけではないので、その点は病気からの回復を考えると、プラスの要素です。やはり食べられないと回復は、遅くなります。よほどの病状にならない限り、私は食欲が落ちることはありません。その点は私の体の長所だと思っています。なんだかんだと欠点ばかりですけれども、一つぐらいは良いところもあるものだと、自分を慰めています。

考えてみれば65歳のこの歳になるまで、色々病気をしながらも、決定的な大病をせずに過ごせてこれたのは、本当に幸運でした。それしか言いようがありません。小さい頃には道に飛び出してトラックに跳ねられたこともありました。それでも軽症で済んだのですから悪運が強かったのでしょう。今思えば運転手さんに大変な迷惑をかけてしまったと申し訳ない思いでいっぱいです。

大学生になってから初めて肺炎になりました。 夏休みで川口の実家に帰った時に異常に気付き、かかりつけの先生に診てもらいました。 クロラムフェニコールの注射で助けてもらったように記憶しています。 外科の先生でしたが、川口工業病院、今ではもう存在しないかもしれませんが、そこに勤務されていて開業された先生でした。盲腸炎の手術もその先生にしていただきました。 元々小学校の時から、運動会が終わると発熱して寝込んでいましたが、今考えると扁桃腺炎を繰り返していたのです。疲れると発症していたわけです。こちらで開業する前に、大学病院で扁桃摘出手術を受けたことで、その弱点からは解放されました。摘出手術を受けた後は、それまでの経過が嘘のように、発熱することはほとんどなくなりました。 扁桃腺炎の高熱は、とても辛いものです。 その点から解放されただけでも、本当に楽になりました。

同級生の中には、当然ながら、事故や病気で亡くなってしまった仲間もいます。 ロータリークラブなどで先輩たちの話を聞くと、同窓会に行くと、 毎年毎年出席者の数が減っていくことや、亡くなった仲間の話が出て来て、参加するのが次第に嫌になってくる、という話をよく聞きます。 私も還暦を迎える頃から同期会や同窓会に誘われることが多くなり、また心がけて出席するようにしてきました。さすがに私の年齢ですと、まだ先輩たちのような思いをせずに済んでいますが、その日が来るのは時間の問題です。病気をして寝込んだりすると、そんなことを考えてしまいます。内館牧子さんの「すぐ死ぬんだから」を読むと、主人公の年齢設定は78歳でした。 私に残された時間は、あと13年ということです。 これからの時間で私に何ができて、何をすべきなのか、ということをもう一度真剣に考え直してみる時なのです。 つくづく、そう感じる今日この頃です。