■20191102(土曜日:晴れ)
■今朝は5時半まで、ゆっくりと休みました。目覚ましが鳴る、どのぐらい前からでしょうか、夢を見始めました。夢ってなかなか思い出せないものです。何かの準備に追われている夢だったような気がします。
スマートフォンにセットした目覚ましを止めて、20分ほどでしょうか、布団の中で、うとうととしていました。こうした時間は、起きなくてはいけないと分かっていながら、夢の中で右往左往している自分を、映画を観ている観客のような気分で眺めているのです。まるでチャップリンの映画を見ているような、そんな気もしてきます。
■さて昨日、萩生田光一文部科学相が閣議後の記者会見で、大学入学共通テストに来年度から導入される予定だった、英語の民間検定試験について、令和6年度をめどに実施を延期すると発表しました。「身の丈に合わせて頑張って」という大臣の発言の顛末です。
安倍内閣が発足して以来一貫しているのは「公共の放棄」という点です。今まで国が予算を計上し、等しく国民がサービスを受けられるようにしてきたものを、民間に出来ることは民間に、という名のもとに予算を削り、国民からいわばサービス料を徴収して、民間の業者、しかも政権に食い込んでいる一部の業者に利益を横流ししている、というのが実態です。新自由主義などと名称はもっともらしいのですが、実態は下世話なものに過ぎないのです。
国民健康保険制度の改革に取り組む議会の審議会に民間の保険業者の代理人が参加し、保険会社が利益を可能な限り最大限できるような仕組みを作り上げるようなものです。アメリカでは広く行なわれているようです。一部の者たちのために、税金が合法的に横流しできるような仕組みを、国会の中で言わば、国民の目を逃れて作り上げられているのです。
耳障りの良いキャッチフレーズが広告会社の知恵なのでしょうか、巧みに流されるのです。「官から民へ」、「民間に出来ることは民間に」、「民間の知恵を生かして」などなど、まるで民間に移譲すれば、全てのことがうまくいくかのごとく説明されるのです。そして一部の親しいお友達に、税金が流れていく仕組みが作り上げられていくのです。
今こそ私たちは立ち止まって、公共とは何なのかということを、もう一度真剣に考え直さなければいけない時期になっています。
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