2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2020年8月 Page 3 of 4

ゴル友

■20200811(火曜日:晴れ)

堂ヶ島遊覧船での洞窟探検です。

■今日から夏休みです。木曜日までの三日間、日曜日からの5連休です。

今日は猛暑日の中、大の仲良し長倉さんとゴルフでした。シングルプレイヤーの長倉さんとは、同年齢のゴル友なのですが、実力差がありすぎです。でも、いつも気持ちよく付き合ってくれることに感謝しています。今日は二人でのプレイでした。

それにしても暑い一日でした。ただし一番スタートに入れてくれましたので、7時39分スタート、ハーフが終わって9時半前でした。ただし今日は多くのプレイヤーで混雑していて、後半のスタートまでに1時間半近く間が空きました。

レストランで食事と取りながら、二人でゴルフ談義を楽しみました。職業は異なるものの、同年齢ですから、身の回りに起こることは似たりよったりです。孫が生まれて可愛いだの、仕事も少しずつ一線を退いて若い人に任せて行きつつあることなど、共感することも多いのです。

ゴルフの方は、何年に一度の上出来でした。イン・スタートの前半は、パーとボギーの繰り返しで、41回で上がりました。パーが4回、ボギーが5回ということです。本当に自分でも驚くほどのできでした。でも後半は実力が出てしまい、50回も叩きました。

それでも最後の上がり2ホールはアプローチとパットが決まって、連続パーで上がることができました。バック・ティーからのプレイですから、本当に大きな進歩です。次回が楽しみです。

■夕方からはSunと二人で近くの日帰り温泉に行って、マッサージも受けようと予定しています。疲れを取れると良いのですが。

黄金崎

■20200810(月曜日:晴れ)

堂ヶ島遊覧船です。

■昨日は堂ヶ島のホテルに泊まりました。立派な露天風呂で疲れを取りました。ただし猛暑のために、空調を掛けっぱなしでの睡眠でしたが、温度調節があまりうまく行きませんでした。掛け布団が厚くて、温度設定が困難でした。

それでも朝風呂にTakuと一緒に入り、朝食後に、まずは黄金崎へ出かけました。海無し県に住んでいるTakuたち家族にとっては、感動的な海岸風景です。

Masatoと一緒に撮ってくれました。貴重な記念写真です。

■続いて堂ヶ島へ行き遊覧船に乗りました。少し風があり、波と船の揺れで、スリル満点でした。でも暑さのためにMasatoは大変でした。

遊覧船に乗るために、30分ほど並びましたが、たぶん平生の半分ほどに違いありません。コロナウイルスによる特別事態です。乗船者数も半分ほどに減らしていました。

帰りがけに加山雄三ミュージアムに寄って、彼のこれまでの軌跡を堪能しました。本当に才能豊かで、人が周りに集まるのでしょう。育ちの良さが、そうした人生を作り上げたに違いありません。

■その後帰宅の途に付きましたが、途中道の駅「月ヶ瀬」で昼食を取りました。駐車場が満車、との案内が道路沿いに出ていましたが、立ち寄ってみると、幸い2台とも止めることができました。

道の駅で、楽しく昼食を取りました。

■さてここでTaku一家とは別れました。今日はYukoさんの実家に泊まる予定のようです。Takuは暦通りの仕事ということで、その後高崎まで更に運転していかなければなりません。

本当に心配でした。道路も混雑しているでしょうし、疲れも溜まっています。事故が何より心配でした。

別れたのは、15時半頃でしたか。我が家に辿り着いたのが、17時過ぎでした。それから埼玉に寄って、Takuが自宅に着いたのは、21時を過ぎていました。渋滞に2回捕まってしまったようです。

本当に、ご苦労さまでした。次は草津温泉に行こうと計画しています。

土肥温泉

■20200809(日曜日:晴れ)

廃校になった学校の記念碑です。

■今日は大忙しの一日です。午前中は新沼津カントリークラブAクラス月例の競技委員を務め、午後からはSunと一緒に土肥温泉までドライブです。

Takuたち家族が休みを取って来てくれるので、海と海の幸を一緒に楽しもうという企画です。孫のMasatoにも会えますから、これ以上の企画はありません。

先月新車を購入した際に、試運転として高崎まで出かけましたので、その際にTakuの家にも寄り、孫の顔も見ましたが、泊りがけならゆっくりできます。

家族揃っての夕食です。Masatoは、まだ食べられません。

ワクチン開発

■20200808(土曜日:晴れ)

廃校した学校の記念碑です。

■今朝は走りました。昨夜も蒸し暑く、空調をエコモード28°に設定して、一晩中かけっぱなしにして休みました。おかげで、そこそこ熟睡できました。

いつもの通り5時の目覚ましで起きだし、準備運動の後、走り始めました。ところが今朝は、いつもとまったく異なり強い体のだるさを感じ始めました。そして3キロを過ぎたところで走ることができなくなり、しばらく歩いてしまいました。5分ほどでしょうか、歩くことでようやくまた走り出すことができました。

結局いつものコースを6.08 km 走り、これで今月は5回のランで32.25 km を積み重ね、月100 km 走まで残り23日で67.74 km のところまで来ました。

走り続けることができなくなった原因はよく分かりませんが、朝から気温も高く軽い熱中症になってしまったのでしょうか。

休日にまとめて長い距離を走ろうと、午前中に走った事が何度もありましたが、途中で気分が悪くなり30分以上、道端でへたり込んでしまったこともありました。あれは完全に熱中症でした。気分が悪くなり頭がぼーっとしてきました。とても走り続けられるような状態ではありませんでした。それに比べれば今朝は走るのを止めて5分ほど歩くことで元に戻りましたので、ずっと軽いものだったのでしょう。

朝から気温も高く湿度もありますので、長い時間走り続けられるような状況ではありません。これからは気を付けて走らなければダメのようです。

■今朝の東京新聞一面には新型コロナウイルスに対するワクチン開発について専門家が注意を喚起しています。

「ワクチン開発 焦りは禁物」

大阪大学免疫学フロンティア研究センターの宮坂昌之教授は、「コロナウイルスはワクチンが作りにくい厄介なウイルスであり、国内で慎重に臨床試験をしないと効果は確かめられず、期間を短縮すると重大な副作用を見逃す恐れもある」と警鐘を鳴らしています。

コロナウイルスの場合は感染時にかえって病気を悪化させる『悪玉抗体』が作られる恐れがあり、これがウイルスと結びつくと全身の免疫細胞の一種が感染してしまう抗体依存性免疫増強( ADE )と呼ばれる症状を起こしてしまう可能性があるそうです。これは新型コロナウイルスに近い SARS の動物実験で確認されており、コロナウイルスが手強い理由と話されています。

ワクチンのこうしたさまざまな副作用を防ぐためには、ワクチン開発では、まず動物実験から始め、次に少人数への摂取、最後は数千人から1万人規模で摂取して効果と安全性を調べる必要があります。ADE は個人差も大きく、宮坂先生は「安全性や予防効果は大規模な接種から1年程度経過しないとわからない」と結んでおられます。

また過去には海外の承認薬をそのまま国内で使って重大な副作用が起きた例があり、人種差もあるので国内で試験をすべきだ、とも訴えておられます。

何にしても「急(せ)いては事を仕損じる」のがワクチン開発のようです。国民の命と健康を守るためには、忖度しない充分な議論が大切のようです。

宿痾

■20200807(金曜日:晴れ)

廃校になった学校の記念碑です。

■今日は立秋です。 「二十四節気の一。太陽の黄経 (こうけい) が135度に達する日をいい、太陽暦で8月8日ごろ。暦の上で秋の始まる日で、以降の暑さを残暑という」とあります。今日からは残暑見舞いとなります。

昨夜は沼津西ロータリークラブの納涼例会でした。沼津港の中にあるお店で、納涼会を兼ねてみんなで楽しく歓談しました。

ビンゴゲームが余興として行われ、私はイグサの枕が当たりました。昨夜は早速それで眠ることができました。昨日まで三日連続朝走りましたので、さすがに今日は休息日としました。

■昨日は75年前に広島に原爆が投下された日です。夜10時からは NHK スペシャルで原爆投下までの経緯を検証していました。様々な国際情勢の綾が絡み合うなかで、日本の指導者たちの決断が遅れ多くの日本人の命が奪われたのです。

戦に敗れることは誰の目にも明らかであったにも関わらず、天皇制という国体を維持できる保証がなければ敗戦を認めるわけにはいかない、という指導者達の考えがそれをもたらしたのです。

指導者達が本当に国の未来を考えていたのか、あるいは自分の延命を最優先していたのか、真実は闇の中です。しかし玉砕や特攻などという作戦を 実行し多くの兵隊たちを犠牲にした指導者たちを見ていると、彼らが国や国民のことを第一義的に考えていたとはとても思えないのです。

偉い奴からまず逃げるーーコロナ、満州、森友改ざんの共通点 」を読むと、つくづくこの国は、敗戦によっても少しも変わっていないのだ、と絶望に近い思いに駆られます。

国難と呼ばれるような日がやってくるたびに同じことが繰り返されます。つまりは犠牲になるのはいつも庶民なのです。それを指導した人間たちは、誰一人として責任を取らないのです。そして同じことが繰り返されるのです。

近代日本の宿痾(しゅくあ)のようにすら私には感じられます。

人口動態調査

■20200806(木曜日:曇)

廃校された小学校の記念碑です。

■今朝も走りました。昨夜は蒸し暑く、昨年までのようにフローリングの上にゴザを敷いて窓を全開にして寝ていたら、とても熟睡できなかったでしょう。

昨年新しい空調に交換して28度に設定したエコモードで一晩中空調をかけっぱなしにして寝るようにしました。こうすると熟睡できますし、昨年から困っていた朝方の動悸もあまり起こらなくなりました。

やはり、しっかりと睡眠をとることは、しっかりと食事を摂ることと同様、毎日を快適に過ごすためには、必要不可欠なのです。しっかり眠れた翌日の朝は起き出すのも、ずっと楽です。

今朝は資源ごみの日で、ペットボトル、ガラス容器、不要になった衣料品、そして空き缶を所定の位置に運んで準備運動後、スタートしました。

今朝はいつものコースを6.15km走り、これで今月は4回のランで26.17kmを積み重ねました。月100キロ走まで残り25日で73.82kmが残っています。なんとか予定通りのペースを守っています。

今朝も走り始めは1キロ8分のペースでスタートしましたが、最後は1キロ5分40秒程度までペースを上げ、結局平均としては1キロ6分47秒のペースで走り終えました。

■さて今朝の新聞には、総務省が5日に発表した住民基本台帳に基づく人口動態調査の結果が報告されています。

今年1月1日時点の国内の人口は1億2,427万1,318人です。前年から50万5,046人、率にして0.40パーセント減少しました。マイナスは11年連続で減少し、減少数、減少率とも過去最大。

都道府県別にみると、埼玉、千葉がマイナスに転じ、これまでで最も多い44道府県で人口が減少。増えたのは東京、神奈川、沖縄の三都県だけで偏在が際立ったと書かれています。

2019年の出生数は86万6,908人で最少を更新。初めて90万人を下回りました。死亡者数は137万8,906人と過去最多でした。

減少率が最も高かったのが秋田県のマイナス1.52パーセントでした。また減少数の最も多かったのは北海道で42,286名でした。

静岡県の人口は361万1,596名で前年に比較して25,600名の減少。減少率はマイナス0.70パーセントでした。広告

戦争の歌

■20200805(水曜日:晴れ)

今は水没した夕張近郊の村です。

■今朝も走りました。昨夜は湿度も高く大変寝苦しい夜だったようですが、私は空調のエコ・モードで無事に熟睡することができました。

今朝も5時に目覚ましを鳴らし、少し時間がかかりましたが起き出して、ビニールゴミを所定の場所に運び、準備運動の後スタートしました。体はそれほど重くなかったのですが、気温も高く蒸し暑かったために快調に走るというわけにはいきませんでした。

6.08kmを走り、これで今月は3回のランで20.01キロを積み重ね、月100キロ走達成まで残り26日で79.98キロとなりました。

一昨日の夜までは夜のうちに一雨降ることが多かったのですが、昨夜はそれもなく地面の温度は下がることもなく、蒸し暑さのために久しぶりに暑苦しい夜となりました。

これからは、このような日が続くに違いありません。いよいよ本格的な夏です。

■さて今朝の東京新聞「私説 論説室から」は、「戦争の歌がきこえる」と題して書かれています。

米国在住の音楽療法士 佐藤由美子さんの新著「戦争の歌がきこえる」について書かれています。音楽療法は、音楽を通して心身の安らぎや活力を引き出す仕事です。佐藤さんは米国の認定資格を持ち、ホスピスで終末期の患者にギターやハープの弾き語りを届けてきました。

75年前の戦争を体験した米国人が、人生の最後に何を語ったかを伝えるのが本書です。

「僕は日本人を殺した。彼らは若かった。僕も若かった。彼らの家族のことを考えると、本当に申し訳ない」。

末期がんを患う彼は、佐藤さんが日本人であることを知るや、そう声を絞り出して泣き崩れました。サイパン島で戦ったこと以外、家族でさえ何も知らなかったそうです。

第2次世界大戦は米国にとっては正しい戦争、良い戦争と言われ、広島・長崎への原爆投下さえ正義だったと意義付けされています。しかし英雄として帰った大戦の兵士とて受けた傷は同じです。敵とはいえ殺人をした罪悪感にもがき、酒に溺れて病を招いた彼の証言がそれを物語っています。

佐藤さんは、こう書かれています。

結局、「良い戦争」などなかったのだ、と。

戦争を知る世代が、一人また一人とこの世を去っていく今、それは同時に次の戦争の入口に差し掛かりつつあるとも言えるのです。

城の原則

■20200804(火曜日:晴れ)

昨年訪れた「南大夕張駅」跡です。

■今朝は走りました。8月1日に走ってから二日間空いてしまいましたけれども、昨日の休養が効いたのか今朝はスムーズにスタートすることができました。

今朝は少し長めに走り、いつものコースを7.11km走りました。これで今月は2回のランで13.93kmを積み重ねました。月100キロ走までは残り27日で86.07kmです。

今朝はスタート時のキロ8分ペースから、次第にペースを上げて最後はキロ6分54秒で走り終えました。自分としては、まあまあでしょうか。決して軽快に走ることができたという気はしませんでしたが7分を切れば良しとしなければいけません。

■さて、今朝の東京新聞「太郎の国際通信」欄では、興味深い記事が掲載されています。「『城の原則』とデモ行進」です。

米国ミズーリ州セントルイス市で、「黒人の命も大事だ」と訴えるデモ隊約500名が、同市のライダ・クルーソン市長宅を目指して行進。プラカードを手にしたデモ隊は、行く手にあった「私道・住民以外の通行禁止」と書かれた表示を無視し、鉄製の扉を押し開いて「市長辞任せよ」と叫びながら進んでいきました。

ところが、そこは弁護士のマクロスキー氏宅の敷地で、デモ隊が来ると、同氏は家から飛び出して自動小銃を横向きに構え、妻も拳銃を片手に出てきてデモ隊に向け、立ち去るよう要求したのです。

夫婦が手にしていた銃は、いずれも合法的に入手し登録済みでしたが、同市の検事長が「平和的な抗議行動が、銃によって阻止されたことを黙視するわけにはいかない」と語り、警察に捜査を指示しました。

これに対してマクロスキー氏は、テレビのインタビューに「われわれを犯罪者から守る代わりに、犯罪者をわれわれから守るのは、逆じゃないか」と反論したのです。民主党員の検事長に対して共和党側からも非難の声が高まり、トランプ大統領も「恥ずべきことだ」とツイートして論戦に参戦しています。

米国には「城の原則」という考えが刑法上に定着しています。住宅など人が居住する施設を「城」と見立てて、侵入者に対して防衛することを正当化し、たとえ侵入者を死亡させても罪には問わないという考えがあります。

この事件が複雑なのは、表現の自由を保障した米国憲法修正第1条と国民が銃を持つ権利を保障した米国憲法修正第2条のどちらが優先するかという問題と、全米に広がって一部で暴動になっている「黒人の命も大事だ」が平和的な抗議活動なのか、あるいは人種問題にかこつけた暴力革命なのかという論争に発展している点です。

大統領選挙も絡み、大きな問題に発展しているようです。

廃線

■20200803(月曜日:曇) Abolished stations

南大夕張(みなみおおゆうばり)駅跡です。

■今朝は走るつもりで、目覚まし時計を5時に合わせてあったのですが、起きることができませんでした。昨日の疲れが溜まっていたようです。

梅雨明けの強い日差しのもと一日ゴルフをしたために、さすがに疲れが溜まってしまったようです。何とか起き出して走ろうと何度も思ったのですが、どうしてもダメでした。まぁ無理をしても意味がありません。それで仕事に支障が出ては、本末転倒です。

まだ8月の3日ですから、梅雨も明けましたし、朝走るチャンスはいくらでもあるはずです。まずは疲れをとって体調を整えてから走ることが大事です。

■今朝の写真は昨年夏でかけた北海道旅行で撮影したものです。夕張を訪れ、幸せの黄色いハンカチ記念館に立ち寄りました。帰り掛けの道路沿いに、JR線の廃止された駅がいくつもありました。そのひとつ「南大夕張駅」の様子です。

夕張駅も、もちろんなくなっていました。夕張駅の駅舎は可愛らしいお土産屋さんでしょうか、喫茶店でしょうか、様変わりしていました。

北海道ではJR北海道の線路が次々と廃止になっています。人口の減少、そして鉄道利用率の低下と明治以来、長い時間をかけて整備してきた国民の財産である鉄道網が次々と放棄されています。もう二度と列車が走ることはないでしょう。

夕張の町は炭鉱の閉鎖とともに、正に見捨てられた街になってしまったのです。いま夕張に暮らしている人達は、どのような暮らしをしているのでしょうか。想像もできません。

しかし、その姿はいずれ私達の街にもやってくるはずです。

Abolished stations

I intended to run this morning and had my alarm clock set to 5:00am, but I couldn’t get up. I guess I was tired from yesterday.

I played golf all day under the strong sunshine after the rainy season, and I was very tired indeed. I tried many times to get up and run, but I couldn’t do it. Well, there’s no point in pushing it. It would be the end of the world if it interfered with my work.

It’s only the 3rd of August, so the rainy season is over and there should be plenty of opportunities to run in the morning. First of all, I need to get rid of my fatigue and get myself in shape before I run.

The picture I took this morning was taken during my trip to Hokkaido last summer. I visited Yubari and stopped at the Happy Yellow Handkerchief Memorial Museum. Along the road to the lodge, I found a number of abolished stations on the JR line. One of them is “Minami ooyubari” station.

Yubari station was also gone. The building of Yubari station was changed into a small souvenir shop or a coffee shop.

In Hokkaido, the railway lines of JR Hokkaido have been closed one after another. With a shrinking population and a declining railway usage rate, the railway network, which had been an asset of the people, and which had been developed over a long period of time since the Meiji era, is being abandoned one after another. There will never be any trains running again.

Along with the closing of the coal mines, the town of Yubari has become an abandoned town. I can’t even imagine what life is like for the people living in Yubari now.

But I am sure that they will come to our town sooner or later.

子どもの頃のエピソード

■20200802(日曜日:晴れ) Instead of keeping it all to himself

たくが家族旅行の際に、買ってくれたスイカです。

■今日は本当に久しぶりに大村さんと4人でゴルフを楽しみました。何年ぶりでしょうか。ようやく梅雨が開け、青空の下でプレーすることができました。

以前は大村さんの熱川にある別荘で宴会をした翌日、稲取カントリーでゴルフをして帰ってくることが年に一、二度ありました。本当に楽しい週末でしたが、最近はなかなか時間も取れず実現できずにいました。

今日はご一緒にプレーができて本当に楽しい一日でした。強い日差しの下ですので、久松さんも植松さんも私も最後は少々バテ気味でした。もちろん、それ以上の楽しさがありました。

9歳年上の大村さんですが、日頃の鍛錬のおかげで、私達より良いスコアで上がりました。大したものです。また次回を楽しみにしています。

大村さんと共に。

■今日の写真は、新しく購入したスバルのインプレッサで先日高崎に出かけた際に、たくからもらったスイカです。朝ランニングをしたあと、スイカを食べるのが私の最高の楽しみだ、というのを覚えていてくれたのです。たくが家族旅行をした際に、購入してくれてあったようです。その後、冷やして食べたら最高に美味しいスイカでした。

さて帰ってきて脱水症を改善するために、友人から頂いてあった冷やしたスイカを食べました。その際にSunにもお裾分けをしたのですが、意外な話を聞くことができました。

たくがまだ小さい頃のことです。おまんじゅうなどを食べる時に、たくはそれを独り占めするのではなく、半分に割って必ず母に分けてくれたそうです。しかも凄いのは、半分に割ったまんじゅうのうち、いつも大きい方を母にくれていたのです。これには心底驚きました。人として容易にできることではないからです。

Sunによれば、私がたくに対してそうしていたから、たくも母に対してそうしてくれていたに違いない、と言ってくれました。ですが私自身は正直全然そのようなことは覚えていません。だからきっと孫のまさとも、そういう子になるに違いない、とSunは言うのですが、本当にすごいことだと思います。

大したことではないと思う方もいるかもしれませんが、私は決してそうは思いません。人間の欲というのは底なしなのです。今は亡き古今亭志ん朝さんが落語の枕で、こんな川柳をよく話されていました。

「欲深き 人の心と降る雪は 積もるにつれて 道を忘(わす)るる」

まさに、その通りなのです。人間の欲というのは本当に恐ろしいのです。テレビ映画「刑事 コロンボ」を見ていると、登場する犯人は全員、社会的には高い地位にある人々なのです。もう充分満たされていると私などから見るとそう思えるのですが、本人達はもっと欲望を満たしたいのです。

「金持ちの考えていることは、いつも一緒だ。それは、もっと金持ちになりたい、だ」という言葉があります。

だからこそ、たくが独り占めせずに半分に割って饅頭を母にあげていたこと、そして割ったうちの大きい方をかならず母にあげてくれていたことは、父として本当に心から嬉しくなるのです。

今日は、その話を聞いて、心から幸せな気分に浸りました。

Instead of keeping it all to himself

Today’s picture is of a watermelon that Taku gave me when I drove my new Subaru Impreza to Takasaki the other day. He remembered that eating a watermelon after a morning run is the best part of the day for me. When Taku went on a family vacation, he bought it for me. Afterwards, I ate it cold and it was the most delicious watermelon I’ve ever tasted.

Today, I came back from golf and I ate the chilled watermelon my friend gave me to help with my dehydration. I shared the watermelon with Sun at that time, and she told me a surprising story.

It was when Taku was still little. When he ate a manjuu, Taku didn’t keep it to himself; he would break it in half and share it with his mother. What’s even more amazing is that he always gave the bigger portion of the manju to his mother. I was truly amazed at this story. It’s not an easy thing for a human being to do.

Sun told me that I had done it to Taku, so Taku must have done it to his mother. But I honestly don’t remember that at all. Sun says my grandson, Masato, will be like that too, and I think it’s amazing.

Some people might not think it’s a big deal, but I think it’s a big deal. Human greed is infinite. The late Kokontei Shincho used to say the following willow in his rakugo pillow.

The more the snow falls, the more it piles up, the more greedy he is , the road is forgotten.

That’s exactly what it is. Human greed is truly a terrible thing. When you watch the TV movie “Columbo”, all the criminals in the movie are people of high social status. It seems to me that they have had enough, but they want to have more.

The rich people of the world are always thinking the same thing: “I want to be richer. I want to be richer.

That’s why, as a father, I’m so happy to hear that Taku used to break the manjuu in half and give it to his mother instead of keeping it all to himself, and that he would always give the bigger portion to her.

Hearing that story today, I was immersed in a feeling of happiness from the bottom of my heart.

Page 3 of 4

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén