■20220206(日曜日:晴れ)
■今朝は、ゆっくりと休みました。金曜日に走りましたので、一日置いて今日長めに走っても良かったのですが、元気が出ませんでした。決して調子が悪いというわけではないのですが、気分的に乗りませんでした。
1週間ほど前から、寝る時の暖房設定温度を18度から17度、そして16度に下げてきました。立春も過ぎて地熱も上がり、家の中でも寒いながらも、床の温度も上がってきました。
そこで寝室温を少し下げても大丈夫だろうと思ったのです。そして、昨夜は夜中の1時に目が覚めてトイレに行った時に暖房を切りました。
寒くて、その後に目が覚めるということはなかったのですが、そのためかどうか、夢見が良くありませんでした。悪夢というわけではありません。何度も見てきたパターンの夢なのです。
新しい家に引っ越して、色々後片付けに追われたり、町並みの様子が登場してくるのです。その町の様子は、幼少期を送った埼玉県の川口市の様子を、思い起こさせるような気もします。
私が幼少期を送った頃の町並みは、商店が立ち並ぶ昔ながらのものです。そんな中でも、忘れることができないのは、母と一緒に通った市民病院です。その頃、私は病弱でした。気管支が弱かったのです。
その折、帰り掛けに町の中華料理屋さんに入って、時々ラーメンを食べました。病院に通っていたのは、小学校に入る前だと記憶していますので、1950年代の終わり頃でしょうか。
ラーメンは、当時一杯40円でした。その後、50円に値上がりしたことを覚えています。いわゆる普通の中華そばでした。
でも、とにかく美味しかったのです。世の中に、これほど美味しいものがあるのか、と思うほど美味しかったのです。
今では美味しいものが身の回りに溢れています。インスタント味噌汁からカップラーメン、そして冷凍食品まで、まずいものは一つもない、と言っても過言ではないほどです。技術が進歩したおかげなのでしょう。保存技術も発達しました。
というわけで、寒くて熟睡できなかったわけではないのですが、肩口から首回りが冷えると、夢見が悪くなるような気がします。逆に言えば、部屋全体を温めなくても、その部位を冷やさないことで、悪い夢を見ることを避けることができるかもしれません。一度試してみましょう。
■さて、今朝の東京新聞17面文化欄では、総合地球環境学研究所長の山極寿一さんが書かれています。『「対面」が共感力鍛える』です。「マスク外せる環境を」と訴えられています。
コロナ禍によってマスクが外せなくなり、同僚たちの顔を思い出すことができなくなったという内容から書き出されています。
人間の脳の大きさが増加し始めたのは、今から200万年前で、ホモサピエンスが登場した約20万年前以前に、現代人並みの脳の大きさになっていたことが、化石記録から明らかなのだそうです。
とすれば、脳が大きくなったのは、7万年前に言葉が登場したおかげでもないし、文化や文明が発達したためでもないようです。一緒に暮らす仲間の数が増えて、仲間の性格や癖をよく知って付き合うようになって記憶容量が増したからではないか、と山極さんは指摘しています。
猿たちも一緒に生活する仲間のことをよく知っているのですが、その知識はとても限られているそうです。その知識は原則として親子や兄弟姉妹といった血縁関係、自分と仲間や仲間同士の優劣関係に限られています。そして、猿の群れでは互いに強い弱いという格差を認め合い、トラブルを防ごうとするルールが徹底していて、そのルールさえ守れば詳しく仲間のことを知らなくても、平和に暮らせるそうです。
人間では強い弱いだけではなく、相手が求めていることと、自分の欲求や能力を見定めて行動を変える必要があります。ですから、その時その場の状況を判断するだけでなく、相手と自分に関わる過去の歴史や未来の好ましい関係などを頭に巡らしながら、付き合い方を柔軟に変化させている訳です。
つまり、人間は猿にない共感能力を十分に発揮して仲間とも関係を縦横無尽に作り替える社会技術を持っている。それが、これほど大規模で複雑な社会を構築する原動力になったのだ。
と、山極さんは指摘されています。では、どうやって人間は仲間のことを知るのだろうかと考えた時に、言葉のない時代には、直接仲間の行動を見るか、仲間同士が接する態度を見て察するか、仲間が作ったものから判断していたのでしょう。
しかし、言葉ができてからは、人々の噂話で仲間の行為や個性を知ることができるようになりました。
さらに、5,000年前に文字ができてからは、広範囲に広がるようになり、150年ほど前には電話が、そして40年前にはインターネットの発明により、情報通信技術は加速しています。
しかし、仲間の気持ちを知る方法として、まだまだ言葉は、うまく使いこなせていない不完全なコミュニケーションだと先生は指摘しています。
時と場を共有し、対面して、相手の表情や態度から気持ちを推し量ることが、未だに最善の方法である。
となれば、何とかしてマスクを外せる環境を整備しなければ、従来の社会関係を築くことができなくなる恐れがあるのです。
特に成長期にある子供達にとって、共感力を鍛える場を作ることが不可欠であると思うと、山極先生は最後に指摘されています。
■必ずマスクを着用して授業を受け、仲間の表情も確認できず、一言も喋ることなく黙食を続ける子供達が、将来どのような心のありようとなり、仲間と関わっていき、社会を作っていくのかを考えてみると、少し恐ろしくなるのは私だけでしょうか。