■20220311(金曜日:晴れ)

三津浜から見た富士山です。河津桜が咲いています。

■今朝は走りました。ここのところ隔日に、きちんと走ることができています。今朝はいつもの通り5時の目覚ましに合わせて目が覚めましたが、5分ほど布団の中でグズグズしてしまいました。

結局今日は52分38秒、8.18kmを走り、これで今月は6回のランで43.80kmを積み重ねました。目標の月88キロまでは、残り20日で44.19kmです。

今月は今までになく、きちんと定期的に走ることができています。走ったのは1日、3日、5日、7日、9日、11日とまるで判で押したように一日おき、確実に走っています。まだ月の半ばにも達していないのですが、これほどきちんと走り続けることができた月も、今までになく珍しいことです。

■さて、今日はあの東日本大震災から11年になります。さまざまな思いが蘇る一日となりそうです。

今朝の東京新聞28面には、JR貨物社長・真貝康一さんのインタビューが掲載されています。「311 被災地に石油を輸送せよ・究極の迂回路・機関車はつないだ・「金太郎」改造 広範囲で運用へ」。

真貝康一さんのお話によれば、震災により東北唯一の仙台精油所が津波でやられ、ガソリンスタンドに長蛇の列ができてしまいました。そして地震発生から二、三日後のことですが、緊急輸送について国から強い要請がありました。

JR貨物が所有する線路は、貨物ターミナル駅などわずかしかなく、地域ごとのJR旅客6社の線路を使って貨物輸送を手がけています。列車運行には旅客各社との調整が必要でした。

横浜根岸の精油所から、新津(新潟)、秋田、青森を経由して盛岡まで約1,000キロ運ぶには、JR東日本の線路だけでなく、青森ー盛岡間は「青い森鉄道」、「IGRいわて銀河鉄道」という第3セクター2社の線路を走ることになります。

また途中で電化方式が直流から交流へ切り替わる上、勾配が急な区間もあり、それぞれに適した電気機関車を当てるため、車両を次々に交換。計4種類の電気機関車を使ったそうです。

盛岡行きの緊急輸送は震災後1週間後の3月18日、また新潟から郡山へは3月25日に始まりました。結局、東北線での輸送が再開した4月21日までに、盛岡へはタンクローリー1,850台分、郡山には1,000台分のガソリン・経由・灯油を届けたとされています。

震災で大切さが際立った迂回ルートを、より有効活用するために、JR貨物は様々な次なる手を検討しています。

地域には、それぞれの特性に合わせて機関車が造られてきた歴史がありますが、非常時に備え、交流・直流両用で出力の大きいEH500(愛称・金太郎)を改造し、運用できる範囲を広げる計画を進めているそうです。

鉄道が輸送に果たせる役割は、とても大きいと私は思っています。トラック輸送が現在主流になっていますが、脱炭素という面からも、鉄道の役割は大きくなることがあっても、縮小されていくことはあり得ません。

鉄道網は、まさに国民の財産なのです。国民生活のために、きちんと投資が行われることで設備が維持管理され、より良い利用方法が考えられることを私は願っています。