2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2022年5月 Page 1 of 4

デジタル遺産

■20220531(火曜日:雨)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。見事なアーチです。

■今日で爽やかな5月も終わりです。今朝は夜半からの雨も、午前中には止むようです。生ゴミの日ですので所定の場所に運ぶために玄関を出た所で、小雨に気づきました。所定の場所まで大した距離でもありませんので、それでも傘は必要ありません。むしろ火照った体には、ちょうどよいお湿りに感じられるほどでした。

日曜日に1時間走をして、あとは大会の日まで休養すると決めましたので、気も楽になりました。完走できるかどうか、もちろん不安ですが、最後は歩いてもいいや、と開き直るつもりで望みます。

■さて昨日5月30日は、先日亡くなった親友の誕生日でした。フェイスブックから誕生日です、とお知らせが届いていました。これから、ずっと連絡が届き続けるのかどうか。こちらとしては思い出させてくれて感謝するのですが、どうなるのでしょうか。

デジタル遺産と言われますが、このブログもホームページも、自分がこの世からいなくなれば、もちろん誰も更新する人はいませんから、始末もできません。銀行口座と一緒に、生前きちんと整理・始末する必要がありそうです。

このブログも自分なりに工夫しています。例えば、各ページのアドレスは、例えば今日ならば、「20220531」で登録してあります。そして、完成後に変更しています。

何が便利かといえば、1年前、2年前、何年前でも良いのですが、過去の同じ日にどんな事があったかが、日付を打ち込めば、たちどころに現れる点です。ブログを書き始めた頃は、その点に気づきませんでしたので、その当時の内容を検索するには、キーワードを探す必要がありました。

それでうまく検索が当たればよいのですが、そうでない場合、辿り着くのに手間取ることもあります。ワードプレスはよくできたCMS、つまりこうしたホームページ作成ソフトなのですが、いささか重いのが難点です。

ソフトの構造上致し方ないようですが、いづれ改善されるでしょう。あと10年は書き続けることができるでしょうか。

ランナーズ膝

■20220530(月曜日:晴れ)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。錦川にかけられています。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は久しぶりに1時間走をしましたので、今日は休養日です。調べてみると、前回1時間走をしたのは、昨年の勤労感謝の日、20211123(火曜日:晴れ)でした。半年ぶりです。

昨年後半は体力が急激に低下したのですが、それはちょうど、上り坂から下り坂に変わった所で、急にエンジンブレーキが掛かり始めた時のようでした。それも強烈なエンジンブレーキでした。

いったい何が起こったのだろう、と戸惑うばかりでした。単に歳のため、と考えれば、そうなんだろうな、で終わってしまうのですが、あまりの変化にあたふたするばかりでした。

昨日は午前中のZoom会議後は、ひたすら休んでいました。とにかく疲れを残さないように、体力の回復をじっと待つしかありません。6月5日の千歳JAL国際マラソンに向けて、どう調整していくか。思案のしどころです。

昨日は5キロ地点から1キロぐらいの間、右膝の痛みが出てきて心配しました。ランナーズ膝です。衝撃をなるべく股関節で吸収するような走り方を、心がけながら走り続けましたが、そのおかげか、その後は痛みも消えて、無事に走り終えました。でも大会当日は、その痛みが出ないか心配です。

今日は、幸い今のところ筋肉痛などは出ていませんので、あとは単純に疲労が取れるのを待てば良いようです。以前は大会の3日前から走らずに休養を取っていましたが、今では、その日数では足りないようです。

今日から走らずに大会の日まで、体力の温存を図るのが正解のようです。

一時間走

■20220529(日曜日:晴れ)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。岩国城が見えます。

■今朝は走りました。昨日は午前中の仕事を終えてから、午後ゴルフの練習を少ししましたが、日差しの強さに参りました。一時間も日向にいると、熱中症になりそうでした。早々に切り上げて帰宅し、水シャワーを浴びました。2人で日帰り温泉に行って一杯やって、早めに休みました。

昨夜は夢見がいささか悪く、気持ちよく目覚めたとは、とても言えない朝でした。夜中に一度目が覚めてトイレに行き、再度休みました。いくつになっても、子ども達のことが心配なのでしょう。他愛もないことで気がかりなものです。

今朝は5時に起きて、いつものとおり校庭に行き、タイマーを40分に合わせて走り始めました。今朝は結局、1時間3分16秒、8.79kmを積み重ね、これで今月は8回のランで51.20kmを積み重ね、目標の88キロまでは、残り2日で36.80kmとなりました。

エプソンのホームページにアクセスすると、「50キロ達成おめでとうございます」、そして「9,000キロ達成おめでとうございます」と告げてくれました。エプソンのランニングウォッチで記録を取り始めて、9,000キロになったのです。

今朝は走り初めて5キロ程してから、膝の痛みが出現しました、右膝の痛みです。いつものことなのですが、今朝も心配しながら、そのまま走り続けましたが、なるべくお尻で着地の重圧を受けるように、気をつけながら走ったところ、痛みも自然に消失し、無事に走り続けることができました。

なんとか1時間走り続けることができましたので、少し自信を取り戻しました。1時間走り続けられたからといって、2時間走り続けられる訳ではないのですが、とにかくまず、1時間走り続けることが出来なければ、当然ハーフマラソンは完走できるはずもありません。

ペースはもちろん、ゆっくりとしたもので、最初の1キロは8分もかかりましたが、とにかくゆっくりと長く走ることだけを心がけるように、今朝は走りました。

■今日は9時半から、東海北陸眼科医会連合会の会合が、Zoomで行われますので、それまでに準備をして待っていなければなりません。12時30分までの予定です。

一日潰れてしまいますが、致し方ありません。

アイデアマン

■20220528(土曜日:晴れ)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。泊まった宿は立派な和風旅館でした。

■今朝は走るつもりで目覚ましを合わせてあったのですが、起き出す気力が湧きませんでした。最近、時々そうした事が起きます。無理をしても仕方ありません。そのまま休むことにしました。

明日の日曜日、朝の9時からZoom会議があるのですが、その前に少し長めに走ることにしました。

■さて今朝の地元の新聞には、「ホウレンソウ量産工場 ブロックファームが原地区に」と題して、記事が掲載されています。

工場は、延べ床面積7600平方メートル、2階建て。種の植え付けから収穫、梱包・出荷までを工場内で行い、1日3トン、年間1000トンの生産量を見込む。面積効率比は露地栽培の100倍、とあります。

この記事を見ると、先日亡くなった友人Yさんを思い出します。商工会の会長としてYさんは、国道1号線沿いに道の駅を建設しようと駆け回っていたのです。

近隣沿線沿いには、道の駅が無いのです。もし完成すれば、地元の発展に寄与できる可能性が高いのです。公人として、最後のご奉公のつもりだったのでしょう。実現に向けて、かなり手応えがあったようです。

しかし結論から言えば、上記のブロックファームに敗れてしまいました。大変残念だったようで、悔しい思いを何度か聞きました。どちらがより地元の発展に寄与できるかは、難しい問題ですから、簡単に結論づけることは無理です。

ただ、夢いっぱいに、道の駅を中心とした地元の将来を語るYさんの様子は、贔屓目を抜きにしても、とても楽しそうで、ワクワクしたのを覚えています。

アイデアマンだったYさんの、実現した夢、実現しなかった夢。沢山のお話を聞かせてもらいましたが、いつも楽しそうに話す様子は、聞いている私も元気をもらいました。

本当に残念でなりません。

晩年

■20220527(金曜日:雨)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。泊まった宿は立派な和風旅館でした。

■今朝は雨です。雨の朝は、なぜかよく眠ることができます。つまり布団の中で気持ちの良い時間を過ごすことができる、ということです。気持ちよく、うとうととして、いつまでも、こうしていたい、と感じます。

晴れた日には、こうはいきません。何かにせっつかれるように、起き出してしまいます。

昨日は午後から学校検診。小学校と中学校を掛け持ちでした。家に帰ってきたのは、15時過ぎでしたので、結局そのまま家で休みました。夜は二人で日帰り温泉に行く予定だったからです。

歩いて行ける距離に、日帰り温泉があるのは、本当に助かります。出掛けた時には、二人で一杯やって食事をして帰ってきます。これから暑さがやって来れば、生ビールは旨さを増すはずです。二人で一杯ずつですから、大した量ではありません。

昔は沼津駅前にも、ビアガーデンがありました。仲間でテニスをした後、皆で集まって生ビールを楽しんだものです。そんな仲間も、一人また一人と旅立ってしまいました。

Takuと一緒にシングルスをして、その後居酒屋さんで、生ビールをなんと5杯も飲んだことがありました。自分がそんなにビールを飲んだなどとは、今ではとても信じられません。

雨が降れば雨の、そして晴れ渡れば青空の、様々なことを思い出すのが、晩年なのでしょう。

フル装備

■20220526(木曜日:晴れ)

昨年5月に出掛けた山口県の錦帯橋です。泊まった宿の池には立派な錦鯉が。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は昼休みに医師会に出掛け、監査業務を執り行いました。金曜日に医師会の総会で報告する必要があるからです。

午前中の診療が終わって、すぐに着替えて出掛けて、業務が終わったら帰ってきて、すぐにまた午後の診療と、休む暇のない一日でした。

今日は午後から学校検診。忙しない毎日です。こんな生活が一年中続くわけでもないのですが、いい加減、いつまで続けることができるのか、いささか疲れてきました。

友人の突然の死に直面して、自分の人生の仕舞い方も、遠い先ではなく、確実に視界に入ってきた、という実感がしてきました。毎日を、そんな思いで送るようになってきました。

■今朝の東京新聞には、【自作自演 政権の「原点」】と題して、ロシアのプーチン政権の歩みを綴っています。

プーチン政権はウクライナ侵攻にあたっても偽装工作や情報操作を駆使。東部ドンバス地域でのロシア系住民の虐殺をでっち上げ、「保護」を名目に全面侵攻に踏み切った。

この内容は、田中宇さんの指摘するものと正反対と言えます。その他の情報から見ても、この記事はあまりに一方的で、フェイクニュースの典型です。こんな情報を、堂々と掲載するぐらいなら、国際問題については記事を掲載しないほうが良いと思えます。それだけの書き手がいないので、自社製の記事ではないのかもしれません。

新聞も、大きな曲がり角に来ているように思います。フル装備から足を洗うべき時期なのです。

道標

■20220525(水曜日:晴れ)

駐車場の片隅に、朝顔が咲いていました。

■今朝は走りました。予定通り一日置きに、走ることができています。月曜日以来2日ぶりに、今朝は41分44秒、6.29kmを走り、これで今月は7回のランで、42.441kmを積み重ね、目標の88キロまでは、残り6日で45.59kmの地点まで来ました。

最低でも、あと2回は走ることができそうですので、なんとか50キロは超えることができそうです。

来月の5日には、3年ぶりに千歳JAL国際マラソンを走らなければなりませんので、意欲を維持するには丁度良い目標です。

■先日亡くなった友人のYさんは、終活について、色々語ってくれていました。もちろん終活として話されていたわけではないのですが、結果として何を整理しておくべきか、という道標です。

Yさんは一代で会社を立ち上げて発展させましたから、事業の継承という大問題があります。息子さんに経営権を譲って、最後はほとんど経営には口出しは、しなかったようです。それについて話す様子は、少し寂しそうでしたが、致し方ありません。いつまでも創業者が口出しをしていては、次の世代に繋がらないでしょう。

とはいえ、馬車馬のように働いてきた人が、晩年悠々自適とは言いつつ、寂しさを感じるのは、誰もが通る道に違いありません。相続上の問題も、抜かり無く処理していたようですから、無駄な税金も発生しないように手を打っていたはずです。

立場も状況も自分とは全く異なるものの、学ばなければいけない点は多そうです。大した額ではなくても、たぶん相続が発生するでしょうし、それぞれに連れ合いがいますので、万が一にも兄弟間で揉めることのないように、整理整頓しておく必要があります。

今のところ70歳を目処にしようと決めています。その歳になったら、いつ旅立っても良いように、きちんと後片付けをするつもりです。周囲に迷惑を一切かけずに旅立つというのは無理にしても、最小限にすることはできるはずです。

友人に学ぶことは多いと、痛感しました。

眉唾

■20220524(火曜日:晴れ)

我家の庭の柿の木です。黄色い花も咲き終わりました。

■今日は休養日です。6時に目覚ましを合わせて、ゆっくり休む予定でしたが、5時半に目が覚めて、そのまま起き出しました。生ゴミの日ですので、所定の場所に運んで、新聞を取って戻りました。避難生活も2週間になろうとしています。

文字通りの親友だったYさんが、突然亡くなったのが、我が家の改築工事が始まった、まさにその日だったのです。この家に住み続ける限り、忘れることは、ありません。

不自由な今の生活も、あと、まるまる2ヶ月続きます。一番スッキリしないのは、食事を摂る際に、テーブルの上に食事を広げることができない点です。いまはテレビを置いた机の上で食事しています。

二人で目の前に位置するテレビを見ながらの食事なのですが、食べた気がしません。同じ方向を見ながらの食事です。しかもテレビは大型ですので、ほとんど目の前にあると、拡大コピーの一部を見ている気分になります。長い時間は、とても視聴できません。

■ということで、テレビを見ることが、私はほとんど無くなりました。報道番組を見ていても、相変わらずプーチン大統領を非難するばかりの内容ですので、見るだけの価値がありません。その程度であれば、見るだけ時間の無駄です。何の解決にも結びつかないからです。

新聞も同じ傾向なので、最近は読む気がしなくなってきました。登場する専門家と称する人々の解説も、判で押したような内容ばかりです。ロシアはまもなく崩壊する、です。

コロナウイルス蔓延以来、専門家の皆さんの解説も、眉唾物になってきました。それが分かっただけでも、少しは進歩したということです。

■ぜひ以下のページを御覧ください。私の言わんとしていることの意味が、理解できると思います。一人でも多くの日本人が読まれることで、世論は大きく変わると思います。マスコミ報道のいかがわしさが、よく分かるからです。マスコミの罪は、本当に重いのです。

田中宇の国際ニュース解説 無料版 2022年5月22日

田中宇:中国と戦争しますか?

8年前

■20220523(月曜日:晴れ)

霧島市の城山公園です。420円で全て利用できます。家族連れで賑わっていました。富山の太閤山ランドを思い出しました。

■今朝は走りました。昨日は自治会の側溝清掃があって、一輪車を駆使して、いっぱいに積み込まれた汚泥を、3度も集積場に運びました。普段使うことはない筋肉を使いましたので、朝起きてみて腰痛に驚きました。

昨日は夜になって激しい雨が降りました。雨雲が近づいています、という警報がスマホに届いて、まさかとは思ったのですが、夜の9時を過ぎてからでしょうか、土砂降りになりました。

雨雲が近づいています、という警報が今朝も出たのですが、空を見る限り雨の心配はなさそうですので、走ることにしました。

今朝は、いつものように5時に目覚ましを合わせて起き出し、準備運動の後スタートしました。42分34秒、6.06kmを走り、今月は6回のランで36.12kmを積み重ね、目標の88キロまでは、残り8日で51.88kmのところまで来ました。

どう見ても目標達成は無理なのですが、6月5日の千歳JAL国際マラソンに向けて、少しでも積み重ねをしていくことが大切です。

大会委員会からゼッケンが、昨日送られてきました。いよいよ本当に走るのだなぁ、と思いました。さっそく写真に撮って、Takuに送ってあげました。

昔は2人で一緒に走ったものです。2014年が、最初の年でした。もう8年が経ちました。その間にTakuは結婚し、子宝にも恵まれました。本当にあっという間の8年です。

思い出

■20220522(日曜日:曇)

霧島市の城山公園です。420円で全て利用できます。家族連れで賑わっていました。富山の太閤山ランドを思い出しました。

■昨夜は友人Yさんの通夜でした。20年以上親しく付き合ってきたので、その寂しさはなんとも言えません。そして、少しずつその寂しさが実感されていくに違いないのです。一緒に温泉に出掛けたり、その後ゴルフを楽しんだりと、思い出は尽きません。

そんな中でも忘れられないのが、ロータリークラブでの共に過ごした思い出です。ロータリークラブの会長を私が務めたのが、2,000年から2,001年にかけてでした。ウインドウズ95が爆発的に売れてインターネットが、ようやく一般の人にも知られるようになってきた頃です。

とは言っても、スマホが普及して誰もが容易にメッセージをやり取りするのは、ずっと後のことです。21世紀に足を踏み入れようとする当時、会長として私が目指したのはクラブのIT化です。

当時まだキャンパスが沼津にあった、東海大学の視聴覚教室をお借りして、会員の皆さんとメールの講習会を開いたことも、今では楽しい思い出の一つです。

いずれ、どの組織もデジタル化は避けて通れない、というのが当時の私の認識でした。営利組織ではありませんから、デジカル化に乗り遅れたためにロータリークラブが潰れる、という可能性はありません。ただ時代遅れになるだけです。

そして次に取り組んだのが、クラブ週報の内製化でした。どのクラブでも会員の中に印刷業の方がいて、週報の作成は丸投げでした。経費もかかりますし、場合によっては発行が遅れることもありますし、何より会員が、その内容に無関心になりがちなのです。

そこで、各会報委員に仕事を分担してもらい、最後はパソコンで作成し内製化しようと考えたのです。それは今ほど容易な作業では、決してありませんでした。

さらに、会員内での反発は、思いの外大きな物がありました。会員の印刷業者から、いわば仕事を取り上げる形になることが一つ。そして、誰もがパソコンができるわけでもないのに、そうした段階でIT化を推し進めることへの反発もありました。「自分はパソコンをやるために、ロータリークラブに入ったのではない」と反発した会員もいました。

そんな中で、Yさんには将来を見据えた展望がありました。IT化は避けられない、という認識です。20年後の今、メールでなくてFAXで情報のやり取りをしている日本のあり方が、いかにも時代遅れとなり、今頃になってデジタル庁を作っているのが日本の現状です。まさに、周回遅れです。

衰退国家日本、と今頃になって叫ばれていますが、私に言わせれば、20年前から衰退は始まっていたのです。

そんな中でも、当時自分ではパソコンは自由にならなかったにもかかわらず、Yさんは自ら取り組みを始め、私の構想にも理解を示してくれました。一緒に取り組んだ頃は、本当に楽しい時期でした。

ただ会員間での反発もあり、私の後の会長を務めたYさんに、とばっちりが降り掛かったのは、本当に申し訳ないことでした。当時の会員の行動を振り返ると、大変勉強になることばかりです。変革期に望んで、人はどのように行動するか、というケース・スタディです。

変わらずにいる方が、人は楽なのです。いま不自由がないのに、なぜ変わる必要があるのか。多くの人は、そこで思考が止まってしまいます。そして、変わろうとする人の足を引っ張る輩(やから)が、立ちはだかるのです。自分が変わらずに済むために、人の足を引っ張る輩です。

たぶん、どこの組織でも当時、同じことが繰り広げられたはずです。そして変わることができた組織が生き残り、旧態依然の組織は衰退していったはずです。

20年経ってみると、誰の目にも明らかなことも、当時は薄ぼんやりとしか見えていなかったのです。

Yさんは、その後自らの会社の変革にも取り組み、全く新しい分野にも進出。今では、当時とは全く異なる分野に取り組む会社に変貌させました。社長は息子さんに譲っても、世の中の流れには、常に鋭い嗅覚を働かせ続けていたYさん。

ともに過ごした本当に楽しかった時間は、これからも私の貴重な財産であり続けるのです。

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