2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2019年11月 Page 1 of 3

戦後政治

■20191130(土曜日:晴れ)

松江城です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。昨夜はベトナムはればれ支援隊の忘年会を開催し、10月に行った支援の旅の総括を行いました。会計報告も行われ皆様から集めた旅費から、思ったほど現地で経費がかからなかった為、少しお返しすることができました。

大釜会長が手術を終えたばかりで体調がすぐれず、食事が一緒に取れなかったのは大変残念でした。奥様も来年で80歳になられるということで、会の運営の第一線からは退きたい、という申し出でしたが、これも致し方ありません。

残されたメンバーでできることを続けていくしかなさそうです。とりあえずは新年会を開いて、また話し合いましょう、ということで別れました。

家に帰り、あまりの冷え込みに、風邪でもひいたのかと心配しましたが、Sunの助言に従って葛根湯を一服飲んで、早々に休みました。今のところ体調は問題なさそうです。

■さて、今朝の新聞の第1面は、中曽根康弘元首相死去、と大々的に報じられています。「101歳、戦後政治の総決算を掲げ、自主憲法意欲、国鉄民営化」と、あります。さらに「政治主導で原発推進」とも書かれています。日本の原子力発電の父とも呼べるのでしょうか。

冷戦末期の国際情勢の中でレーガン大統領と親密な関係を築かれた印象が、とても強く残っています。戦後政治の総決算を掲げつつ、原子力発電の推進を行ったとあれば、目指すところは、原子爆弾を自前で持ち、米国の核の傘から脱し、対米従属から脱却するのが最終目的だったのでしょうか。

ただ一つ残念だったのは東京新聞の記事の最後の一節です。

本誌は福島第1原発事故後の2012年、こうした日本の原発導入の歴史を追った通年連載「日米同盟と原発」の取材のため、東京の事務所を訪ねて証言を求めたが、高齢を理由に応じてはもらえなかった。

福島における悲惨な原発事故を目の当たりにして、原発推進の父であった中曽根氏の思いを聞いてみたかったと思うのは私だけではないはずです。

今トランプ大統領が登場し、米国一極支配の世界情勢が大きく変わろうとしています。アメリカだけに忖度していればよかった時代は終わろうとしています。そうした意味では、今こそ求められている日本政治のテーマが、戦後政治の総決算であることは明らかです。

対米従属のもと、いわば「見ざる、言わざる、聞かざる」で戦後を送ってきた日本人が、これからどのように自分たち自身の知恵で国を運営していくのか。まさに正念場に差し掛かっているのではないでしょうか。

情報密度

■20191129(金曜日:晴れ)

松江城内のお茶屋さんで、いただきました。

■今朝は走るつもりでいたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょうか、起き出すことができませんでした。6時過ぎまで、ゆっくり休みました。今朝は久しぶりの青空です。

それにしても昨夜は冷え込みました。冷えるという予報でしたので、毛布を敷布の上にひいて寝たのですが、掛け布団が薄すぎました。夜中の1時近くに掛け布団を厚いものに替えました。それからは熟睡できたように思います。

■さて、今朝の東京新聞27面「本音のコラム」欄では、ジャーナリストの北丸雄二さんが、「日本語の情報密度」と題して書かれています。

言語における情報密度という言葉があります。話す速度や音節との関係でその言語がどれほどの情報を伝えているかを示すものです。それによると一番情報量が多い言語はベトナム語。その情報量を基準とすると、中国語は94%、英語が91%で、日本語はなんと49%なのだそうです。つまり、同じ速度で喋ると、日本人はベトナム語や英語の半分ほどしか情報を伝えていない。

と、いうことになります。これはもちろん話し言葉に限ったことのようですが、なかなか興味深く、また考えさせられる内容です。

十年前からベトナムにボランティア活動に出かけていますが、ベトナム語は未だにさっぱり分かりません。一時期YouTubeでベトナム語に挑戦してみたのですが、すぐにめげました。発音が難しすぎて、私には手に負えなかったのです。ベトナム語は情報密度が私には濃すぎるのでしょうか。

話し言葉ですから、書き言葉のように無駄な言葉がひとつもない、張り詰めたような文章というわけにはいきませんし、またそんな会話は極めて不自然だと思います。

話し言葉は対話、つまりはやり取りが基本となりますから、あまりそぎ落としてはクッションがなさすぎて、刺々しくなってしまいそうです。そんなことを考えているから情報量が減ってしまうのでしょうか。

何はともあれ、楽しい会話というのは何にも代えがたいひと時に違いありません。

教皇

■20191128(木曜日:雨)

松江城内の茶屋でいただいた、抹茶と和菓子です。

■今朝も走りました。昨日の天気予報では、今朝は80%の確率で雨でした。ということで、ダメで元々という気持ちで起き出したのですが、幸い雨はほんの少しぱらつく程度で走ることには問題ないと判断し、準備をしました。

目覚ましは5時に合わせてあったのですが、15分ほど前に目が覚めてしまいましたので、そのまま起きだして5時少し過ぎには、走り始めることができました。

今朝もいつものコースを6.16kmを走り、今月は16回のランで106.51kmを積み重ね、残り64日で193.48kmのところまで来ました。1ヶ月間の空白が確実に生じますので、その前後で可能な限り積み重ねるしか目標達成の可能性はありません。命を取られるわけではありませんので、出来る範囲内で頑張ってみるつもりです。

■さて、今朝の東京新聞社説欄では、「教皇の脱原発」と題して、ローマ教皇フランシスコの発言を解説しています。

ローマ教皇フランシスコは原発利用への反対を表明した。東日本大震災被災者らの悲しみの声を聞いた後での、踏み込んだ発言だ。核廃絶に加えて明確にした、脱原発の理想を共有したい。

また教皇は訪日からローマに戻る機中での会見で、こうも述べています。

日本が体験した、トリプル災害(地震、津波、原発事故)はいつでも起きる可能性がある、原子力利用は完全な安全性を確保するに至っていないという意味で限界がある。

さらに個人的な意見とした上で、

私は完全な安全性が実現するまで核エネルギーを使用しない。災害が起こらない保証が十分ではない。

とも述べられました。誠にもっともなご意見だと感じました。

世界でただ1人のカトリック教皇でなくても、普通の常識を持った人間であれば、この教皇フランシスコの意見と同じ思いを抱くのが当然です。

日本における原子力村と呼ばれる利益共同体の異常さは、まさに地球上に類を見ないものなのです。私たち日本人は、そのことをしっかりと心に刻む必要があります。

松江城

■20191127(水曜日:雨)

松江城の「ちどり茶屋」です。

■今朝も走りました。エプソンのホームページにランニングウォッチを接続して、データをアップロードすると、画面がお祝いのメッセージを告げてくれています。「連続で月間100kmを達成しました。おめでとうございます」。

普通の月でしたら、これでほっと一息、今月は目的の達成ができたと喜ぶのですが、今回はそうはいきません。十一月、十二月、一月と三か月間は来月の手術のために、三ヶ月で300キロメートルという異例の目標を立てているからです。

したがって画面では、今月は15回のランで100.34km、残り65日で199.65キロメートル、と記録されています。とにもかくにも、走ることのできる日は毎朝でも走っていかないと目標達成は難しいようです。今朝も小雨がパラつく天候でしたが、最後まで走り終えることができました。

今日は午後から雨が強くなるようです。気温も下がり寒い日が続いています。午後からは最後の就学時検診の当番があります。これで今年の学校検診並びに就学時検診の全てを終えることができます。一年が過ぎ去ろうとしています。

■今朝の写真は、松江城を見学した時に立ち寄った「ちどり茶屋」の写真です。ボランティアガイドさんの話を聞いて初めて知ったのですが、日本の三大和菓子どころというのが京都、金沢、そして松江だそうです。文化のある町なのです。松江ではお茶の消費量がダントツに多いそうです。

京都、金沢までは知っていましたが、松江がそれほどの文化を持っていたとは、恥ずかしながら知りませんでした。お城のある城下町は落ち着きがあり、とても良い街が多いように思います。松江も、その一つではないでしょうか。

江戸時代、200年を超える年月をかけて培われた文化の香りが、街のあちこちに残っているのです。これは一朝一夕に出来上がるものではありません。街の品格です。心洗われる思いに包まれるのです。

演技

■20191126(火曜日:雨)

足立美術館の庭です。

■今朝は4日ぶりに走り、6.14kmを積み重ね、今月は14回のランで94.1キロメートル。残り66日で205.80kmのところまで来ました。

来月半ばに手術を受けなければなりませんので、その後1ヶ月の休養が入ります。したがって、いつもと違って、3ヶ月で300キロを走るという目標に切り替えています。

あまりに長い期間の目標ですので、一体今自分がどの位置にあるのか、大変分かりにくいのですが、途中の休養を抜きにすれば、予定通りのようです。パソコンの画面は、そのように告げてくれています。

手術前に、どれだけ積み重ねをしておくことができるか、それが目標達成のためには、欠かせないことのようです。今朝は小雨がぱらつきましたが、走るには丁度良い天候でした。

久しぶりですので5キロ過ぎまでは足がスムーズに出ませんでしたが、5キロ過ぎあたりからはスムーズに走ることができて、しばらくの間でしたが、とても気持ちの良いランニングでした。

■今朝の写真は、足立美術館の庭の紅葉の様子ですが、雨の中でもとても美しく、あと2週間早ければ最高の彩(いろどり)だったかもしれません。

今年のベトナム枯葉剤被害者支援の旅のために購入した、Huaweiの新しいスマホのカメラはとても性能が良く、悪天候の中での紅葉の様子も、目で見ているよりも、むしろ美しく写真に残してくれるほどです。いわゆるインスタ映えというのでしょうか、Instagramなどのサイトに写真を公開するためには、こうした写真はとても有難いのでしょう。

人工知能を搭載していますので、今撮ろうとしている写真が、料理の写真なのか風景の写真なのか、それとも人物像なのか勝手に判断してくれることには大変驚きました。

足立美術館

■20191125(木曜日:雨)

足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市にある、近代日本画を中心とした島根県の登録博物館。運営は、公益財団法人足立美術館。130点におよぶ横山大観の作品と日本庭園で有名。

■今朝はゆっくりと休み、7時に起き出しました。今日は旅も終え、午後には飛行機に乗って帰らなければなりません。カーテンを開けてみると、どうやら雨が降っているようです。昨日までの青空が嘘のように、どんよりとした黒い雲が広がっています。

8時から朝食をとり9時には宿を後にして足立美術館に向かいました。今朝の写真にもある通り、島根県安芸市にある美術館で、地元出身の実業家、足立全康(あだちぜんこう)が1970年(昭和45年)71歳の時に開館しました。

今日はあいにくの雨でしたが、観光バスが10台以上駐車場に並び、全国各地から多くの人が訪れているようです。絵画はもちろんですが、その庭の素晴らしさに触れようと訪れる方が多いようです。ある調査では16年連続、日本一の庭園に選ばれたそうです。訪れてみると確かに、その素晴らしさは、私にも容易に理解できました。

創立者の足立全康の略歴が張り出されていましたが、まさに波乱万丈の人生だったようです。子供の頃はどうもあまり学校の成績は良くなかったようですが、商才があったのでしょう、丁稚奉公を経て、次から次に事業を立ち上げ、資産を築いたようです。

しかし立派なのは、それをこうした形で地元に還元しているところです。芸術には、お金がかかるのです。昔から芸術家にはパトロンとしての貴族が生活を支えていたのですが、近代社会になってからは、例えばオランダのように、裕福な市民が、それを支えるという形になりました。

公共のためにという形で、今では国家が多くの部分を支えています。日本では政治家の芸術に対する理解があまりないために、支援は期待できません。市民にも、そうした理解が進んでいるとも思えません。そういう点では、この足立美術館は成功例の一つに違いありません。

イギリスの大英博物館は、未だに入館料は無料だと思いますが、さすがは元大英帝国の領主だったことはあります。かなりの美術点が他国から言わば略奪してきたものであるとはいえ、大英博物館で保存されていなければ、今頃どうなっていたかの保証はありません。

昼食も食べずに美術館で全ての作品を見終え、雨の中レンタカーを返却するために松江空港に向かいました。15時35分発の富士山静岡空港行きのFDA便に乗って静岡に帰ってきました。

あっという間の3日間でした。そして楽しい3日間でした。また明日から日常が始まります。あと1ヶ月もすれば、大晦日になってしまいます。もう少し頑張るしかなさそうです。

ラフカディオ・ハーン

■20191124(日曜日:晴れ)

境港駅です。

■昨日は朝、静岡から松江空港に到着し、レンタカーを借りた後に出雲大社に行きました。穏やかで暖かく風もほとんどない絶好の参拝日和でした。本当にたくさんの人々が来られていましたが、出雲大社自体は思ったほど大きなものではありませんでした。こじんまりしているという印象でした。

■さて今日は、まず境港市に向かいました。隠岐島へ行く船が出る、あの港です。そして、ゲゲゲの鬼太郎で有名な町でもあります。NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」で一躍有名になりました。作者の水木しげるさんが生まれた町として知られています。

また駅の近くには「ゲゲゲの鬼太郎ロード」があり、これまた多くの観光客で賑わっていると聞きました。

写真にもある通り、駅前にはゲゲゲの鬼太郎の大きな絵が書かれています。向かって左側にあるのがJRの境港駅であり、正面は観光センターのようです。

駅前の駐車場にたまたま1台空きがあり、運良く止めることができました。まずは観光センターの中に入り、隠岐島へ渡る船の発着状況などを確認しようと思ったのですが、よくわかりませんでした。

外に出てきてみると、境港駅の前には、ゲゲゲの鬼太郎が机の前に座っているモニュメントがありました。

そうこうしていると、地元のボランティア観光案内の方が、ご一緒しませんか、と誘ってくださいました。おいくつぐらいでしょうか、もう70を超えておられると思いますが、4人で参加させていただくことになりました。

駅前からスタートし、しばらくすると、ゲゲゲの鬼太郎ロードが始まりました。長さは850メートルほどです。行政が提案されたそうですが、当初は商店街は猛反対で賛成する人は、1人もいなかったそうです。

結局のところ、商店街の一区画だけが行政の説得に応じて、ゲゲゲの鬼太郎モニュメントを設置することを承諾しました。今では年間300万人の観光客が訪れています。その経済的効果たるや想像を絶するものです。

全長850メートルほどの商店街は車道は車が2台、やっとすれ違えるかどうかの広さで、歩道をゆったりととってあります。両側には本当に一軒一軒商店が並んでいて、昔ながらの商店街という雰囲気が漂っています。

もちろん何軒か、所々歯が抜けたように空き地になっていたり、駐車場になっていたりしていますが、それでもぶらぶらと歩くのは、とても楽しいひと時でした。

そして一番突き当たりに近いところに、ゲゲゲの鬼太郎記念館がありました。ボランティアガイドをしてくださった地元の方には本当に感謝、感謝です。

ボランティアの方の話では、テレビ番組にもなった、水木しげるさんの奥様が書かれた「ゲゲゲの女房」は、実はほとんどを、ゴーストライターの方が書かれたそうです。世の中の本というのは、そうした場合が多いのかもしれません。少し割り切れない気もしないではありません。

■さて、車に戻って今度は松江城に向かいました。Sunのおすすめに従って、松江城の周りのお堀を巡る船に乗りました。船頭さんのお話では、現在60名ほどの船頭さんがいるそうですが、最近21歳という若さの方が加わったと喜んでおられました。

時期的には紅葉がほとんど終わりかけでしたので、少し色鮮やかさが落ちていましたけれども、それでも1時間弱、素晴らしい時を過ごすことができました。

船を途中で降りて松江城の大手門に向かいました。ここでも地元のボランティアガイドの方に、お世話になることになりました。女性の方でしたが、とても勉強熱心な方で、松江城の素晴らしさを熱心に教えてくださいました。

お礼を言って別れた後、城内の喫茶店で抹茶と和菓子を頂きました。

少し歩いて、次にたどり着いたのが、ラフカディオ・ハーン記念館です。松江といえば、なんといっても、ラフカディオ・ハーンです。

以前ラジオのNHK文化講演会で、ラフカディオ・ハーン記念館の館長をしておられる、ハーンのひ孫にあたられる小泉凡さんの講演を聞いたことがあります。

小泉八雲は14年以上でしたか、日本に滞在していましたが、そのうち松江にいたのは1年3ヶ月ほどにしか過ぎなかったのです。

凡さんのお話は、とても興味深く、いくつものことが記憶に残っているのですが、その中の一つにあるのが、まるで舞踏会のようだったというお話です。

小泉八雲は学生時代に事故で左目を失明し、右目も強度近視のために主力は0.1なかった、という凡さんのお話でした。しかし人間は一つの感覚が衰えると、他の感覚が研ぎ澄まされるものです。彼の場合は、聴覚でした。

松江の自宅で寝ていると、朝起きた時に松江大橋を渡る、地元の人達の下駄の音が聞こえてきます。そのカランコロンという音が、まるで舞踏会のように聞こえてきたというお話です。

八雲が英語教師として、島根県尋常中学に1890(明治23)年に赴任した際、名前のつづり「Hearn(ハーン)」を「ヘルン」と読まれたという。それ以来、生徒たちから「ヘルン先生」と呼ばれ、日本での愛称となった。本人も気に入っていたようで、妻のセツも八雲のつたない日本語を「ヘルン言葉」と呼んでいたそうだ。

「カラコロ」は、当時まだ木造だった松江大橋を下駄(げた)履きの人々が渡る音。八雲は『知られぬ日本の面影』の中で、松江に到着した翌朝に聞いた「大橋の下駄の音」を「忘れられない音」と描写している。

彼も魅了された音色ということで、観光スポットの名称などに「カラコロ」が冠されるのだ。

山陰

■20191123(土曜日:晴れ)

出雲大社に行きました。

■今朝は6時半に家を出発し、静岡空港に向かいました。松江空港行きの便に乗るためです。静岡空港発の国内便には、ほとんど乗ったのですが、松江空港行きには、まだ乗ったことが無かったのです。

東名高速道路は工事中で、混雑が予想されたのですが、幸いたいしたことも無く、予定通り30分以上前に到着しました。満席でした。飛行機はエンブラエル社製で、左右二席ずつ。こじんまりしていて、小回りが効くのでしょう。90席ほどです。三菱重工業のスペースジェットのライバルです。

一時間程の飛行時間。あっという間に着陸です。到着後はレンタカーを借りて10時15分には出発できました。

まずは出雲大社へ向かいました。30分で到着。駐車場確保に苦労しましたが、無料駐車場に何とか滑り込みました。内部は観光客で混雑。そこかしこに、参拝のための長い行列が見られました。風もほとんど無い、暖かな最高の観光日和。いつもの事ながら、お天気の神様に感謝です。

■さて12時を過ぎましたので車に戻り、日御碕灯台に向けて出発しました。天候は陽射しに恵まれ、むしろ暑いぐらいでした。途中見晴らしの良い食堂で昼食をとりました。一応民宿と書かれていましたが、今は食堂が中心のようです。夜に備えて軽い食事にと思い、私は海鮮ラーメン、Sunは普通のラーメンを注文し、少しずつ分け合って食べました。

日御碕神社を経て、13時過ぎには無事に、日御碕灯台に到着しました。180度水平線が見える、青空の広がる最高の見晴らしでした。海の蒼さと空の青さを満喫した後、今日の宿泊先である民宿「銀海」に向かいました。

15時前には民宿に到着し、ゆっくりとした後お風呂に入り18時から夕食をとりました。

目玉料理はアコウのお刺身、姿作りでした。西高東低と言いますか、関東ではあまり知られていないようですが、瀬戸内海や山陰では、とても人気のある高級魚だそうで、なかなか口に入らないそうです。その他アワビなど海の幸を満喫して、ぐっすりと熟睡できました。

バランス

■20191122(金曜日:雨)

バクザン省総合庁舎から見た定宿です。

■今朝も走りました。昨夜は勉強会があり、司会と座長を務めたあと、懇親会がありましたが、10時過ぎには家に帰り早めに休みました。

今朝も5時に起きて、いつものコースを6.12km走り、通算88.05km。残り70日で211.94kmのところまで来ました。3ヶ月間の長い戦いになります。

途中1ヶ月間は手術を受けた後ですので、走ることができません。その前後で、上手に無理をかけずに、目標を達成していきたいと考えています。

■さて、昨夜の勉強会の中で、糖尿病網膜症の専門家の先生の話がありました。糖尿病の管理、治療、そして網膜症の治療も以前に比べて格段に進歩し、重篤な視力障害をきたす患者さんは、かなり減少したとは言いながら、まだまだ手遅れに近い形で病院にやってこられる患者さんも多いのです。

特に病状が進んでからでないと症状が発現しないために、忙しい仕事の合間に病院を受診しない患者さんや、健康診断も受けていない中小企業の従業員の方も多いのです。

糖尿病の管理には食事と運動が基本ですが、忙しい毎日の中で、運動療法はとても難しいものです。となると、食事が一番の重要課題となるのですが、これについては未だに確定していない部分が多いようです。

つまり、どういう内容の食事をとるのが一番良いのか、という点において、カロリー量を治療の最優先事項とすべきなのか、それとも糖質量を最重視すべきなのかという点においてです。以下の本を読むと、答えは出ているように思うのですが、様々な意見があるようです。

『糖質制限の真実 日本人を救う革命的食事法ロカボのすべて (幻冬舎新書)山田 悟 著』。山田悟先生が書かれていたことの中で、特に記憶に残った言葉に、「食事で一番大切なのは、バランスである」という指導は、ほとんど何の意味もなさないという言葉でした。

バランスよく食事をとりましょう、という言葉は、一見もっともらしく聞こえるのですが、実は何を言っているのか、よく分かりません。まるで、どこかの環境大臣の発言と、そっくりなのです。

山田先生は適切な糖質制限食、つまりローカーボハイドレート(ロカボ)食が、患者さんを救うのだと主張されています。そして、それを裏付ける研究結果を示してくれています。

食事をした直後から血糖上昇をきたす精製炭水化物、つまりパンやパスタあるいは白米、うどんなどの食事が、血糖値の急激な上昇をきたすのです。これこそが、諸悪の根源なのです。

ところが以前、友人と話していて感じたのは、立派な知識人でありながらも、そうした食事の内容について話をしていて、最後にその方が話すのは「食事で一番大切なのはバランスだよね」と、なってしまう点なのです。

まだまだ一般の方に、こうした大切な栄養学の基礎知識というものが、行き渡っていないということを痛感するのです。

戦略

■20191121(木曜日:晴れ)

バクザン省での昼食です。ベトナムの典型的な料理です。

■今朝は昨日に続いて走りました。6.15kmを走り、これで今月は12回のランで81.92kmとなりました。普段でしたら、残りあと10日で20キロ弱ですから、余裕で目標を達成できるのですが、12月半ばに手術を受けなければならず、その後1ヶ月ランニングができません。

そこで目標を変更したのですが、昨夜もう一度考え直したところ、どうやら再度目標設定を変更した方が賢明のように思いました。つまり11月、12月、1月の3ヶ月で300キロを走るという目標設定です。

そうして目標設定を変更してみると、パソコンの画面では11月1日から来年の1月31日まで92日間で300キロとなります。今朝、6.15kmを走り、これで300キロの中81.92kmを走り、残り71日で218.07kmが残っているという計算になります。

とにかく走れる日は、雨さえ降らなければ確実に走っていかないと目標達成は困難そうです。

■さて、今朝の東京新聞四面「視点」では、大変興味深い記事が掲載されています。それは「穀物大国ロシアの復活  小麦は最大の輸出国に」と題されています。

1980年代、ソ連は世界最大の穀物輸入国であり、国際市場の動向を左右していました。非効率で生産性の低い農業はソ連のアキレス腱だったのです。ところが今やロシアは指折りの穀物大国となりました。

さて、最後の部分で日本にとっても見逃すこともできない重要な指摘がなされています。それは以下の通りです。

穀物ではないが、ロシアの極東地域は大豆の一大産地だ。日本は大豆を年間300万トン以上輸入するが、その7割は米国産。ロシア産大豆の輸入は微々たる量だ。しかし、日本に近い地の利の良さに加え、ロシアでは遺伝子組み換えの作物の栽培は禁じられていることもセールスポイントになる。

日米 FTA の締結で、訳の分からない遺伝子組み替え作物を強制的に買わされる、これからの日本を考えると、国の未来を真剣に考え、戦略的な外交を行っているのだろうか、と疑問に思わざるを得ないのです。

今の政権は一体誰のために政治を行っているのか、国民はそのことに、いち早く気付くべきなのです。

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