■20200224(月曜日:晴れ)休日

札幌雪祭りの雪像です。今年は外国からのお客さんが少なく寂しい大会でした。

■今日は昨日と異なり、風もそれほど吹いていません。穏やかな晴天の朝です。昨日は午後から10キロを走りましたので、今日は休息日です。

今日こそはゴルフに行こうと思って起きたのですが、調べてみると、ららぽーとシネマサンシャインで、あの「パラサイト」が上映されていることを知りました。アメリカ・アカデミー賞で初めて、外国作品がアカデミー作品賞を受賞した、今年は歴史的な年でした。

アカデミー賞の歴史を調べてみると、第1回が1929年であり、受賞作品が「つばさ」となっています。私が知っている作品としては、1931年の受賞作「西部戦線異常なし」です。そして1940年には、あの「風とともに去りぬ」が作品賞を受賞しています。

そんな90年を超える歴史の中で、外国の作品が初めて受賞したのですから、これは大したものです。韓国は金大中大統領の時から、文化芸術に対して、国の一つの大きな産業として力を入れて育成してきました。韓流ドラマは、その成果のひとつです。

人材の育成に国を挙げて取り組んできましたから、優秀な人材が次々と生まれてきているのです。私も一時むさぼるようにして見た韓流ドラマの「不屈の嫁」は、脚本がとても良く出来ていると感心したものです。

残念ながら、今の日本のテレビドラマの水準とは一つ次元が違うようにすら、私には感じられます。日本のドラマは作りが、ちゃちなのです。時間も金もかける余裕がない、というのが実態ではないでしょうか。

作っている方々に才能がないわけではないのです。資源が乏しいのです。日本自体が貧相に、ちゃちになってしまったと、こんなところでも感じざるを得ないのです。

■さて昨日は読書タイムとして、橘玲著「(日本人)かっこ日本人」を読み進めました。橘玲(たちばな・あきら)さんの本は、先日「マネー・ロンダリング」を読み終えたのが初めてでしたが、飽きさせない、その筆力には感嘆しました。以前に購入してあった「日本人」を今日は読んでみたのですが、これも飽きることがありません。

私が一番不思議だと思うのは、1945年以前の日本人と戦後の日本人が、同じ国民とは、どうも思えない点です。最近までの日本人は、温和で他者に優しく争いを好まない、誰からも愛される人々という印象だったのですが、戦前の歴史を虚心単回に眺めれば、アジア諸国に対する残虐行為の数々は、どう見ても辻褄があいません。なにかのウイルスに感染して、熱病にうなされての行為とすら見えるほどです。

しかし橘玲(たちばな・あきら)さんの本を読むと、その疑問に対する答えが、読み取れるのです。もちろんそれだけで、全ての疑問が雲散霧消するわけではないのでしょうが、なるほどと私などは得心するのです。いくつか要点を引用させていただくと、

明治から太平洋戦争にかけての戦争の歴史を見れば、「日本人は平和を愛する国民だ」とは明らかにいえない。それが戦後になっていきなり「厭戦」になってしまったのだから、戦前と戦後には決定的な「断絶」があるはずだ──。精神分析学者の岸田秀が、『ものぐさ精神分析』などでこうした主張を展開したことはよく知られている。

しかしこうしたフロイト的な物語(というか「お話」)を持ち出さなくても、戦争に明け暮れた「戦前」と平和を愛する「戦後」は、日本人が世界でもっとも世俗的な民族だということから一貫して説明できる。世俗的というのは損得勘定のことで、要するに、「得なことならやるが、損をすることはしない」というエートスだ。

そんな戦前の日本人にとって、台湾を植民地化し、朝鮮半島を併合し、満州国を建国することは、生計を立てる選択肢が増える「得なこと」だと考えられていた。彼らはきわめて世俗的だったからこそ、熱狂的に日本のアジア進出を支持したのだ。

これを見て日本人は、自分たちが大きな誤解をしていたことに気づいたはずだ。戦争は、ものすごく「損なこと」だった。朝鮮戦争やベトナム戦争を見ても、アメリカは自国の兵士が死んでいくばかりで、なにひとつ得なことはなさそうだった。

日本人の「人格」は、岸田のいうように戦前と戦後(あるいは江戸と明治)で分裂しているのではなく、私たちの世俗的な人格はずっと一貫していたのだ。

敗戦を迎え、マッカーサー元帥を訪問した昭和天皇とのツーショットを新聞紙上で確認させられた国民は、日本を支配するのが天皇ではなくて、これからはマッカーサー元帥なのだ、と痛感したのです。そして日本中から50万通にも及ぶ、元帥への、お願いの手紙が殺到するのです。その切り替わりの速さは特筆ものですし、節操がない、と言えなくもありませんが、その時点では、どちらにご利益があるか冷静に判断すれば、手紙の送り先はマッカーサー元帥と結論されるのです

岸田秀さんが指摘しているように、日本国民は明治以来、精神的な分裂状態にあり、戦前・戦後で全く別の人格になっているのだ、という説を、橘さんは真っ向から否定します。日本人は万葉集の時代から何も変わっていない、というのです。実に読んでいて面白い内容です。目を開かれます。