■20210928(火曜日:晴れ)
■今朝は走りました。残り3日となりましたので、その3日で20キロを走らなければなりません。なかなかに高いハードルです。昨日もゆっくりと、ぬるめのお風呂に入り、早めに休みました。
4時半の目覚ましで起き出して、生ごみを所定の位置まで運び、準備運動の後スタートしました。今朝は校庭にたどり着いてから、タイマーを60分に合わせて再スタートしました。
結局今朝は1時間7分6秒、10.07kmを走り、今月は11回のランで89.47kmを積み重ねました。月100キロ走までは、残り2日で10.53kmとなりました。
あと、もう少しなのですが、そのもう少しが、なかなかに大変なのです。幸い台風も進路が変わり、月末にかけて朝、雨が降ることはなさそうです。あと二回チャンスがあるので、何とか目標を達成したいと楽しています。
■さて、今朝の東京新聞十面、「昭和遠近・短歌に見る時代相」は、デパートについて書かれています。「ぜいたくに ささやかに」と題されています。
「けだものはかつてデパートの屋上のR(アール)の階に飼われてゐたり」
作者の大森益雄の子供時代、昭和25年(1950年)から、昭和35年(1960年)あたりの回想だろうと、島田修三さんは書かれています。
島田さんの家では夏と暮れの年二回、一家でデパートに買い物に行かれ、よく行ったのは東京駅八重洲口の大丸百貨店と日本橋三越だったそうです。
お父様の勤務する建設会社は経済成長と共に上場企業に発展し、サラリーも順調に上がっていたようです。夏と暮れのボーナスの季節には、デパートならではの買い物をして、銀座でちょっと気取った食事をするのが、島田さんの一家の祝祭めいた恒例行事となっていたようです。
お父さんもお母さんも子供達も、よそゆきを着て、ウキウキした気分で、東京駅や銀座界隈に出かけていたそうです。
これを読むと、当時埼玉県川口市に住んでいた我が家も、似たような恒例行事があったことを思い出しました。
私の父は中小企業のサラリーマンでしたから、島田さんほど贅沢はできなかったようですが、それでも似たような祝祭めいた恒例行事となっていたのです。
デパートの食堂で食べた料理は、普段滅多に食べられない、ごちそうだったように記憶しています。その場の雰囲気もあったに違いありません。
最後に島田さんはこう書かれています。
ある時期までのデパートは、庶民の憧れや夢を豪華な施設やオシャレな商品をを通してそそり、実現する役割を果たしていたといえる。
憧れや夢の彼方には、欧米市民社会の豊かな生活があったはずだ。それには遠く及ばぬが、私たち戦後サラリーマンの子も大人とともに、ささやかな消費や娯楽の醍醐味をデパートで堪能したのだった。
そして、戦後76年経った今、コロナ禍も相まって、デパートは存亡の危機に立っているのです。
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