■20210907(火曜日:晴れ)

沼津市大瀬神社の錨です。航海の安全を祈る場だったのでしょう。

■今朝は起きるつもりで、目覚まし時計を合わせてあったのですが、目覚まし時計の鳴った時、体はベッドに縛り付けられているかのごとく、起き出すことができませんでした。

まだ、疲れが完全に取れていないのかもしれません。無理をしても仕方ありません。

幸い日曜日に長距離を走りましたので、ひと月単位で考えれば目標の積み重ねはできています。明日はさらに積み重ねをするつもりです。

昨日は御殿場から見た富士山に、初冠雪があったと報道されていました。今朝、我が家の屋上から見てみると、雲に隠れて富士山の頂が、白く雪化粧をしていました。やはり富士山は雪と共に、その美しさが一段と映えます。

今朝は、本当に爽やかな青空と、冷ややかな空気を感じることができました。先日までの、むっとするような暑さは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか、と不思議なほどです。

今朝の富士山です。雪化粧を見ることができました。

■さて、今朝の東京新聞「昭和遠近  短歌に見る時代相」、第86回は紙芝居について書かれています。「ただ見許さぬ小父さん」と題されています。

紙芝居といえば、そのヒーローは黄金バットでした。「水飴と 梅ジャム煎餅手に持てば 黄金バットは正義の味方」。作者の八木幹夫さんは昭和22年生まれ。歌集「青き返信」の中の一首です。

この欄の筆者、島田修三さんは幼い頃、家のあった東京池上の町に、徳持神社という神社があったそうで、そこに紙芝居の小父さんが来ていたことを記憶しています。

ところが、島田さんには小さい頃、買い食いの習慣がなく、毎日の小遣いももらっていなかったために、この紙芝居の見物料としてのお菓子を買えなかったのだそうです。

紙芝居の小父さんは、お菓子を買わない子は見るなと断言したかどうかは定かではないが、私はそう理解して紙芝居から遠ざかった、と島田さんは書かれています。

「叱られて 小遣い無き兄と吾 離れて遠き紙芝居聴く」。八木さんの「紙芝居」と題された一連には、こういう歌も入っています。

島田さんは、小父さんの冷淡な言葉に、子供なりの屈辱を感じたのかもしれない、と書かれています。その後は、小遣いを貰っても見に行こうとは思わなかったそうです。そして、最後にこう書かれています。

紙芝居の黄金バットを懐かしむ同世代の友人もいるが、そんなわけで私はこの戦前戦後を通して人気の絶えなかった定番のヒーロー劇をほとんど知らない。

私も紙芝居は一度か二度見た記憶はあるのですが、なぜか夢中になることもなく、残念ながら、島田さん同様ほとんど覚えていないのです。