■20220208(火曜日:曇)
■今朝の写真は、水仙です。冬の句として、「水仙の 花の高さの 日陰かな(河合智月)」が有名です。感受性の乏しい私は、ただそれだけ?、としか感じなかったのですが、ネットによれば、rindouさんは、こう書かれています。
水仙は早春に咲きます。他の植物がまだあまり伸びていないうちに。 他の草花が生い茂っていると水仙くらいの高さの植物など目立ちませんが、早春に水仙が咲くころには、まだ閑散とした庭です。 寂しかった庭にやっと水仙の高さの日影ができたな、と春の訪れを嬉しく思ったのではないでしょうか。
■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。とは言っても、この年になると、なかなか熟睡、あるいは爆睡できないものです。自然と目が覚めてしまうのです。
今朝も5時半に、目覚ましを合わせてあったのですが、5時前に目が覚めてしまい、あとはウトウトと夢を見ながら、目覚まし時計が鳴るのを待っているような状態でした。
昨日の朝、走りましたので、今日は休養日です。疲れ具合からいけば、今朝も続けて走ってもよかったのですが、やはり続けて走ると疲れが溜まってしまって、かえって体調を崩しそうで怖いのです。
■さて、今朝の東京新聞10面には、「やわらか文化論・ポップカルチャーのススメ」と題して、宗教学者の内藤理恵子さんが書かれています。今日は「一休さん・とんち小僧見事な脱皮」です。
室町時代の禅僧・一休宗純の幼少期をモチーフにしたアニメ「一休さん」は、1970年代から80年代にかけてテレビ放映されました。
可愛らしい一休さんが、いつもと同じ楽しい世界から、決定的に変化したのは最終回でした。
修行と言いつつも、楽園の住人であった一休さんは、幸せな日常に埋没している自身を客観的に見るようになり、「このままではいけない」と外の世界に飛び出すのです。
ラストシーンは、旅に出る一休さんが歩く曲がった道が「悟りへの道をしめす真っすぐな道と金色の雲、浄土を思わせる夕日」という抽象表現に置き換わります。最後に内藤さんは、こう書かれています。
最終回直前までは「とんち小僧」という型にハマったキャラであり、最終回では蝉が脱皮するように後者のタイプ(性格の変化を読者に見せるラウンド・キャラクター)となります。
作務を積み重ねて悟りに至る禅僧の心の旅路を、アニメキャラクターの特性を逆手に取って描いた見事な結末だといえるでしょう。
■一休さんのアニメは、私も見た記憶があります。ほのぼのとして楽しい番組だったことを覚えていますが、そのような劇的な展開が、最後に待っていたとは知りませんでした。また見る機会があったらぜひ、最終回を見てみたいものです。
コメントを残す