■20220227(日曜日:晴れ)
■今朝はゆっくりと休みました。目覚まし時計を6時に合わせて、昨夜の11時から久しぶりに、ゆっくりと眠ることができました。最後の1時間ほどは、夢の中でウトウトと過ごしました。幸い悪夢のような夢ではなく、のんびりと夢の中で過ごすことができました。
今日は結婚記念日です。40年になります。本当に今となっては、あっという間の時間でした。幸い3人の子宝にも恵まれ、それぞれが自立して生活していますので、今のところ特に心配なことはありません。何より健康でいてくれていることが、一番ありがたい点です。
■今朝の東京新聞「こちら特報部」では、7月に閉館される予定の岩波ホールについて書かれています。世界の名画を発掘し続けてきた、あの岩波ホールです。
題名には「名画発掘、岩波ホール、7月に閉館、異文化理解の道しるべ、公開中「金の糸」継ぎ合わす願い込め」と、あります。
岩波ホールが開館したのは1968年。岩波書店社長だった岩波雄二郎氏が私財を投じ、多目的ホールとしてスタートさせました。義理の妹であった高野悦子さんを総支配人に指名し、「良いことだったらなんでもやって良い」と任せたそうです。
映画に特化するようになったのは1974年からで、インドの「大樹のうた」上映をきっかけに、世界の名画を発掘する「エプキ・ド・シネマ」(フランス語で「映画の仲間」)運動を高野さんらが立ち上げ、岩波ホールがその拠点となりました。
これまで岩波ホールが映画を発掘してきた国・地域は65に及び、紹介した作品は270を超えているそうです。
しかし、最近では動画配信サービスが拡充したのに加え、コロナ禍が追い打ちをかける形となりました。動画配信でも観客数は減ったのですが、コロナ禍で皆さん来られなくなって、そういう方々が仕方なく動画配信に流れてしまった、というのです。
岩波ホールは原則として1日4回上映されていましたが、まる1日の入場者数が、かつての1回の入場者数に満たない日も続いたというのです。1人も入らず、映写機を途中で止める日もありました。
日本のスクリーン数を見ると、大型劇場では増加していますが、4スクリーン以下の映画館に限ると、2000年の1,401から、昨年末の419スクリーンにまで減少しています。
こうした中、映画配給・宣伝を担う「ムヴィオラ」の武井みゆき代表は「質の高い映画文化の存続について映画人は真剣に考えていかないといけない」と強調されています。
国の文化予算がフランスの8分の一、韓国の10分の一程度という日本の公的支援の乏しさも、しばしば問題にされますが、武井さんはこう語っておられます。
公的助成を受けた映画監督が政府批判をすると、税金を使っていながらけしからんとされる。そんな誤った認識があるうちは、公的支援に多くを頼れない。
文化に対する政治の支援の乏しさは、そのまま、政治家の皆さんの文化に対する思いと並行するのではないでしょうか。
文化の持つ力というのは、本当に巨大なものです。「冬のソナタ」が与えた日韓関係への影響力を思う時、その力は軍事力よりも何よりも強力だ、と痛感せざるを得ないのです。
この問題を考える時、日本という国全体の衰弱を、ひしひしと感じるのです。
■26日に李御寧(イ・オリョン)元文化相が亡くなられました。ネットによると、以下の通りです。
「『縮み』志向の日本人」( 1982 年)の著者としても知られる韓国の文芸評論家、李御寧(イ・オリョン)元文化相が 26 日、死去した。88 歳。聯合ニュースが報じた。
李氏は中央日報、朝鮮日報など韓国各紙の論説委員や梨花女子大教授を歴任し、1990 年、盧泰愚(ノ・テウ)政権で新設された文化省の初代大臣に就任した。「『縮み』志向の日本人」では、箱庭、盆栽などを例に挙げて小さいものに〝美〟を見いだす日本人論を展開、ベストセラーとなった。
「『縮み』志向の日本人」は、とても興味深く、斬新な視点から日本文化を論じた名著です。私も読破しようと思いながら挫折しています。確か文科相として、現在に至る韓流ドラマや韓国映画の基礎づくり、そして発展に尽力されたはずです。
透徹した歴史眼から文化の力を信じていたのです。残念ながら、日本にはこれだけの政治家が見当たりません。心からご冥福をお祈りします。
Nonちゃんが用意してくれた、豪華な花束が文字通り、華を添えてくれました。
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