2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2023年11月 Page 1 of 3

日帰り参加

■20231130(木曜日:晴れ)

北海道・ノーザンホースパークです。
今年のトレイルの時には、完走後に、
ここで着替えました。

■昨日は終日強風が吹き荒れました。気象情報では、北海道の日本海側、オロロン街道に沿った地域が暴風雨に襲われています。今日には大雪になると伝えています。

以前、夫婦でこのオロロン街道をドライブしました。2015年、そして2020年9月にも、この道を宗谷岬に向けて走ったのです。2015年の時には、宗谷丘陵からサハリンが見えました。年に何度も見ることができないはずです。

運が良かったのでしょう。8月の末に出掛けたのですが、夕暮れ近くなると、もう肌寒いのです。民宿の部屋には、ストーブが置いてありました。

NHKの番組「ブラタモリ」が、今年この宗谷丘陵を訪れました。かなり風が強いという画面の様子でしたが、年間の風の吹く様子を調べてみると、決してその日だけ強かったわけではないようです。

宗谷丘陵には風力発電のための風車が、まさに林立していますが、年間を通じて風には恵まれているのです。今頃は、もう吹雪になっているかもしれません。

■今年は、もうマラソン大会への参加予定はありません。来年どうするか。思案のしどころです。役職も整理しましたし、休日も増えますから、大掛かりでなくとも、通える範囲内の10キロ走の大会に、それこそ足繁く通うのも、一案です。

大会に参加し始めた頃は、リュックを背負って電車に乗って、日帰りで出掛けていました。そんな形で参加できる大会を探してみるつもりです。

大腿四頭筋

■20231129(水曜日:晴れ)

2023/05/14 初めて参加した
北海道ノーザンホースパークマラソンです。

■昨夜はフィットネスクラブに出かけて、軽く筋トレをしました。まだまだ筋肉痛が癒えていないのですが、血行を良くして疲労回復を図ろうと考えました。

太ももの大腿四頭筋を鍛える器具を始めたところで、気付きました。山登りのコースを走るには、ここを鍛えないと駄目なんだ、ということを。数回試したところで、もう太ももに力が入りません。

今の倍の筋力がないと、ふじかわのコースをしっかりと走ることは無理そうです。そうした事に気づいただけでも、参加した意味がありました。ただし、今から鍛え直すのは、ハードルが高すぎるので、平地限定になりそうです。

■今月は、63キロ弱走ることができましたが、来月はもう少し積み重ねたいと思っています。筋トレとも合わせて、いろいろ工夫してみるのは楽しいものです。

筋肉痛

■20231128(火曜日:晴れ)

マラソンコース沿いの民家です。
一段低い棚田のような場所には、
ミカンがたわわに実っていました。

■昨日は終日、太ももの筋肉痛に苦しみました。と言っても、階段を上り下りしたり、しゃがんだりしなければ、とくべつ普段と変わりないのです。登り坂を必死に走ったのが原因です。フィットネスクラブのランニングマシーンだけで走っても、鍛えられません。

今回の富士川マラソンへの挑戦は、トレーニング不足の上に、下調べが足りませんでした。コース図を見ただけでは、あの山登りは想像できませんでした。

調べてみると、千歳JAL国際マラソンコースでの、ハーフでの高低差は50メートルほど。フルの部でも、150メートルほどです。しかも、その急峻度は、ずっとなだらかです。ところが、ふじかわでは、スタートして8キロを走った後、次の7キロの間に、2回も高低差150メートルの上り下りが待っていたのです。壁を登るようにすら感じたほどです。

これでは私の走力では、お手上げ状態です。本当に参りました。その結果が、いまも続く太ももの筋肉痛です。いつまで続くのか、きちんと記録しておかないといけません。

脱水症

■20231117(月曜日:晴れ)

ふじかわキウイマラソンを走りながら、
こんな景色も楽しめました。

■昨日は初めて「ふじかわキウイマラソン」に挑戦しました。写真のとおり、天候は無風で時折青空の覗く、絶好のマラソン日和でしたが、コースが私には過酷すぎました。

あえなく討ち死にです。ハーフでしたが、制限時間は2時間30分。あと2キロを残して制限時間まで10分となり、最後尾を走る運営車に収容されてしまいました。途中棄権です。

59歳の時から大会に参加し始めましたが、途中棄権は今回が最初です。棄権した3名と一緒に、会場まで運営車が運んでくれました。それでも、走って会場まで行く人が、何人かいました。

会場に戻って参加賞をもらい、13時のシャトルバスで富士川駅に戻り、遅れていた東海道線で原駅に到着。Sunが迎えに来てくれました。家に着いたのが14時でした。

帰ってみて、ふと気づいたのは、走り終えてから何も口にしていないことでした。水分も食事も何も摂っていないのです。何かを飲もうとする気も起きませんでした。体重を測ってみると2キロも減っています。脱水なのです。

高齢者が部屋の中で、知らないうちに熱中症になって命を落とすことがある、とはテレビでよく聞きますが、それに近い状態でした。感知機能が衰えているのでしょう。

家に帰って、200ccのホットミルクとバナナ1本を食べて、あとはひたすら寝るしかありませんでした。

■今朝は、太ももの筋肉痛が酷く、いままでのマラソンとは、明らかに違っていたのが実感できます。また来年、いろいろ挑戦する予定です。

ふじかわ・キウイマラソン

■20231126(日曜日:曇)ふじかわキウイ・マラソン:月間50キロ走達成

ディープインパクトの母親です。人間なら90歳ですが、北海道で余生を送っています。

■今日は「ふじかわ・キウイマラソン」に初めて参加します。東海道線で、15分ほどの距離にある富士川駅からシャトルバスで、会場の富士川体育館まで行く予定です。何しろ初めてのコースなので完走できるか不安です。

コースは高低差が結構ありそうで、2度の上りが、どれほどキツイか、それが一番の懸念です。まぁ、とりあえずこれから、Sunに駅まで送ってもらう予定です。

ディープインパクトのお母さんのように、走ることができると良いのですが。

行ったり来たり

■20231125(土曜日:晴れ)

北海道「道の駅 あびら D51 ステーション」です。
地元産の食材を使った数々のパンです。

■昨夜は本当に寝付けませんでした。原因は不明です。いつものとおり、22時過ぎには布団に入り、キンドルで20分ほど読書をしてから、消灯しました。

ところが、それから延々と、眠りに入ることができませんでした。自分では眠れないと思っていても、意外と寝ていることは、スマートウォッチの睡眠診断アプリで判明していますので、焦りはあまり無かったのですが、さすがに日付が変わる頃になると、いささかイライラしてきました。

昨夜もフィットネスクラブに行って、軽めの筋トレをしましたが、一つの器具の負荷が、思ったより強すぎたのかもしれない、などと考えていました。

あるいは、いつも服用する漢方薬を飲み忘れてはいないか。確か飲んだはずだ、と自問自答したり。行ったり来たりです。

■午前中で仕事も終わって、いつもなら出かけるところなのですが、さすがに今日は大人しくしている方が賢明です。右腰の筋肉痛は、腹筋・背筋の鍛錬時に負荷を上げすぎました。筋肉痛ですので、時間とともに軽快してきています。走ることには支障は無さそうです。

昼食後に一休みしてから、明日の準備に取り掛かりました。まずは明日着用のTシャツにゼッケンの装着です。案内には、胸に装着のこと、と指示があります。付属の安全ピンで止めるのですが、生地を痛めるので本当は他の器具で止めたいのです。

両面接着テープで、以前代用したことがありました。安全ピンは、外すのも面倒ですし、処分するのも手間です。でも確実なのはピン止めです。

ランニング・シューズには計測タグを付ける必要があります。これは針金バンドで容易に装着可能です。

■さて一番の悩みは、荷物をどうするかです。明日は一人での参加です。スマホや小銭、保険証などの貴重品はランニングポーチに入れて、そのまま走りますので問題ないのですが、着替えなどをどうするか。

スタート時点でフリースを着て走り出すか、Tシャツ一枚で走り出すか。高野コーチのアドバイスでは、フリースを着たほうが良い、ということでした。一番小型のランニングバックに荷物を積んで出かけますから、ビニール袋と着替え用のTシャツ、タオルはバッグに入ります。

そのバッグを、どうするか。預ける人がいませんから、コインロッカーに入れておくか、満杯なら背負ったまま走ることも可能です。背負ってハーフを走ったことは今までないのですが、海岸を一人で走る時は背負って走っていますので、要領は分かります。明日の状態で決めましょう。

暑くなりますので、フリースは途中で脱ぎます。となると、それをバックにしまっておくか、腰に巻いて走り続けるか、どちらかです。バックは背負って走ったほうが良さそうです。

■今夜は熟睡できると良いのですが。

意識からの脱却

■20231124(金曜日:晴れ)

「道の駅 あびら D51 ステーション」です。
地元産の食材を使った数々のパンです。

■昨日は休日でした。最高のお出かけ日和でしたが、大人しくしていました。マラソン大会前三日間は、とにかく静養です。それが、いままでの経験からの鉄則です。

それでも午後から、新沼津カントリークラブに出かけて、少しだけアプローチの練習をしました。持って行ったのは、ピッチング・ウエッジとサンドウエッジだけ。

前回のラウンドで痛感したのは、ピンまで50ヤード以内からアプローチする時、残った距離よりも、残ったラインをイメージしてアプローチすることの大切さでした。

なるべく真っすぐの、上りのラインを残すことの重要性です。たとえ多少距離が長くても、その方が確実に2パットで、上がることができる可能性が高いのです。上手な人は、必ずしている戦略です。

新沼津カントリークラブのグリーンは、早い上に傾斜もあり、たとえ1メートルでも下りに付けると、3パットすることが結構あるのです。4パットすら、ありえます。

3メートル残っても上りであるなら、3パットの可能性は格段に減ります。少しでも、ピンの近くに寄せようと無理をして、結局下りの難しいラインを残してしまうのです。

ということで、昨日は30ヤードのアプローチ練習では、上りパットを残すように、それだけを意識して、繰り返し打ちました。40球ほど打ってみると、ボールが練習グリーンの片側にのみ、見事に集まりました。

これを意識してプレーするだけで、スコアは5打は縮むはずです。いや、もっとかもしれません。ピンの近くに寄せたいという意識が、どうしても優先してしまうのです。この意識から脱却するのは、アマチュアには、かなり難しいのです。

まぁ、気づいただけでもマシだと思って、次回はそれだけを意識して、プレーしてみるつもりです。

無に還る

■20231123(木曜日:曇)勤労感謝の日

北海道安平町産
「令和5年玉ねぎドレッシング」です。

■今日は休日。勤労感謝の日です。週の中日に休日があると、一週間があっという間です。26日の富士川マラソンに向けて、休養モードに入りました。フィットネスクラブに行って、昨夜は久しぶりに目一杯筋トレをしました。

腹筋・背筋鍛錬器具の負荷を一段階上げてみました。少しずつハードルを上げて来ています。整理体操代わりの時には、軽めの負荷。そして、頃合いを見計らって負荷を上げています。

昨夜の加重で、軽い腰痛になってしまいました。今朝は朝食後に、湿布を貼って消炎を図っています。年寄は、これだから困ります。無理をせずに安静です。

■さて、以下の記事には考えさせられます。

★「全部、虚無」ファミリーの歴史刻んだ石原慎太郎邸が解体
番記者が見た素顔と死生観「我が骨は海に散らせ」

毀誉褒貶は、誰にもつきものですが、華麗な人生を歩んだ石原さんの思いは、誰にとっても無縁ではありません。記事には、こうあります。

生前、「人間は死ねば意識がなくなるので、死ねばそれっきり。もう全部、虚無。全く何もなくなる」と語っていた、石原慎太郎さん。

遺言状には、「葬式不要、戒名不要、わが骨は必ず海に散らせ」と記されていたという。石原ファミリーが時を刻んだ石原邸は、慎太郎氏の遺骨と同様、無に還る。

誰の人生も、無からスタートしています。私のように古希を迎えた多くの日本人にとっては、親からの有形資産は殆どなかったはずです。私の場合、教育をきちんと受けることができ、自分の望む世界に進むことができただけで、それ以上望んだらバチが当たるでしょう。

大学に進学し下宿生活を始めるまでは、埼玉県川口市の公団住宅で過ごしました。その公団住宅も、その後の再開発によってマンションに変貌し、今では跡形もありません。

なんとか一軒家に移り住もうと、両親も苦心したようですが、幸か不幸かその夢は叶いませんでした。中学時代の同級生の両親は、苦心惨憺の末、当時は駅からかなり離れた郊外に一軒家を購入しました。

バスに乗って彼の新居を、一度訪問したことがありました。それ以前住んでいた、荒川沿いの長屋のような住まいにも行ったことがありましたので、その違いは子ども心にも、とてつもなく大きく感じました。

木造2階建ての新居は、いま思えば慎ましやかなものだったのでしょうが、当時は御殿のように感じたものです。羨ましかったというのが、正直な感想でした。二人兄弟の彼には、2階に自分のスペースが、用意されていたからです。

3人兄弟の我が家は、2DKであり、それぞれのスペースなどありませんから、プライバシーなど無きに等しい状態でした。もちろん当時は、それが当たり前でしたから、文句の言いようもありません。

高校時代、同級生の家に、お邪魔したことがありました。父親が税理士をしていた彼の家は、私の目には豪壮な邸宅に見えました。立派な庭もありました。

その彼が、川口の我が家に遊びに来たことがありました。居間などという立派な空間はありませんから、畳の部屋にちゃぶ台のようなものを置いて、父と一緒にお茶を飲んだのです。

その時の彼の眼差しは、いまでも忘れることができません。「こんな狭苦しいところに住んでいるのか」と、それは憐れむようなものだったのです。屈辱でした。

なんとか、こんな狭苦しいところから脱出したいという思いは、その後の私の人生を根底で支配していました。

もう今となっては、そんな出来事も、良き思い出の一つです。友人たちの実家も、たぶん全部、無に還っているはずです。そして我が家も、いずれは同様の経過を辿りそうです。

無数の人生が、同様の経過を辿って、無に還っていきました。それぞれの人には、それぞれの異なる経過があって、無に還っていったのです。だからこそ、誰の人生にも価値があるのです。

大型クルーズ船

■20231122(水曜日:晴れ)

富良野のペンションで販売されていた、
地元産の蜂蜜です。

■今朝は4時半に目が覚めました。スッキリとした目覚めだったので、以前だったら、そのまま校庭に行って走っていたのでしょうが、もうそれはありません。目覚ましを6時に再設定して、そのまま再度眠りました。

今週は秋晴れが続いています。日向にいると暖かいのですが、日陰に入ると、もう一枚上着が必要です。とは言っても、日本中同じ天候であるわけではなくて、東北の日本海側や北海道では、大荒れの地域もあります。

北海道の宗谷岬、宗谷丘陵に行くと、林立する風力発電機の風車に圧倒されますが、あれは一年中吹き荒れる風の賜物なのです。夏は爽やかかもしれませんが、冬ともなれば、生活にも支障をきたしそうです。日本は決して、小さな島国ではないのです。

■さて、以下の記事には、驚きました。

★「5カ国しか造れない」
中国がまた新たな分野でブレークスルー
―中国メディア

2023年11月8日、中国メディアの観察者網は、中国初の国産大型クルーズ船の引き渡しが行われ、世界で5番目の「大型クルーズ船造船国」になったと報じた。

大型クルーズ船は、その部品点数の多さや複雑において、車やジェット旅客機の比ではないようです。

船全体の部品点数が2500万点に達し、自動車約1万点、ボーイング747型機500万〜600万点と比べてはるかに多く、その組み立て作業は煩雑を極めると同時に高い技術が求められると指摘。

配管や配線も非常に複雑であり、組み立て完了時で船内に敷設したケーブルの総延長は実に4200キロに達し、上海からラサまでの距離に匹敵すると説明した。

日本もこの分野で新たな活路を見出そうと受注したものの、相次ぐ現場での火災の発生が報じられた記事を思い出しました。調べてみると、以下の記事が大変参考になりました。

★まともな船作れぬ三菱重工・3 度の火災が示す現場崩壊

この記事が書かれたのが、2016年ですから7年前のことです。そして、この記事にあるとおり三菱重工は、その後ジェット機も作れず、クルーズ船もだめで、いまや軍需に大きく舵を切っています。

「沈むような船で戦争ができるのだろうか」という指摘には、素人が考えても、うなずくしかありません。日本は本当に劣化してしまったのです。「日本を取り戻す」と、大言壮語していた人々によって。

違和感

■20231121(火曜日:晴れ)

11月5日の富良野平野の日の出です。
手すりに霜が降りています。

■今朝は5時に目覚ましを合わせて起き出し、フィットネスクラブで走りました。睡眠のリズムの関係から、目覚ましが鳴った時には、気持ちよく起きだすことが難しい状態でした。しばらく布団の中でグズグズしてから、十分ほどして起き出し、準備をした後、家を出ました。

今朝は古希のお祝いに医局からいただいた、アシックスのランニングシューズを初めて履いて走りました。

33分08秒、5.34kmを走り、これで今月は6回のランで、40.29kmを積み重ね、目標の88キロまでは、残り9日で47.71kmを残しています。

いつものように、時速5キロから5分ごとに、時速1キロずつ上げていきました。20分を過ぎてからは、時速9キロで走り続け、合計5キロを走ったことを確認してから、クーリングモードに移りました。

新しい靴の履き心地は、特段走りやすいということもありませんでしたが、軽いのは間違いありません。まぁ、5キロばかりでは、何とも言えませんので、26日に走るハーフマラソンで、どんな結果が出るか楽しみです。

大会前3日間は、しっかり休んだ方が良いというのが、これまでの経験からの学びですので、木曜日の勤労感謝の日からは、走らずに休息をとる予定です。

とにかく初めてのコースですし、訳がわかりませんので、完走することだけを目標に走るつもりです。

■さて、フィギアスケートの羽生結弦さんの離婚発表が、大きな反響を呼んでいます。個人的な問題ですから、他人がどうこう言うことでもないとは思いますが、ありきたりのマスコミ批判とは異なる以下の記事には、考えさせられました。

一人の人間として、どう対応するべきなのか。一人の平凡な人間としても、もう一度考え直して見る必要がありそうです。

「羽生結弦」電撃離婚が大波紋
「バイオリニスト妻」の地元が抱く「違和感」の正体

この記事が真実であるとすれば、羽生結弦選手に対する印象が、以前とはガラリと変わってしまいました。人間とは、分からないものです。

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