■20231123(木曜日:曇)勤労感謝の日

北海道安平町産
「令和5年玉ねぎドレッシング」です。

■今日は休日。勤労感謝の日です。週の中日に休日があると、一週間があっという間です。26日の富士川マラソンに向けて、休養モードに入りました。フィットネスクラブに行って、昨夜は久しぶりに目一杯筋トレをしました。

腹筋・背筋鍛錬器具の負荷を一段階上げてみました。少しずつハードルを上げて来ています。整理体操代わりの時には、軽めの負荷。そして、頃合いを見計らって負荷を上げています。

昨夜の加重で、軽い腰痛になってしまいました。今朝は朝食後に、湿布を貼って消炎を図っています。年寄は、これだから困ります。無理をせずに安静です。

■さて、以下の記事には考えさせられます。

★「全部、虚無」ファミリーの歴史刻んだ石原慎太郎邸が解体
番記者が見た素顔と死生観「我が骨は海に散らせ」

毀誉褒貶は、誰にもつきものですが、華麗な人生を歩んだ石原さんの思いは、誰にとっても無縁ではありません。記事には、こうあります。

生前、「人間は死ねば意識がなくなるので、死ねばそれっきり。もう全部、虚無。全く何もなくなる」と語っていた、石原慎太郎さん。

遺言状には、「葬式不要、戒名不要、わが骨は必ず海に散らせ」と記されていたという。石原ファミリーが時を刻んだ石原邸は、慎太郎氏の遺骨と同様、無に還る。

誰の人生も、無からスタートしています。私のように古希を迎えた多くの日本人にとっては、親からの有形資産は殆どなかったはずです。私の場合、教育をきちんと受けることができ、自分の望む世界に進むことができただけで、それ以上望んだらバチが当たるでしょう。

大学に進学し下宿生活を始めるまでは、埼玉県川口市の公団住宅で過ごしました。その公団住宅も、その後の再開発によってマンションに変貌し、今では跡形もありません。

なんとか一軒家に移り住もうと、両親も苦心したようですが、幸か不幸かその夢は叶いませんでした。中学時代の同級生の両親は、苦心惨憺の末、当時は駅からかなり離れた郊外に一軒家を購入しました。

バスに乗って彼の新居を、一度訪問したことがありました。それ以前住んでいた、荒川沿いの長屋のような住まいにも行ったことがありましたので、その違いは子ども心にも、とてつもなく大きく感じました。

木造2階建ての新居は、いま思えば慎ましやかなものだったのでしょうが、当時は御殿のように感じたものです。羨ましかったというのが、正直な感想でした。二人兄弟の彼には、2階に自分のスペースが、用意されていたからです。

3人兄弟の我が家は、2DKであり、それぞれのスペースなどありませんから、プライバシーなど無きに等しい状態でした。もちろん当時は、それが当たり前でしたから、文句の言いようもありません。

高校時代、同級生の家に、お邪魔したことがありました。父親が税理士をしていた彼の家は、私の目には豪壮な邸宅に見えました。立派な庭もありました。

その彼が、川口の我が家に遊びに来たことがありました。居間などという立派な空間はありませんから、畳の部屋にちゃぶ台のようなものを置いて、父と一緒にお茶を飲んだのです。

その時の彼の眼差しは、いまでも忘れることができません。「こんな狭苦しいところに住んでいるのか」と、それは憐れむようなものだったのです。屈辱でした。

なんとか、こんな狭苦しいところから脱出したいという思いは、その後の私の人生を根底で支配していました。

もう今となっては、そんな出来事も、良き思い出の一つです。友人たちの実家も、たぶん全部、無に還っているはずです。そして我が家も、いずれは同様の経過を辿りそうです。

無数の人生が、同様の経過を辿って、無に還っていきました。それぞれの人には、それぞれの異なる経過があって、無に還っていったのです。だからこそ、誰の人生にも価値があるのです。