■20231109(木曜日:曇)

今朝の日の出です。
いつ見ても心が新たになります。

■昨夜は何故か、熟睡できませんでした。何度も目が覚めて、その度にトイレに行きました。それでも、睡眠アプリの診断は、「昨夜の睡眠時間は6時間15分です。睡眠の質に問題はありません」と判定しています。

浅い睡眠の時間が標準より少し長く、熟睡期間が短いという判定は、間違いなさそうです。

5時30分に目覚ましを合わせてありましたので、少しグズグズしましたが、起き出して今朝は散歩に出かけました。そして取った写真が、今朝の写真です。子どもたちが通った、小学校へ向かう道です。

自分自身のことを思い出すと、家から小学校への道は記憶に残っています。家を出て団地の中を通り、脇の細い道抜けると大通りに出ます。そこから10分ほどでしょうか。

校門前にあったお店を覚えています。門を入ると正面にコの字型に木造の校舎があり、向かって一番左手の入り口に下駄箱がありました。一階には職員室、保健室などがあり、教室は2階にありました。

小学校時代は、ほとんど記憶に残っていませんが、断片的に写真のように記録されています。朝礼の様子、担任の先生が冬の寒い時期、給食の時間に、石炭ストーブで焼いてくれた食パン。

跳び箱などの運動具を仕舞ってある物置も覚えています。4つ上の姉が通っていた頃には、教室数が足りずに、この部屋も教室として使っていたという話を聞いた思い出。

その姉も私より先に、旅立ってしまいました。

数年前に、通っていた飯塚小学校に立ち寄りました。今でも交流のある同級生と、ふるさと川口で会うために出かけた折です。木造校舎は、もちろん無くなって鉄筋コンクリートに変わっていました。

正門の位置関係が逆転したのか、朝礼の時にいつも校長先生が挨拶した、演台脇にあった二宮金次郎像が、片隅に追いやられていました。中には入ることができませんでしたが、半世紀前のことですから、跡形も無くなったのは、致し方ありません。

まさに、方丈記の描くとおりです。

たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人の住まひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。