2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2018年9月 Page 2 of 3

ランニングの良い点

■20180920(木曜日:曇)

 

 

■今朝は走りました。もう、どのくらいになりますか、右太ももの痛みに苦しみ始めてから、結構な時間が経ちました。ようやく、その重苦しさから解放されたかもしれない、という今朝のランニングでした。が、今度は左太ももの外側に違和感を覚えるようになりました。右をかばって走ったためでしょうか。

 

6.13km を走り、これで総計 68.17km となり、残り10日で 31.83km です。とにかく積み重ねしかありません。幸い暑さは、さすがに峠を超えましたので、その点は随分と楽になりました。

 

昨日はネットで、ある記事を読みました。「一度走ったらきっと好きになる|福島和可菜さん」です。タレントの福島和可菜さん、と言っても私はテレビはあまり見ないので、残念ながら、よく知りません。タレント最速のマラソンランナーだそうです。詳しくは以下のページをどうぞ。

 

「一度走ったらきっと好きになる|福島和可菜さん」

 

福島さんは週に100キロ、月に400キロを走るそうです。想像できない数字です。Wikipedia で調べてみると、

 

福島 和可菜(ふくしま わかな、1982年12月2日 – )は、日本のタレント、女優、予備自衛官、マラソンランナー、ウルトラマラソンランナー。愛称は『ワカナン』・『ワッカーナ』。エヌフォースプロモーションを経てサンミュージックプロダクション所属。

北海道函館市出身。北海道函館工業高等学校卒業。

 

Nonちゃんと、ほぼ同じ年です。記事を読むと、最初から速かったわけではなくて、初めて走ったフルマラソンは5時間を超えていたそうです。それから10年かけて3時間を切る、いわゆるサブスリーを達成しています。福島さんは、ランニングは良いことずくめだ、と言われています。

 

つまり体重が減り(彼女の場合は4年間で10キロ)、風邪をひきづらくなる、食事やお酒をセーブする必要がなくなりストレスが溜まりにくい、ラン仲間を通じて世界が広がる、などなどです。私の場合も、殆どが当てはまります。ここ数年は風邪をひいた記憶がありません。

 

福島さんのようにランニングに取り組んでいる方のお話を聞くと、自分も少しは近づきたい、と思うのですが、もちろん30歳も高齢ですから、同じようにはできません。自分なりの目標を立てて、それを達成していくしかないのです。

 

今朝のランニングで、ようやく右太ももの痛みから解放されたかもしれないので、次回からは少し楽に走ることができるかもしれません。それも楽しみなのです。レベルの違いはあるものの、何かに取り組み続ける、というのは、とても良いことです。それが健康に繋がれば、それこそ、良いことずくめです。

 

自分の体と対話をしながら、これからも少し上のレベルを目指して鍛錬を続けていこうと思っています。

 

■今日は午後から校医をしている小学校で学校保健委員会に出席しました。本来ならロータリークラブの例会なのですが、休日のある週の特別休会ということで例会がありませんでした。そこで校医として出席し、子ども達の発表に対して最後にコメントをして欲しい、という学校の希望をいただきました。

 

テーマは、「メディアコントロールで健康生活コントロール!」でした。

 

最初メディアとは何を意味しているのか分かりませんでした。資料を見てテレビやパソコン、スマホにタブレットのことを指していることが分かりました。子ども達もメディア依存症なのです。親たちがギャンブル依存症になっているのと同じことです。抜け出したくても抜け出せないのが現状です。

 

平日でも41%の生徒が一日3時間以上メディアに触れています。自分の消費時間を減らしたい、と思いながらも短くできない、という生徒が多いのです。みんなでグループに別れて、そんなテーマで議論した後ポストイットに結果を書き記してボードに貼り付ける、という作業を繰り返していました。そして代表の発表です。

 

昔と違って子ども達は慣れたものです。議論してまとめて発表する、という手順を難なくこなしています。プレゼンもお手のものです。

 

最後に講評としてお話したのは、計画した時間で閲覧を何とか止めたい、と考えたら、いろいろ試してみると良い、工夫して試してみること、それが一番大切です、とお話しました。タイマーを鳴らすのも一方ですが、それで止められる人は少数です。その次はタイマーが鳴ったら行きたくなくてもトイレに行ってみる。それがだめならタイマーが鳴ったら玄関を出て外の空気を吸ってみる。

 

なんでも良いのです。自分の頭で考えて、そして工夫して試してみる。そのうち自分にあった方法が見つかるのです。最初から正解などないのです。すぐ正解を求めてしまうのが、試験勉強に慣らされた私達の弱点です。社会に出れば、あるいは生きていく中では正解に出くわすことの方が少ないのです。常に試行錯誤です。

 

今から、その作業を繰り返していけば、どんな難問にぶち当たっても、きっと何とか切り抜けていくに違いありません。それが生きる力なのです。そのことを、子ども達に伝えたかったのです。

 

 

 

 

 

 

バランス

■20180919(水曜日:晴れ)

 

 

■爽やかな朝です。昨日は朝、頑張って10キロ走りました。ところが気温も高く湿度も高かったのでしょう、一日中のどが渇いて大変でした。右太ももの痛みを避けるために、走る姿勢も、骨盤の角度など工夫しながら走りましたが、そのために逆に腰の筋肉に負担をかけたようで、いままで感じたことの無い筋肉痛を背部に覚えました。

 

走っている間は、とにかく苦しい1時間余でした。まるでフルマラソンの最後の2キロのような様相でした。一日中、体がだるくて参りました。日中も暑くて職場には冷房を入れました。それに比較すると今朝は、実に心地よい朝です。

 

■東京新聞の「家族」という欄には、なるほど、と頷く記事が多いのです。今回は「台湾・駐日代表 謝 長延さん」のインタビューです。題名は、

 

「バランスをとれ」肝に

 

です。父親は台北で漢方医をされていたそうです。お金に困っている患者さんからは治療費を取らない、まるで赤ひげのような方だったようです。その父の口癖が「バランスをとれ」でした。

 

1946年に生まれ、台湾大学で弁護士、裁判官の資格を取り、京都大学大学院で学び、高雄市長や行政院長(首相に相当)を歴任した与党 民主進歩党の重鎮として知られています。

 

お父様は人生の節目節目で謝さんの背中を押しています。

 

父は「先進的な知識を学び、台湾に帰って仕事に生かすように」と送り出してくれ、京都大大学院法学研究科に入りました。

留学中の1976年、父ががんで倒れ、日本から病院に駆けつけると、父は「大丈夫。早く(日本に)戻って学位を取れ」と言います。病状は重く、ほぼ一か月後に「母さんの面倒をよろしく」と言い残して亡くなりなりました。

留学を終え、台北で弁護士の看板を掲げました。日本で学んだことは「法律は弱者のために存在する」でしょうか。弱者を助けよう。父もそうしていたじゃないか。いつしか人権派の弁護士と知られるようになりました。

着任した2016年6月から、台日間の地方交流に力を入れ、四十七都道府県を全て訪れました。新たに台日の52組の県市が姉妹都市など提携協定を結び、累計110組に。また台日の地方議員の交流会を台湾で開催し、日本から323人の地方議員が参加しました。

母も亡くなり、父母が眠る墓を毎年、墓参りします。駐日代表になった私を、父母は誇りに思ってくれているでしょう。もっと頑張れと励まされてもいます。

 

この両親にして、この子あり、ということでしょうか。いつも日本を応援してくれる台湾を大切にすることが大切です。ただし同じ民族である中国とのバランスを取ることを忘れてはいけませんが。

 

■今日はTakuの法廷デビューの日でした。志を高く持って、仕事を続けてほしいものです。

 

 

 

マグレブ

■20180918(火曜日:晴れ)

 

 

■今朝は走りました。昨日は久しぶりに気温が30度を超えて、暑い一日でした。とても走る気にはならず、一日家にいて、読書に励みました。今朝は頑張って 10.85km を走り、総計 62.03km 残り12日で 37.96km となりました。

 

今朝は走っていて苦しい時間帯が長く続きました。右太ももの痛みも少しはあったのですが、それよりも筋力自体が悲鳴を上げている、という感じでした。要は走る力が衰えている、ということです。土曜日にも10キロ走り、今朝も10キロを走ったのですが、今朝のほうがずっと辛く感じました。

 

これでハーフマラソンが完走できるのか不安になってしまいます。今年の予定では、あとは12月のお伊勢マラソンにTakuと一緒に走る予定が残っているだけです。それに向けて何としてもきちんと完走できるように鍛錬しておかないと、Yukoさんの手前、義父の威厳を保てなくなります。

 

(●^o^●)

 

■さて昨日は読書に一日だったのですが、読んだのは無田口義郎著「地中海のほとり」でした。もう何度も読み返した本なのですが、久しぶりに、また読んでみました。私の原点のような本なのです。

 

牟田口 義郎(むたぐち よしろう、1923年5月11日 – 2011年1月22日)は、歴史家・中東地域研究者、朝日新聞特派員・支局長を歴任した。

 

と、あります。この本が出発されたのは、1971年(昭和46年)とあります。私が初めてこの本を読んだのは、確か大学時代だったと思います。70年台の終わり頃だと思います。朝日新聞の記者だった牟田口さんが、地中海沿岸地方を旅しながら、歴史に思いを馳せる構成です。

 

地中海とオルテガと聞いて、まずわれわれの頭に浮かぶのは、あらゆる意味で彼の思想の旅の起点となった『ドン・キホーテに関する思索』(1914)の中の、あの有名な地中海文化論であろう。「地中海文化がひとつの現実であった時に、ヨーロッパもアフリカも存在していなかった」。この言葉は牟田口義郎氏の『地中海のほとり』の冒頭にも引用されているが、私にとってこれは地中海文化理解への啓示のようなものであった。

 

とは、佐々木孝評論集にある言葉です。

 

本の中で語られていた中では、マグレブと呼ばれる北アフリカに関する部分が印象深いのです。マグレブとは、モロッコ、アルジェリア、そしてチュニジアです。チュニジアは、当時ブルギバ大統領が観光立国を目指して陣頭指揮を取っていた時代のようです。最近ではアラブの春という運動によって、リビアをはじめ多くの北アフリカの国々が、かつての安定から混乱の真っ只中に陥っています。

 

この本から、半世紀近くの時が流れマグレブの人々は繁栄を、そして幸せを手に入れることができたのか。アジアの国々は、この半世紀で繁栄を手にしましたが、アラブの人々には、その恩恵は届いていないようです。

 

 

 

旧暦

■20180917(日曜日:曇)

 

 

■今朝は、さすがに疲れました。ゆっくりと6時まで眠りました。風も今のところなく、天気予報では今日の静岡は32度まで気温が上がるようです。Sunはスクールカウンセラーとして勤務している学校の運動会。雨で何度も延期されたようです。今日は何とか実施できそうです。

 

■9月15日の東京新聞、「あの人に迫る」は、美学者の金田 晉さんのインタビューです。題して、「旧暦と併用なら四季と結び付く」です。

 

四季を大切にする日本では、テレビでも盛んに二十四節気を取り上げます。しかしこうしたものは、新暦を採用した明治の時点から、ズレが生じて実感と程遠いものになっています。西洋歴が一直線なら、旧暦は時間が循環している、と言われます。日本人は、それ以来、月を見なくなったし、星も見なくなった、と言われます。

 

インタビューを終えて記者は、こう語っています。

 

 十年以上前になるが中国で一年間生活し、中国人の生活に旧暦がいまだに生きていることに驚いた。

 当初は「やはり遅れているのか」と考えたが、一年後には「旧暦の方が人間の時間に合っている」と思うように。真冬の正月より、春が目の前に来ている春節(旧正月)の方が新しい一年が始まる気がする。

 帰国してからも新暦一本槍の生活に違和感を感じた。そのうちに、金田さんについて知った。多様性を重んじる考えなのは言葉の端々から感じた。ひとつの考えに凝り固まるより、さまざま思想が入り乱れている社会の方が住みやすくて深い。

 暦の問題に限らないと思う。

 

記者の考えに私も賛成です。金田先生の言われる、新暦は時間が一直線なのに対して旧暦は時間が循環している、という考えなどは、なるほどな、と得心します。

 

また暦と季節が新暦ではずれてしまっていて、何かとてもチグハグな思いをしています。暦の季節と生活実感が寄り添ってくれたほうが、私達の生活も、より豊かに、そしてより美しく過ごせる気がするのです。

 

 

米山梅吉記念館

■ 20180916(日曜日:曇時々雨)

 

九州大学キャンパスです。

 

■今朝は雨模様です。しとしとと雨が降っています。新沼津カントリークラブのBクラス月例です。本当に久しぶりに大学の先輩である金元先生と、ご一緒にプレイする予定です。夏の間は暑さが堪えて、あまり出かけることもありませんでしたが、涼しくなってくれば緑の中を歩き回るのは心地よいものです。

 

しかし、何にしても練習量が足りません。付け焼刃でユーチューブでレッスンをかじっても、実際は混乱するだけで良い結果が出ることは稀です。今日もその通りでした。55回の53回の108回。大晦日でもないのに、除夜の鐘のようです。

 

(●^o^●)

 

最近このスコアが多いのは、どうしたものでしょうか。べつだん計算して打っているわけでもないのですが、不思議とこの回数になってしまいます。煩悩が多すぎるのでしょうか。困ったものです。

 

今日はたまたまご一緒した方が、PTA会長をされていた時に、同様にPTA会長をしていたSunと交流があったようです。そんな昔話に花が咲きましたが、私は頷くしかありませんでした。

 

■土曜日は米山梅吉記念館の秋季例祭。多くのロータリアンが全国から来られていました。北は北海道から、南は奄美大島まで、本当に驚きました。来年は記念館が開館してから満50年になります。記念式典を行う予定なのですが、段取りは大変です。

 

土曜日は12時から評議委員会が開催され、私も本来なら参加すべきなのですが、いかんせん、土曜日の診療は休むのは難しいのです。暇な土曜日は、まず無いからです。ということで、勘弁してもらって仕事が終わって、すぐに車に飛び乗り記念館に駆けつけました。

 

 

 

SSD換装

■20180915(土曜日:雨)

 

九州大学病院にありました。ヒポクラテスの木です。

 

■今朝は走りました。5時に起きて玄関を出た頃は、まだ暗いのですが、走り出す時は、もう大丈夫です。昨日のテレビのニュースでは、今朝の静岡の日の出は5時25分頃でした。日暮れも早くなりました。気候的には、いまが一番良い頃なのでしょう。暑くなく寒くなく。こんな気候がずっと続いてくれれば、と願うのですが、そうは行きませんし、それでは体の調子も狂ってしまいます。

 

今朝は 10.1km を走り、これでようやく 50km を超えました。残り 15日で 48.81km です。家の周囲を回るところまで来ると、雨脚が強まりました。幸運です。走り終わってストレッチも、ほどほどに家に帰りました。午前7時32分現在も雨は降り続いています。本当に幸運でした。

 

■さて昨夜は少し時間がありましたので、学会で出かけた有楽町で、店員さんの勧めに従ってNonちゃんが購入したパソコンの改造に取り組みました。東芝のダイナブックです。正直言えば、なぜこの機種を購入したのか、私にはよく分かりません。私が相談を受ければ、決してこのパソコンを勧めることは無かった、と思います。

 

とにもかくにも、HDDタイプだからです。基本ソフトを始め情報をハードディスクに保存して駆動しているタイプです。今まではほとんどが、このタイプでした。しかし、いまやSSD( Solid State Drive) と呼ばれるメモリータイプの価格が大幅に下がり、個人のパソコンでも使用が可能になりました。東芝得意のNAND型メモリーというやつです。スピードが劇的に向上します。

 

何年も前のデルの旧式パソコンを試しに改造してみたところ、本当に劇的に、まさに劇的としか形容のしようがないほどに、速度が向上しました。まるで全く別のパソコンに変身しました。12,000円ほどで、これだけの効果がある改造は、まずありません。

 

ということで、Nonちゃんパソコンは、まだ購入して一年未満なのですが、いかんせんそののろさには耐えられずに改造に踏み切りました。ダイナブックは構造上、HDDの換装には裏蓋全てを外さなければならず、ネジを10個以上外して、ようやく一枚の裏蓋全てを外したところで、HDDにたどり着きました。

 

裏蓋を外したダイナブックです。右上の長方形のものが、SSDです。

 

HDDとSSDは、同じ形状でできていますので、その場所まで辿り着ければ換装は簡単です。本当は Windows 10 を、新規に、まっさらからインストールすれば、余計なソフトが入っていないので、もっと高速になるのですが、それまでのソフトや設定を全て残してコピーしたかったので、デルの場合よりは立ち上がりは遅いようです。

 

それでも改造の終わったパソコンを 使ってみたSunの感想では、 以前のような止まってしまったのではないか、という挙動は見られませんでした。つまりは極めて快適だ、ということです。

 

講師役としてプレゼンをしなければならないSunは今、PowerPointを特訓中です。 パソコン教室にも通って勉強していますので私も知らない 裏技も身につけているようです。

 

ということで今のところ感謝されているようです。

 

 

 

 

 

五輪不況

■20180914(金曜日:雨)

 

 

■昨日は勉強会があり、特別講演の先生が三名、来沼されました。21時半まで講演会があり、その後皆さんで夕食会でした。こうした場合の、いつもの会場である千本のお寿司屋さんで歓談しました。私が講演の座長を務めさせていただいた井上康先生は、岡山からお越しくださいました。涙液と視機能について講演してくださいました。

 

懇親会では楽しく歓談することができました。前に座られたのが井上先生でしたので、岡山の様子について、色々お聞きすることができました。結構スポーツオタクの先生は、様々なスポーツを録画してテレビ観戦するのが趣味だそうで、テニスもラグビーも、とてもよくご存知でした。

 

岡山空港は市内から40分ほどかかるとのことで、ちょっと不便のようです。さらに広島空港となると、かなり場所が偏っているそうで、場所が岡山寄りなので自宅からだと、岡山空港も広島空港も所要時間は余り大差ないそうです。広島の人は大変そうです。

 

■さて東京五輪が近づいてきました。楽しみであることは、もちろんなのですが、話はそう簡単ではありません。つまりは財政的に無理をして建設ラッシュを作り出していますが、祭りが終われば、その後始末をしなければなりません。その良い例が、ブラジルの火災です。

 

リオデジャネイロのブラジル国立博物館で火災が発生して、200年の歴史ある建造物だけではなく、2000万点を超える収蔵品の約9割が全焼してしまったのである。

 

これだけ読むと、この火災は財政問題を抱えたブラジル固有の問題だ、と考えたくなりますが、そうはいかないのです。以下の記事を読むと、その恐ろしさが分かります。

 

「五輪不況」でボロボロのブラジル、日本も他人事ではない理由

 

つまり五輪のために、と作り続けた施設は大会が終われば、あとは殆どの施設が赤字を垂れ流すだけの存在になります。そうなると、どこかで帳尻を合わせる必要があり、そこで狙われるのが文化財だ、というのです。

 

そのことには気付きませんでした。つまり政治家としては票を減らしそうな部分には手を付けにくいので、どんなに貴重なものであっても文句を言いそうにない部分から削減するのです。つまりは文化財だ、というわけです。例えば各地でSLが消えていっているようです。維持管理に金が掛かります。そんな予算は取れないというのです。

 

 多額のインフラ投資と人口減のダブルパンチで財政が悪化していけば、さまざまな文化財が経費削減の対象になるだろう。「五輪不況」の影響がじわじわと出てくる2022年あたりから、東京はもちろん、さまざまな自治体に残された神社仏閣、遺跡、古民家、伝統文化等のメンテナンス費用が削られて、消滅していくのだ。

 

高度成長時代に行われた1964年の東京オリンピックでは、良いことばかりが連鎖した、と思い込みがちですが、こんな指摘もあります。

 

 東京はロンドン、パリなどと並ぶ長い歴史を誇る都市だが、歴史的な街並みはほとんど残っていない。日本を訪れた外国人観光客がガッカリする理由のひとつだ。

「それは東京大空襲で焼け野原になったから」と思うかもしれないが、そんなことはなく、1964年まではそれなりに江戸の面影は残っていた。五輪のインフラ建設ラッシュによって、今の感覚では残すべきと判断されるような歴史的建築物や伝統文化が次々と破壊されてしまったのだ。

 その象徴が、五輪の1ヵ月前に惜しまれつつ消えた「佃の渡し」だ。佃島と銀座を結ぶ隅田川の渡し船は、江戸時代から続く庶民の足だった。今に残っていれば、イタリア・ヴェニスのゴンドラのように、外国人観光客が多く訪れ、江戸文化を後世に伝える風景となったはずだが、道路が整備されたという理由で消滅したのである。

 

世界的には五輪はそろばんに合わない、というのが常識のようです。日本の常識は世界の非常識ですから、未だに政治家やマスコミが振りまくバラ色の夢に酔っているように見えます。2020年は大きな曲がり角になりそうです。

 

 

 

精神論

■20180913(木曜日:晴れ)

 

 

■爽やかな朝です。昨夜はもと勤めていた病院の同窓会があり、いま幹事役を務めている私が、いろいろ準備に当たりました。みなさん、当然高齢者になられて以前とは状況が変わっています。会に出てこられる先生方は、健康であり時間的にも経済的にも、それだけの余裕がある、という意味で幸せなのです。

 

以前高校の同窓会に出かけた時に、そのことを痛感しました。高校時代、仲の良かった彼は、建設会社に就職。就職した頃は景気も良くて、収入も良かったようですが、どうしても景気の動向に左右されます。私達が何十年ぶりにか会った頃には、収入も以前よりかなり減らされていた、と愚痴も出ていました。高校時代は陸上部で活躍し、父親は税理士さんで大きな家に住んでいました。一度お邪魔したことがあったのですが、団地住まいだった自分にとっては、まさに豪邸でした。その頃には、彼は輝いて見えました。

 

何十年ぶりかに会って、時の流れを感じました。彼はその後、同窓会には一度も顔を見せることはありませんでした。体調を崩したのかもしれません。何はともあれ、同窓会に出席できるというのは、無条件に恵まれている人々なのです。

 

■さて今朝は走りました。6.02km を走り、41.08kmとなり、残り17日 58.91km となりました。まだまだゴールは遠いのです。それでも先月までの、あの異常な暑さが無くなりましたから、本当に楽になりました。その代わり、朝起きた時には、まだほの暗いので起き出すのが難儀です。もうすぐ玄関を出ても真っ暗という時期に入ります。

 

■さて大坂なおみ選手の全米オープンテニス優勝快挙の余韻が消えません。報道を見ていて少し違和感を覚えるのは、なおみ選手が優勝した原動力としての「我慢のテニス」という扱いです。テニスほど孤独な競技は稀です。シングルスでは、何時間にも渡って一人で戦い抜かなければなりません。精神力の勝負であることは間違いありません。

 

パワーのある大阪選手が、そのパワーだけに頼ることなく我慢強くラリーを続けるようになったことが、彼女を優勝に導いたのだ、という指摘は、もちろん正論です。ただ私が彼女のインタビューを聞いていて、なるほどと思ったのは、長い試合になれば体力的にも負けない自身があったので、という部分です。鍛錬を積んで、体力に自信を持つことができたのでしょう。基礎訓練を積み上げることで、我慢比べだったら負けない、という自信、その自信こそが勝利への道だったわけですが、どのような鍛錬を積み重ねたのか、その点を、もう少し具体的に取材してほしかった、と思うのです。

 

どうしても日本では、精神論に傾きがちです。もちろん、それは正論です。何より強い気持ちが重要なのは、少しとは言え大学時代テニスをかじった自分には、よく分かります。しかし、その精神力を支えるのは体力です。精神力だけでは勝てないことは、先の戦争を見れば簡単に分かります。

 

優勝した翌日のNHKの単独インタビューでも、我慢のテニスにばかり焦点を当てる質問者に、大阪選手は疑問を投げかけていたように見えました。もう少し深みのある質者をして欲しかった、と感じたのです。

 

 

司法試験

■20180912(水曜日:晴れ)

 

 

■今朝は走るかどうか迷いました。昨日の朝10キロを走っているので、無理をせずに休養日としました。しばらくは雨の朝は無さそうですので、予定を立てて走ることができそうです。今月は何かと行事が多くて、そのための準備が必要です。そして事後処理が面倒なのです。世の中っていうのは会議があって、そのための準備をしている人がいて、その後片付けをしている人がいるから回っているのだと、つくづく思い知らされます。

 

■法務省が昨日、2018年度の司法試験の結果を発表しました。1,525人が合格しました。旧試験をやめて新試験に移行した2012年以降最低です。最年少は19歳、最年長は68歳。男性1,150名。女性375名。一人の合格者も出せなかった法科大学院が9校もあることに驚きました。

 

最も多くの合格者を出したのが京都大学の128名。実は最も多くの合格者を出しているのは、予備試験通過者で、336名。合格率77.60%でした。経済的な問題などを考慮して法科大学院に入学せずとも、司法試験を受けることができるようにする、というのが建前ですが、現実は時間の節約だけになっている面もあるようです。

 

ある関係者が語っていましたが、予備試験によって司法試験合格者を生み出すのは、まるで医学部を卒業せずして医師国家試験合格者を作り出すようなものだ、というのです。なるほど。ちょっと考えられないことです。確かに6年間医学部に通うのは、経済的な面も含めて負担は大きいのですが、奨学金など、様々な施策によって多様な人材を確保しようと努力しています。

 

法曹の世界も様々な経験を積んだ人材を呼び込むことで、市民生活の多様な問題に対処できる関係者を育成しよう、という大きな目標があったはずです。ただ試験問題に強い、というだけでは、試験問題に合格しただけでは医師として患者さんと向き合うことなど出来もしない、という事実を忘れています。法曹改革の原点が、忘れられつつあるように思うのですが。

 

 

全米オープンテニス優勝

■20180911(火曜日:曇)

 

 

平戸城です。

 

■今朝は走りました。睡眠のリズムも最適でした。何度かトイレに起きたのですが、ちょうど5時頃目が覚めて、すんなりと起床することができました。まだ薄暗い状態でした。今まででしたら、十分明るいので起き出すことにも、何の躊躇いもなかったのですが、暗い中で起き出すには勇気が必要です。

 

昨夜は寝る前に、AyaちゃんからLineで便りをもらって元気でいることが分かって、なんだか力をもらったような、自分も元気が出ました。ということで、今朝は頑張って 10.573km を走り、総計 35.05km 残り19日で 64.94km となりました。久しぶりの10キロ走でしたが、右太ももの痛みも何とかなだめながら、それでも最後の2キロほどは痛みも軽快して、むしろ走り出しより楽でした。

 

12月のお伊勢マラソンに向かって調整しなければなりません。Takuと一緒に走るからです。

 

■さて全米オープンテニスで大坂なおみ選手が、見事に女子シングルで優勝。日本人選手、100年来の夢を実現しました。父親がハイチ系アメリカ人、母は北海道根室市出身の日本人という家庭に生まれ、大阪市で誕生したものの、4歳の時により良いテニス環境を求めてアメリカに移住。そして今回の快挙となりました。

 

180センチという恵まれた体格も、やはり父親の血のおかげでしょうか。良い意味で両親の良き遺伝子の賜物という気がします。やはり運動選手としては、日本人だけの遺伝子では、筋肉や骨格の違いから、諸外国の選手と対等に渡り合うのは難しい面があるのは事実です。多様性が、こうした素晴らしい結果をもたらしたのでしょう。

 

島国根性に引きこもっていては駄目なのでしょう。常に多様性を受け入れる心構えを持たないと、ジリ貧になってしまうのです。

 

 

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