■20201231(木曜日:晴れ)

柿の葉です。一生の人生を一年で演じてくれます。

■今朝は走りました。予定では今夜の0時を挟んで2020年から2021年にかけて走り続けようと考えていたのですが、昨日からSunの体の調子が悪く、昨日は一緒に日帰り温泉に行くことができませんでした。ということで予定を変更して、今夜二人で日帰り温泉に行くことにしましたので、となると日付をまたいで走り続けることはできません。4 km 残っていた目標達成までのランニングを今朝行いました。

今朝は今月12回目のランで9.42 km を積み重ね、これで今月は105.22 km を走りきりました。

これで2012年7月からランニング・ウォッチにより記録を取り始めて以来9,978 km を積み重ねました。あと22 km で1万 km ですから来年1月中には達成できそうです。

今年は8月が大変な猛暑で、積み重ねることがとても困難でした。それでも何とか工夫して8月には月100 km 走を達成したのですが、その疲れが溜まってしまったのでしょうか、9月には目標達成が途切れてしまいました。それでも今年はその9月を除いてすべての月で目標を達成することができ満足しています。

今朝は玄関を出て寒さを強く感じました。この冬初めてと言っていいほどの冷え込みでした。それでも走り出してしまえば寒さが苦になることはありません。

ただし校庭を走っている間に夜明けを迎え、東の空があまりに綺麗なので、一旦立ち止まってスマホを取り出し写真を撮ろうとしましたが、手がかじかんでしまいスマホを何度も落としそうになりました。 走っていれば体温も上がり寒さは気にならなくなりますが、今年の夏のように猛暑が続くと、走ればさらに体温が上がり、 ヘタをすれば熱中症になってしまいます。ランニングをする場合、怖いのは暑さであって寒さではありません。

今朝は帰ってきて昨日の残り湯に入って体を洗ったのですが、 T シャツとフリースを脱いでも汗をほとんどかいていませんでした。1時間7分14秒を走っても、ほとんど汗をかかないのですから、いかに気温が低かったかということです。

今朝は6時過ぎから東の空が明るみ始め西の空を見ると満月に近い月が沈もうとしています。 与謝蕪村が歌った情景と、ちょうど真逆です。

2020年最後の夜明けです。小学校のグランドで撮りました。

何度見ても夜明けの空は美しいものです。そして気持ちを新たにしてくれます。

今年も様々なことがありましたが、とにもかくにも毎日を生き続けるしかありません。そうであるならば、何か具体的な目標を設定して、少しずつそれを達成していくことでしか、有意義な人生は送れそうにありません。その積み重ねの結果が私の人生そのものであり、愚痴を言っても後悔しても何の意味もありませんし、そのつもりもありません。 最後にアンドレ・ジッドが、こう言っているのを知りました。

平凡なことを毎日平凡な気持ちで実行することが、すなわち非凡なのである。

                   ─  アンドレ・ジイド ─
                     (フランス小説家)

今年やり続けたことを来年も積み重ねること。単純なことです。複雑怪奇な人生を生きる時、平凡な人間にできることは、単純に愚直に繰り返すことしか無いのでしょう。

■今日は掃除を済ませて昼ご飯には焼き芋を食べ、少し昼寝をしてから映画「わが谷は緑なりき」を観ました。Wikipediaによれば、

『わが谷は緑なりき』(わがたにはみどりなりき、How Green Was My Valley)は、1941年のアメリカ合衆国のドラマ映画。ジョン・フォード監督作品。20世紀フォックス制作・配給。

第14回アカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、助演男優賞(ドナルド・クリスプ)、撮影賞(白黒部門。アーサー・C・ミラー)、美術賞(リチャード・デイ、ネイサン・ジュラン)、室内装置賞(トーマス・リトル(英語版))を受賞した。

また1990年米国連邦議会図書館がアメリカ国立フィルム登録簿に登録した作品でもある。

物語は、「今や初老となったヒュー・モーガンは生まれ故郷のロンダの谷を出ようとしていた。ヒューは谷が緑だった頃、一家みんなが揃って幸せだった少年時代をしみじみと回顧する」と書き出されていますが、五人の兄と父が働く炭鉱での生活が映し出されていきます。

誠実に生きる平凡な人々の人生を描いています。「この作品は19世紀末のイギリス・ウェールズ地方のある炭坑町を舞台に、男たちが皆働いているモーガン一家の人々を主人公にした人間ドラマである」とあります。

人は成長し社会と関わり、そして老いていくのです。この映画を観て感じるのは、やはり人に取って一番大切なのは愛情だ、ということです。親子の愛情、男女の愛情。こればかりはお金で替えることができません。値段の付けようがないのです。

映画を観ながら私も自分の少年の頃を思い出しました。当時私の一家は埼玉県川口市の公営団地に住んでおり、私は3歳頃から19歳までを過ごしました。様々な場面を思い出します。

近くにあった小さな溜池のようなところで、時間を忘れてザリガニ取りをしていた日曜日の午後。日が暮れて慌てて家に帰ると、ラジオから流れてきたのが西田佐知子さんが歌う「コーヒールンバ」。1961年発売とありますから、私が8歳の頃でしょうか。

母が台所で夕食を作ってくれていた後ろ姿を思い出します。何もかにも、遠い昔のことです。4つ年上の姉は、肺がんのためにすでに旅立ちました。Takuに長男が誕生したことを知ったら、きっと喜んでくれたに違いありません。

多くの人にとって幼少期は、幸せな思い出に溢れているはずです。篩にかかって、それだけが記憶に残っているのかもしれません。そうでなければ人は生き続けることはできないし、人生は辛すぎるものになります。

人の一生で一番の宝物は、この幼少期の楽しかった思い出かもしれません。