■20220412(火曜日:晴れ)

Takuマンボの木が枯れそうになり、切断しました。新しい命が芽生えています。

■今朝は走らずに、ゆっくり休みました。とは言っても、5時半には目が覚めてしまいましたので、そのまま起き出して、生ごみを所定の位置まで運び、新聞をとって家に戻りました。

昨日は新聞が休刊日でしたので、一面には4月10日に千葉市のZOZOマリンスタジアムで行われたオリックス3回戦で、ロッテの佐々木朗希投手が20歳5ヶ月で完全試合を達成した、というニュースが掲載されています。

しかも、ただの完全試合ではなく、13者連続奪三振、さらには一試合19奪三振という記録も達成しました。まさに快投そのものです。佐々木投手は20歳、キャッチャーの松川選手は18歳。規格外れの2人の大活躍でした。

残念なのはテレビの放映がなく、リアルタイムで試合の進行を観ることができなかったことです。テレビの役割が、以前とは大きく変わってきたことの象徴ではないでしょうか。

■さて、相変わらずウクライナ紛争に関するニュースを主体として、報道番組が作られています。NHKのニュース9でも、ほぼ30分はウクライナ情勢に関する内容となっています。

登場するのは、被害に遭った市民の様子、けが人、子供達。まさしく情緒に訴える映像そのものです。

20世紀は映像の世紀だった、と言われます。NHKでも、「NHKスペシャル:映像の世紀」という優れた番組を放映しています。昨夜も、アインシュタインに関する特集が組まれていました。

この番組を観るたびに、映像の持つ力の大きさを痛感します。一方、新聞を主体とする報道機関の役割は、異なるはずですし、またそうあらなければいけないと思うのです。

映像の持つ強い力、情緒あるいは感情に訴える、強大な力を新聞などのマスメディアは持ち合わせていません。文字によって読者に情報を伝え、考えさせるのが主な役割ではないでしょうか。

ところが今の新聞の報道では、テレビと大差がない、と私には感じられるのです。とても情緒的です。表面的なことばかりに終始しています。なぜ、そうなってしまっているのかは、もちろん私には分かりません。

新聞を発行している会社の方針、あるいは記者の皆さんが本当にそう思って書かれているのか。今以上の深堀はできない仕組みになっているのか。一読者としては、まさに隔靴搔痒の思いです。表面的なことばかりに終始しています。

毎日、毎日、紙面を広げるのが億劫になってきました。同じ事ばかりの繰り返しだからです。その程度の内容の記事であれば、ネットで無料で見ることができるのです。わざわざ、お金を払って新聞を取る意味が、どこにあるのか疑問が日々募るばかりです。

本当に残念で悲しくなってしまいます。全国紙と呼ばれる大手の新聞では、こうならざるを得ないのでしょうか。それが国民の平均的な意識、あるいはレベルを構成していくのでしょう。