2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2018年12月 Page 3 of 4

中傷CM

2017年の伊勢神宮おはらい横丁です。

■今朝は走りました。ただし寒さのためか、昨日も走った疲れのためか、起き出すのにとても苦労しました。つまりは布団の中で、ぐずぐずとなかなか床を離れることが出来なかったのです。とにかく冷えました。この冬一番の冷え込みではなかったでしょうか。夜中に一度起きて掛け布団を、もう一枚追加した程です。 通常よりは15分ほど起きだすのが遅くなりました。もういいか、とも思ったのですが、今日は天気が下り坂。明日の朝は雨の予報ですので、今朝は走っておかないと後が大変になります。ということで今朝も6.10 km を走り、総計45.59 km 残り20日で54.40 Km となりました。2018年そして平成最後の年の師走ですから、目標の100 km を、しっかりと走り切らなければいけません。

今朝の写真は昨年平成29年にTakuと一緒に、初めてお伊勢さんマラソンに参加した時の様子です。走り終わってから二人で伊勢神宮を参拝し、その日は伊勢志摩のホテルに宿泊したのです。もうあれから1年が経ちました。その間に、Takuは仕事を始め、そして7月には結婚式を挙げ、新しい家庭を持ったのです。平成最後の年、まさに大きな人生の転機でした。そして1年後の平成30年度お伊勢さんマラソンには、Takuと二人きりでなく、YukoさんとSunと四人で伊勢神宮にやってきました。1年の月日を実感しました。

■今朝の東京新聞「太郎の国際通信」は大変興味深い内容です。先日亡くなったジョージ・ブッシュ(父)氏が、レーガン政権の副大統領として大統領選挙に立候補した時の事を書かれています。木村太郎さんが1988年当時の、この大統領選挙を集配取材し始めた頃には、民主党のデュカキス候補が圧倒的にリードをしていたのですが、9月に再び米国で取材を再開した時には、ブッシュ候補が逆に大差でリードしていることに大変驚いたそうです。その支持率の逆転に大きく影響したのが、あるテレビテレビ CM だったのです。この CM は米国の選挙で相手候補を中傷する「ネガティブ・キャンペーン」の中でも最も「えげつないもの」として知られるようになったそうです。

この CM では、まずブッシュ候補の顔写真が現れ「ブッシュは死刑を支持する」と言い、今度はデュカキス候補の写真と共に、「デュカキスは死刑に反対するだけでなく殺人犯に週末の仮出所を認めた」。すると、いかにも怖そうな黒人の顔が現れる。それはデュカキス候補がマサチューセッツ州知事時代に、同州最高裁が週末仮出所を認めた、殺人罪で終身刑になったある黒人男性(ウイリー・ホートン)であり、その仮出所中に男女を襲い、男性を刺し女性をレイプした、と訴えたのです。ここで画面がデュカキス候補の顔に戻り、こう訴えたのです。「デュカキスの犯罪対策は凶悪犯に週末の出所を認めることだ」。

同氏が30日に亡くなり全米が喪に服したが、木村さんはこのテレビ CM のことが思い出されて、同氏をたたえる米マスコミの報道がむなしく思えてならなかったそうです。そう思ったのは木村さんだけでなく、ある保守派の論客が、こう寄稿しました。

ブッシュ氏は(無能とされた)デイヴィッド・スーター最高裁判事の任命したり、不必要な(湾岸)戦争を始めたり、増税しないと言いながら増税しただけなのに、今や聖人のようにあがめられている。(中略)しかし、ブッシュの最高の瞬間はウイリー・ホートンの CM だったのだ。

この寄稿によってブッシュ大統領の影の部分に光を当てることは、今の米国政治の教訓とするためにも必要だと思う、と木村さんは書かれています。米国は懐の深い国なのです。

統合

■20181210(月曜日:曇)

伊豆にらやまカントリークラブから見た駿河湾です。

■寒い朝でした。昨夜は冷え込みが予想されたので、新たに掛け布団を一枚余計に用意しました。眠り始めは良かったのですが、とちゅうから今度は暑くなりすぎて外しました。それでも、さすがに朝方の冷え込みは厳しかったようです。床を抜け出すのが、なかなか億劫で時間ばかりが過ぎていきます。えいや、とばかりに、起き出しましたが、布団の中は、やはり心地よいものです。

ということで、今朝は 6.13km 走り、総計 39.48km 残り 21 日 60.51km となりました。今月は日曜日に出かけることが多くなりそうなので、LSDの機会が最後の最後になりそうです。何とか、それまでに積み上げておかないと、最後に継続していた月100キロ走が途切れかねません。油断大敵です。

■現在使用しているエプソンのランニング・ウォッチは、記録によれば2014年の11月から記録を取り始めました。合計4回28.35 km が最初の記録です。そして翌月の2014年12月には84.02 km を走っています。初めて月100 km を超えたのは2015年3月に記録した100.38 km です。2014年11月からですから四年余り使用していることになります。 私もいくつかの製品を使ったことがあります。例えば Garmin 社製のランニングウォッチを、この EPSON 社製のものの前に使用していました。それぞれ良い点、悪い点がありました。 Garmin 社製のランニングウォッチは、とても人気がありますし走った様子を示す地図が Google 社製の地図を使用しています。一方 EPSON 社製のランニングウォッチは Microsoft の地図を使用しています。エプソンは、いつものことながら Microsoft べったりなのです。二つの地図を比較してみると分かりますが、マイクロソフトの提供している地図は Google 社製のものに比べて、ちゃちなのです。それだけは、いただけないと思いました。

たださすがに EPSON 社製の製品は作りがしっかりしていますので四年以上経った今でも、きちんと使えることができます。こうした製品の多くのものは充電するために取り付けるアダプターの接触が悪くなって使用できなくなることが多いように思います。結局記録を取り出すことができなくなって使用できなくなるのです。こうして四年以上走った記録を EPSON 社のサイトに記録を残していますので、例えば他のメーカーの製品を新たに使い始めると記録の集計が途絶えてしまいます。 つまりは囲い込まれているという状態です。もちろん EPSON の製品を使い始める前の記録も表計算に残してありますので、厳密には記録が無くなってしまうというわけではありません。 しかしできることなら記録をそのまま続けるほうが楽には違いありません。

ただ最近はいわゆるスマートウォッチと呼ばれる製品がたくさん発売されています。私の左腕にも装着されているのですが、心拍数、睡眠の質を含めて、様々な情報を取り出して集計してくれます。これはランニングウォッチにはない機能なのです。最近のスマートウォッチの中には、ランニングウォッチ的な機能も持ち合わせている製品がありますので、私のようにランニングの記録を残したいという人も、スマートウォッチだけでランニングの記録も、健康状態のチェックも、両方できるようになってきています。これから、この二つの分野の製品は多分統合されていくのではないでしょうか。技術の進歩は 製品分野の消滅につながるのです。

大雪

■20181209(日曜日:曇)

伊豆にらやまカントリークラブから見た駿河湾です。

■昨日は医師会の忘年会があり、楽しいひと時を過ごしました。しかし今朝はいつもの通りに5時に起きて準備をしました。沼津西ロータリークラブのコンペに参加するためです。伊豆にらやまカントリークラブで開催されます。今日は10名の参加で楽しみました。気温が低く、しかも曇り空とあっては、思ったよりも寒くて、みなさん準備不足だったようです。終わってからお風呂に入りましたが、かなり長い間湯船に浸からないと、体が温まりませんでした。

思いきや、ネットによれば

今季一番の強い寒気が、日本列島に流れ込んでいる。
北日本では大雪が続いていて、10日の午前中まで、吹雪などに注意が必要となる。

9日朝から東北の日本海側は大雪に見舞われていて、青森県の酸ヶ湯では、車が埋まってしまうほどの雪が積もり、120cmと、今季最大の積雪量を観測した。

それにしても冷えます。午後4時41分現在、フローリングの部屋でこの原稿を書いていますが、暖房もなしだと底冷えしてこたつが恋しくなります。いよいよ本格的な冬がやって来たようです。

開幕宣言

■20181208(土曜日:曇)

おはらい横丁にて。子どもたちの応援が、とても力になりました。ハイタッチしてもらっています。

■今朝は走りました。今月は日曜日にハーフマラソンを走りましたので、今のところ余裕があります。6.18km を積み重ね、残り23日で 66.64km とエプソンのサイトが教えてくれています。33.35km を走りましたので、このペースで行けば、120キロは走ることができる計算ですが、そうは行きません。でも今年最後の月ですし、どの程度積み重ねができるか試してみるのも悪くありません。

■東京新聞「この道」では現在 Jリーグ元チェアマンの川淵三郎さんの連載です。昨日の題名は「開幕」でした。1993年5月15日、国立競技場で Jリーグの開幕セレモニーが行われました。記事によれば当初、川口さんは開会宣言をするつもりはなかったそうです。格式ばったものが好きでなく、大学の入学式や卒業式にも出ていない、というのですから筋金入りです。それでも親しい記者からは歴史的なものだからやった方が良い、と言われて考えを変えたのです。広告代理店の博報堂があいさつまで考えていたようですが、さすがにそれは断って自分で原稿を作られました。それでも川口さんらしく、長いものにはしたくなかった、30秒で終わろう、後に特集などで流される時に、半分で切られてもいいように、とまで考えていたそうです。

スポーツを愛する多くのファンの皆さまに支えられまして、 Jリーグは今日ここに大きな夢の実現に向かってその第一歩を踏み出します。1993年5月15日、 Jリーグの開会を宣言します。 Jリーグチェアマン、川渕三郎

あえて「サッカー」という言葉を使わなかったのは、スポーツファン全体のための Jリーグという思いを伝えたかったからだそうです。 この簡潔明瞭な開会宣言は、いかにも川口さんの人柄を表しているのでしょう。映像に残るから宣言は原稿を見ながらやろうと考えていたそうですが、原稿は見ているようで、見ていなかったというのです。原稿には「夢の実現に向けて」とあるのに「夢の実現に向かって」と言ったことに、後になって気づいたそうです。後に映像を見て、読み終えた原稿を手に持ったままにしていたが、ポケットにしまうのが普通だとすれば、やはり緊張していたようだ、と書かれています。川口さんといえども歴史的な舞台で、やはり平常心ではいられなかったのでしょう。とても興味深い記事でした。

流儀

■20181207(金曜日:曇)

 

お伊勢さんマラソン、5キロの部がスタートです。

 

 

■今朝はゆっくりと休みました。昨夜はロータリークラブのテーブル会。二ヶ月に一度、例会場のテーブル座席が変更されます。その度にテーブル会と称して飲み会を開催し、懇親を深めロータリー情報を交換します。これはとても良いことだと私は思います。ロータリークラブの例会は私たちのクラブでは12時半から1時半までの1時間しかありません。しかも食事を取りながらですし、1時間のスケジュールも、びっちり詰まっていますので多くの場合会員同士で言葉を交わすことは困難です。やはり知り合うには言葉を交わすことが第一です。そういう意味でお酒を酌み交わしながら四方山話からスタートするのは、より良い人間関係を築き、より良い活動をするためには、とても有効だと思います。

 

昨日のテーブル会ではクラブの会員増強を進めようということで、皆さんの意見が一致し決起集会の如き様相を呈しました。現在我がクラブの会員数は29名。もう少しで30名となりますか、あと1名がなかなか大変なのです。どのクラブも会員として相応しそうと思われる人には、当然声をかけていますので、いわば争奪戦の形になります。ある意味では早い者勝ちになりますので、一足遅かったということもよくあります。会員の皆さんは法人会を始め様々な会に所属されている方も多いので、そうした仲間の中から相応しいと思う方に声をかけてくれるわけです。私どものクラブは決して大クラブではないのですが、まとまりも良く、年齢層も長老から若い方までバランスのとれた、とても良いクラブだと私は思っています。

 

ただ一つだけ残念だったのは、新しく入られた会員の方がタバコを吸い始めたことです。 大勢の人が集まる席でタバコを吸うことは控えるべきマナーの一つです。受動喫煙によって年間15,000人が死亡しているという報告もあるほどです。長く会に所属している方は、そうした点を考慮してタバコを吸う場合には席を外してている方がほとんどなのですが、入ったばかりのその方には残念ながら、そうした配慮がありませんでした。他者に配慮するという意味で、社会人として、いや人間として基本的なマナーだと私は思いますが、未だに、こうしたことに気付かない方がいることに大変残念な思いでした。

 

■今朝の東京新聞朝刊「私の東京物語 第6話」では、「広尾の喫茶店」と題して喫茶店「COREDO」のことが書かれています。彼女の劇団の事務所は高円寺から広尾に引っ越し、そこで交差点にある、とあるビルの2階の喫茶店で台本を書くことが多くなった、というのです。それが喫茶店「COREDO」だったのです。高泉淳子さんによれば、

 

店内は静かにジャズが流れていて、ジャズプレイヤーの写真が壁に飾られていた。長くいてもお店の人は何も言わず、怪訝そうな様子を少しも感じられない。いい感じにほっていてくれる。台本の締め切りが迫っていて慌てて店を出た。天現寺の交差点に向かう一つ目の信号のところで、「すみません」と後ろから呼び止められて振り返ると、息を弾ませた声で「これ、お客様のペンですよね」と。なんと、それは、ちあきなおみ!

パートナーが亡くなってから、その店もなくなり、ちあきさんもどこにも姿を見せなくなった。彼女の流儀。 あの店の佇まい。彼女の歌声。彼女の人気のゆえんです。

 

いま、ちあきさんは、どうしているのでしょうか。

 

■画面に、今日から WordPress 5.0 が利用可能になったので更新してください、という案内が掲示されています。さて、どう変わったのでしょうか。楽しみです。

 

 

決断と実行

■20181206(木曜日:雨)

 

大会長として活躍される野口みずきさん。当日私は、二回も野口さんとハイタッチさせてもらいました。

 

 

■今朝は夜半から雨でした。資源ごみの日でしたが、我が家が当番に当たっていて、Sunが6時から8時まで置き場の前で、整理をしなければなりません。いつもは私が、それぞれの資源ごみが入った3つの袋を持って、集積場まで置きに行くだけなのですが、今日はそうはいきません。雨の中での作業ですから大変です。ご苦労様です。

 

■東京新聞、「この道」欄は J リーグの川渕三郎さんです。今日の題名は、「開幕前夜」。

 

Jリーグの開幕にあたって僕には腹案があった。

開幕の日、1993年5月15日の土曜日は、当時人気と実力を兼ね備えていた2チーム、ヴェルディ川崎と横浜マリノスのカードだけを国立競技場で行い、 NHK で中継してもらう。他のカードは翌日曜にやる。そんな考えだった。おそらく猛反対されるだろうな、とも思っていた。

 

この原稿を読むと、川淵さんは人の心を掴む敏腕営業マンだなぁ、とつくづく感じますし、ありきたりの言葉ですが、用意周到、決断と実行、という言葉を思い出します。こうと決めたら譲らない。もちろん、そこへ行くまでには用意周到に準備をする。

 

どんな小さな組織における、どんな些細な決め事でも、上記の手順は基本中の基本に違いありません。1936年生まれですから、今年82歳。スーパー高齢者です。バスケットボールのJPBLの初代チェアマンも務めました。人をまとめ上げるというのは、本当に大変です。そこで大切なのは、私心をいかに捨て去るか、という点に違いありません。己の欲が前に出ては、他者はその足元を見てしまいます。

 

しかし私心を離れることが、どれほど難しいか。欲を離れることは、並大抵ではありません。

 

 

 

 

出会い

■20181205(水曜日:曇)

 

お伊勢さんマラソンに出場するために準備をするランナーたち。三重県営サンアリーナです。

 

 

■今朝は走りました。二日間休んでの再開です。5.9km を走り、これで今月は 27.2km となりました。残り27日で一日あたり 2.7km が必要だ、とパソコンの画面が告げています。昨日の雨で道路に水溜りがあり、いつものコースを迂回しました。少し疲れも残っていたのですが、やはり体を動かすのは気持ちのよいものです。

 

■今朝の東京新聞、「私の東京物語」は興味深いものでした。役者の高泉淳子(あつこ)さんが第4話を書かれています。題して、「ため息 、ぶら歩き 高田馬場」。浪人して早稲田大学に入っては見たものの、自分の場所を見つけられずに、焦燥感に近い苛立ちすら感じていた頃のことを書かれています。私自身にも、そんな時期がありました。そんな時に、高泉さんの人生を変える出会いがあったのです。まさに人生は人との出会いです。その三國連太郎さんは、沼津にも別荘を持たれて、よく来られていました。その家をミーハーよろしく、友達夫婦と一緒に私も見学に行ったことがありました。

 

ジャズか映画か芝居をしたいと早稲田大学に入ったけれど、なかなか自分の場所が見つからない。何を読んでも、何の映画を見ても高揚感がない。なんだかなぁ、ため息ついてぶらぶらしていると、郵便局の向かいにACTミニ・シアターという看板を発見。中に入ると客席に椅子はなく、靴を脱いでカーペットに座って見る。「灰とダイヤモンド」「自転車泥棒」、小津安二郎、成瀬巳喜男ーー、名画座ならではのラインナップ。 通うようになり、気がつくと会員に。会員の投票でその年の主演男優賞、主演女優賞を選ぶ。男優賞は三國連太郎、女優賞は左幸子。受賞記念に「にっぽん泥棒物語」「飢餓海峡」を上映した。終わって場内が明るくなると、なんと隣に三國連太郎が座っているではないか!円座を組んで一緒に酒を交わす。大きながたいを丸くしてあぐらをかいて、穏やかに映画の話をしてくれた。感激して眠れなかった。東京に来て、初めて感動した晩だった。「ぶらぶらなんかしていられない」。そう思った決意の晩だった。

 

何度も「飢餓海峡」を観ました。悲しい映画です。なぜ人を信頼できなかったのだろう、と悲しくなります。でも、それが人間なのでしょう。

 

 

沖縄独立論

■20181204(火曜日:雨)

 

近畿鉄道伊勢市駅です。マラソン開催当日の朝です。

 

 

■今朝は暖かな朝でした。日曜日にハーフマラソを走ったばかりで、さすがに今朝も安静に休みました。今回のハーフマラソンでは、今までで一番しっかりと走れたような気がしました。つまりは自分の筋力で、お尻や太ももの筋肉でしっかりと足を上げ、前に出し、地面を蹴って走りきったという実感がありました。本当に辛かったのですか途中で歩くこともなく、最後まで走りきることができました。平均のペースはキロあたり6分17秒でしたが、私としては最高の出来です。普段でしたら、とてもこの速度で10 km を走ることはできません。大会であるとか、周囲のみなさんの応援のおかげなのです。一人で黙々と走るというのは、それはそれで楽しいこともあるのですが、結果としてみると、記録的には難しいものです。

 

走り終わって本当に達成感が沸き起こりました。長く苦しい時間から解放された喜びというのは本当に格別です。自分の力では、今回のランニングが精一杯でした。長い長い上り坂のコースでは、決して前を見ないように心がけました。心がめげてしまうからです。一歩先の地面を見つめて、そこへ足を運ぶことだけに集中しました。本当に自分は精神的に弱いなと、つくづく実感しました。でもそうした弱い自分と上手に付き合えば、超人的な成果は出なくても、それなりの結果が残せるのではないかと思ったりします。

 

マラソンを走った後の筋肉痛も、年寄り特有の時間差があるのですが、今回は思ったほどひどくはありません。以前は翌日、あるいは翌々日になると、階段を降りるのは時に辛くなることがありました。それが今回はあまりないのです。全くないわけでは、もちろんありません。階段を降りる際に少し引っかかるような感じはするのですが、いわゆる筋肉痛で辛いということはありません。毎月100 キロという目標を持って、短い距離ではありますが、着実に積み重ねてきた成果に違いありません。11月まで連続45ヶ月間毎月100 km を走りました。月100キロの走り込みではフルマラソンを走るには不十分だと、高野コーチにも指摘されているのですが、今の自分の力では、毎月200キロはとても達成できそうにありません。自分に残された時間が少ないので、これから頑張って月200 km 走れるようになる可能性はほとんど無さそうですが、まあ無理をしても仕方ありません。それぞれの力の中で、楽しみながら積み重ねていくしかありません。幸いTakuもYukoさんも付き合ってくれそうですので 、とっかかりは何でも良いのです。これからもSunを始め家族を巻き込んで、続けていこうと思っています。

 

■先日の東京新聞「私説 論説室から 沖縄独立論をあざけるな」という記事は大変興味深いものでした。 構造的差別の打破には「沖縄のことは沖縄で決める」との自己決定権の確立と行使しかない。そう考える県民が沖縄には増えていて、近年は「独立」も真剣に議論されている、というのです。 2013年に設立された県民有志の「琉球民族独立総合研究学会」によると、県民投票で支持を得て県議会の議決後に知事が独立を宣言、国連が認めれば独立は可能というのです。

 

中近世の500年近く、琉球王国は中国と朝貢関係にあったとはいえ侵略されたことは一度もない。逆に中国は職能集団を移住させたり琉球からの留学生を厚遇したりと関係を重視した。「利害対立要因がなく友好が保たれた」と比屋根照夫・琉球大名誉教授は語っています。

 

この500年近くの歴史が、とても大切だと私は思います。沖縄が言わば日本に併合されてからの時間とは比較にならないほどの長い時間、琉球は中国と有効な関係を築いていたのです。そして何より琉球は繁栄していたのです。難しい舵取りの中を自分たちのことは自分たちで決めて、平和と安定を維持していたのです。このことは、とても大切な点だと思います。今のままの状況が続けば、沖縄が日本に止まる意味が、ますます薄れてしまうことは必定です。本土に住む私達が真剣に考える時ではないでしょうか。

 

 

一夜明けて

■20181203(月曜日:曇)

 

川口市立飯塚小学校です。ここに二宮金次郎像がありました。朝礼の時など、私達を見つめてくれたいました。

 

 

■昨夜は、よく眠れました。さすがに日曜日にハーフマラソンを全力で走った甲斐がありました。15 km 過ぎから伊勢道に入るのですがこの道路に入ってから登りがきつく延々と続く上り坂には正直へこたれました。途中から一人の女性が私の前を走り始め、ちょうどペースが自分に合っていたので、彼女のピンク色のランニングソックスだけを見つめて前方を見ないように心がけました。なぜなら前方を見てしまうと、はるか先まで続く上り坂で精神的に参ってしまうからです。とにかく前を走る女性の足元だけ、前に一歩を踏み出すんだ、という気持ちで走り続けました。最後の1キロのとこまで来ると右側にゴールのある三重県営サンアリーナが見えてくるのですが、そこまでは広々とした2車線の伊勢自動車道を走りながらもゴールが見えずに、とても苦しい道のりでした。

 

Takuも同じように苦しい思いをしたようです。昨年の参加と異なり今年は仕事が忙しく練習もできなかったようです。最初の1 km、そして5 km 走った時点で本当に完走できるのかどうか不安にすらなったと言っていました。それでも走り終わってみれば立派に完走。昨年より3分ほどゴールが遅れたようですが立派なものだと思います。

 

私自身は今まで何十回もハーフマラソン以上の大会に参加しましたが、初めて最後までしっかりと自分の筋力、つまりはお尻の筋肉、太ももの筋肉を使って最後まで足を前に出すことができたように思いました。今までは、それなりに一生懸命走っていたのですが、自分の筋力で最後まで、最後の一歩まで走りきったという実感はなかったように思います。従って昨日走り終わった時には、本当に達成感がありましたし疲れ切りました。

 

Sunが迎えに来てくれていて、ほっとしましたが、その後にちょっとしたハプニングもあって時間を取ってしまいました。ランナーの順路はきちんと作られていてゴールし終わった私もそれに従って行けば良かったのですが、途中でボランティアの方に写真を撮ってもらおうと思いながら探しているところでSUNに出くわしました。 その後二人で、すぐに県営アリーナに戻ってしまったのですが、それが間違いの元でした。順序に従っていれば途中で参加賞の立派なタオルや赤福引換券などのご褒美をもらえたのですが、直接県営アリーナの方へ行ってしまったために、大事な引換券をもらい損ねてしまったのです 。県営アリーナに戻り預けた手荷物を引き取り、出口の所にある赤福引換所でお土産をいただこうかと思ったところ、担当者が大声でランナーに案内している引換券を自分がもらっていないことに気づきました。担当者に聞いてみると、ここではなくて別の棟の体育館に、もう一度戻って、そこで引換券をもらってくださいと言われました。順路に従って歩いていれば無事に終わったのですが、こんなことも起こるのです。去年はスムーズに順路に従ったのでしょう、こんなことはありませんでした。

 

 

2018お伊勢さんマラソン

■20181202(日曜日 晴れ)

 

川口市立飯塚小学校です。

 

 

■昨夜は、伊勢市駅で待ち合わせて、そのままホテルにチェックインしました。伊勢市駅JR側口から降りて2分ほどのところにあるコンフォートホテルです。荷物を置いて、その足ですぐに、3人で近くの居酒屋で一杯やりました。

 

 

21時少し前まで3時間近く3人で色々楽しく歓談しました。高崎での新しい生活を初めて3ヶ月がようやく経ったようです。Yukoさんも知らない土地で人間関係もない中で生活をするのはなかなか大変なことです。それでも明るい性格が幸いして皆さんの中に溶け込んでいる様子を知って一安心しました。

 

21時にはホテルに戻り、シャワーを浴びて22時過ぎには床に入りました。ところが、寝る段になって忘れ物をしたのに気づきました。こうした場合、いつも服用する睡眠導入薬を入れた箱を忘れてしまったのです。十分睡眠が取れるか不安だったのですが、スマートウォッチで睡眠の質を調べることで意外なほどにしっかりと睡眠をとっていることを確認していたので、以前ほどは不安を感じることなく寝ることができました。実際何度か夜中に目が覚めたのですが、その度にすぐにまた寝付けましたので、睡眠は十分取れたように朝感じました。

 

朝の6時に待ち合わせてホテルのレストランに向かいましたが、エレベーターを降りてみてビックリ。朝食を待つ人で長蛇の列だったのです。ほとんどがマラソンに参加する人のように見えました。昨年のホテルでは、このようなことはなかったように記憶していますが、このホテルは駅から近いので、それだけ、お客さんも多いようです。20分少し待って、ようやく席に着くことができました。

 

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