2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年11月

新時代

■20191110(日曜日:晴れ)

新沼津カントリークラブ、アウトの一番ホールです。

■今日は晴天に恵まれ、天皇陛下の即位に伴うパレードも、無事に終了しました。祝賀御列(おんれつ)の儀です。ネットによれば、皇居正門、国会正門前、国立国会図書館前、赤坂見附、青山通りを通って青山一丁目を右折する、約4.6キロのコースを走り、午後3時半ごろ赤坂御所に到着した、とあります。

本当に新しい時代が始まるのだと多くの日本人が感じたに違いありません。しかし令和天皇は、これからなかなか大変な日々が続くと思われます。

平成天皇が民間からお妃をもらい、それまでの皇室から本当に変わったのだ、と国民が実感した時代と異なり、民間出身の皇后陛下は当たり前になりましたし、天皇陛下の行動も、平成天皇が築かれたさまざまな道のりを、しばらくは辿っていくに違いありません。

しかし平成天皇とは少し異なった令和天皇らしい道のりを、いずれは切り拓いていかなければなりません。ある意味では国民は飽きっぽいのです。伝統と新しさと、その両面を満たしていかなければいけないという、極めて難しい舵取りが令和天皇にも求められるわけです。

聡明なお2人の事ですから、私達が心配する必要は、ないのかもしれません。きっと新しい道を切り拓いていかれることでしょう。

■さて、今日は新沼津カントリークラブAクラスの月例でした。競技委員として参加させていただきました。暖かな日和で半袖でも良いぐらいでした。53名の参加と、いささか人数は少なかったのですが、絶好のゴルフ日和でした。

先月は週末になると台風がやってきて、天候に恵まれませんでしたけれども、今日は久しぶりに最高の天候でした。ほとんど無風で芝生は緑、空は青く、駿河湾が一望できる、本当に恵まれた立地条件です。

改造してきたフォームが、ようやく実を結んできたように、自分自身実感できました。今までに比べて飛距離が伸びました。これは大きな収穫です。振り切ることができるようになった事が、一番の進歩ではないでしょうか。

つくづく感じるのは、ゴルフとはクラブを振り切ることだ、という思いです。来週の月例が本当に楽しみになってきました。練習あるのみです。

失敗

■20191109(土曜日:晴れ)

ハノイのオペラハウスです。20世紀初頭に建設されました。

■今朝は走りました。5時前に目が覚めたのですが、切りの良いところで起き出して準備を始めスタートすることができました。今朝はいつものコースを走りましたが、少し長めに7.21kmを走り、これで今月は5回のランで通算35.29m、残り21日64.70kmのところまで来ました。

昨夜は夕食におでんを食べ、そして食後にはお茶を飲み、その後に、はればれ支援隊の会合がありましたので、その場でコーヒーも飲みました。家に帰ってからは、お風呂に入り、いつものようにSunと2人でバーボンのハイボールを飲みました。

ついつい暑い頃のつもりで水分を摂りすぎていたようです。昨夜は3度もトイレに起きてしまいました。もう汗を、それほどかかなくなっているのです。水分の摂りすぎに注意をしなければいけない季節に、とっくになっていたのです。

■さて、今年のベトナム枯れ葉剤被害者支援の旅では、初めてと言っていいようなトラブルに見舞われました。ここ数年はバクザン省の職業訓練センターを中心に活動していました。所長のThuy さんのご好意で地域の被害者家庭訪問、そして施設での活動と充実した支援活動が行われていたのですが、今年はところを変えて、ニンビン省で活動をしようと計画しました。

昔から交流のあった、ニンビン省枯れ葉剤協会のビンさんに仲介をお願いしました。ところが現地に出掛けてみると、現地の役所や入国管理事務所などなど、事務的な手続きが全く終わっていなかったのです。

個人的に友人宅を訪問するだけであれば、もちろん役所の許可などは要らないのですが、枯葉剤被害者協会を通して被害者の家庭を訪問するとなると、そうはいかないようなのです。すったもんだの挙句、結局はまたバクザン省に逆戻りして無事に活動を終えることができました。

帰ってきて色々問題点を洗い出して、次回の活動の糧にしようと検討したのですが、こうした行き違い、あるいはトラブルの原因が、はっきりしないのです。現地当局へパスポートを提出するのが遅かったからだ、というのが、いつも通訳と段取りをお願いしているベトナムのタインさんとトゥンさん親子の意見のようなのですが、これはどうも当てになりません。

なぜならば昨年まで活動していたバクザン省では、そのような問題は起きていなかったからです。結局私達が出した結論は、ニンビン省での手配をお願いしたビンさんが、当局ときちんと連絡を取ってくれていなかった為に起きた事態だということでした。

また、こんなこともありました。昨年の支援の旅以降に寄付金や支援物資を頂いていた方々の名前をポスターに印刷し、施設に贈る際に記念写真に毎年撮っています。つまりは、きちんと現地に持っていき寄贈したという証拠写真です。ところが、その寄贈者名の漢字が間違っていたのです。

私が頂いた分に関しては、寄贈者名の漢字の間違いがないことを確認し、メールで担当者に送りました。担当者の方が印刷業者と、どのように交渉したのかは分からないのですが、結局漢字が間違えていたのです。

ベトナムについた夜、寄贈品を確認したのですが、その際に医薬品を寄贈していただいた薬局の会社名の間違いに気づきました。実はもう1人、寄贈者名の漢字が間違えていたのです。ところが最初の間違いに気を取られていたあまり、2人目の漢字の間違いに気付きませんでした。

帰ってきてから撮った写真を確認した際に、2人目の間違いに気付いたのです。そこで印刷業者に依頼した担当者に、どうしてそのようなことになったのか原因を考えようと尋ねたのですが、自分は間違っていないの一点張りで、原因が結局分からずじまいなのです。

私が間違えのないことを確認して送ったメールを、そのまま印刷業者に見せたのか、あるいは自分がそれを紙に書き写して印刷業者に渡したのか、そのことだけでもはっきりすれば、間違いの原因がかなり明らかになります。

ところが担当者は、それは覚えていないの一点張りなのです。これでは原因究明が、できようもありません。つまりは来年もまた同じ間違いを繰り返す可能性があるということです。

つくづく思いました。こうした方と一緒に仕事をするのは難しいということです。何度やっても同じ間違いを繰り返すはずです。人間は間違いをする動物ですから、間違いや失敗をすることは決して恥ずかしい事ではありません。

問題は、それを繰り返すことです。最初に起こした失敗や間違いの原因をしっかりと確認し、そしてもう一度同じ間違いをしないこと。これが一番大切です。この過程を、きちんとしていない人は、同じことを繰り返しますので、一緒に仕事をすることは、やめた方が賢明です。つくづくと、そのことを痛感しました。

違い

■20191108(金曜日:晴れ)

自家製の干し柿です。4日間干して冷凍・解凍しました。

■昨日少しゴルフの練習をしました。それが原因でしょうか、今朝は走るつもりだったのですが、筋肉痛もあって起き出すのは無理でした。ゴルフのフォームを変えて、しっかり腰の回転を利用して打つように練習したのですが、それが災いして腰痛も起こるようになりました。

湿布薬を貼っておけば、痛みが長引くこともないのですが、やはり衰えに違いありません。嘆いても致し方ありません。付き合っていくしかなさそうです。

■さて、今朝の写真は今年初めて食べた、自家製の干し柿です。庭に植えた柿の木から、70個以上の干し柿が取れたのですが、連休前に皮を剥いて干しておきました。

4日間干してサランラップに包み、冷凍しておきました。試しに一個だけ、処理してみたのです。渋柿の処理法は様々にあるようですが、私は友人から教えてもらった冷凍解凍法で処理しています。4日間ほどしか干していませんので、柿の実は、まだまだ縮みきっていません。

干すことだけで甘柿に変えようとすると、かなりの時間がかかりますし、普通の大きさから始めると、ほとんど梅干しのように小さくなってしまいます。ところが冷凍解凍法ですと、もちろん水分が抜けて縮むことは縮むのですが、まだまだ十分な大きさが維持されたままで、甘柿に変えることができます。

昨日は干してあった残りの20個をサランラップに包み、冷凍しました。そして更に、まだ皮を剥いていなかった、渋柿を21個処理して干し始めました。

ところで、肝心な味はどうかというと、最初の一個はまだ干し方が足りなかったのか甘かったのですが、少し渋みが残っていました。干す日数を、もう1日か2日伸ばせば、渋みを消すことができるのではないかと思っています。来週が楽しみです。

■さて、今朝の東京新聞朝刊28面、「日めくり チョウカンヌ」には、こう書かれています。

1972年、米国コロラド州デンバーが住民投票の結果、76年の冬季五輪の開催地返上を決めた。環境破壊と財政悪化に反対する住民運動が返上の引き金に。

日本では考えられない結果です。まず日本ではあり得ない出来事です。

来年の東京オリンピックにしても、予定では7000億で開催できると言われていたものが3兆円以上の予算が注ぎ込まれたり、8月の東京は温暖でアスリートにとって快適な開催地であり、福島の原発からの放射線漏れも完全に制御されていると大見得を切って誘致したのですが、それに対して異を唱える人の声は、マスコミに乗ることはありません。

今の日本の社会状況が一次的におかしな状態にあるのか、それとも、そもそも日本社会の根本的な奇妙さなのか、私にはよく分かりません。

教育熱

■20191107(木曜日:晴れ)

ハノイ市内のとある通りです。小学校から帰る子ども達を待つ親御さん。

■今朝は走りました。昨日の朝は走ろうと思いながら、疲れのためか起き出すことができずに走れませんでしたが、今朝はわりとすんなりと起き出すことができ、準備の後にスタートすることができました。いつものコースを6.10km走り、これで今月は4回のランで28.08kmを積み重ね、残り23日で71.91kmのところまで来ました。

■昨夜は医師会の恩賜基金表彰式並びに長寿祝賀会があって、友人の先生が、古希と喜寿で表彰されるということで、私も楽しく懇親会に参加させていただきました。若い頃からお付き合いを頂き、ご指導いただいてきた先生方が、こうして区切りの年に表彰されるのを拝見すると、本当に時の経つのは早いものだと感じるばかりです。

そして、あと5年もすれば、私も古希の表彰を受ける立場になってしまうのです。本当に恐ろしいことです。

■さて今朝の写真は、今年訪れたベトナムハノイのある午後の風景です。私はスーパーに行ってお土産の買い物をしようと思って、ぶらぶら歩いていたのですが、ある通りに入った時に驚きました。歩道沿いにバイクが数珠繋ぎに並んでいるのです。

そして学校と思われるところから、子供達が山のように出てきたのです。バイクは子供さんを迎えに来ていた親御さん達が駐車していたのです。

経済発展著しいベトナムでは、中産階級も右肩上がりに増えているのでしょう。そうした人々が力を入れるのが、まずは子供の教育です。良い教育を受けさせ、良い学校を卒業させれば、未来が約束されるのです。

制服に身を包んだ、かわいい子供たちがたくさん、学校から出てくるのを見ていると、何十年も前の日本にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えました。あの頃の日本の親御さん達と同様に、ベトナムの皆さんも明るい未来を信じて、毎日を懸命に送っているに違いありません。

もちろんこうした明るい面だけがベトナムにあるわけではありません。先日はイギリスで、不法入国のためトラックに押し込められたベトナム人が、何10人と亡くなっているのが発見されました。

農村では、まだまだ貧しい人達が多く、一攫千金を夢見て外国に出稼ぎに行く人たちが、まだまだ沢山いるのです。

もちろん、日本にも数多くの人々が出稼ぎに来ています。日本に滞在している外国人として最も多いのは、今ではベトナム人である、という記事を新聞で読んだことがあります。

ただの安い労働力としてしか彼らを見ていないと、いずれ日本も必ず痛い目に遭うに違いありません。それは諸外国の現実が如実に物語っています。

 

思い出

■20191106(水曜日:晴れ)

ベトナムのある農家。庭に植えられたバナナの木です。

■今朝は走るつもりで昨日に続いて目覚ましをかけていたのですが、起きることができませんでした。原因は分かりません。疲れが溜まっているのでしょうか。

10月はベトナム支援の旅に続いて、群馬県でのハーフマラソンに、たくと一緒に出場しました。いささかハードスケジュールだったのは分かっていたのですが、その疲れが遅れて出てきているだけかもしれません。無理をしても意味がありません。

仕事をしながらですので、そちらにしわ寄せが行っては本末転倒です。まぁ、のんびりと焦らずに身体の調子を見ながら、少しずつ積み重ねていくしかありません。

■今朝の東京新聞読書欄を読んでいて、ある方の投稿に目が留まりました。「水くれた女性 優しさに感謝」と題して、千葉市に住む 80 歳の男性の方が投稿しています。

この方は東京の地下鉄の地下通路の一角で、急に気分が悪くなり、しゃがみ込んでしまったそうです。その時、通りがかりの女性が声をかけてくれて、近くで冷たい水を買って届けてくれたのです。その水のおかげで気分も回復し、動ける状態になって帰宅することができました。

その時、名前も聞くことができなかったのですが、優しい気遣いと行動力、世の中には、なんて親切な方がおられるのかと感激しました。本当にありがとうございました。この場を借りてお礼申し上げます。

と書かれています。

なぜこの記事に目が止まったかといえば、70 歳を前に肺がんで旅立った私の姉が、以前同様の話を私にしてくれたことがあったからです。同級生と会うために東京へ出かけた際に、姉は帰り掛けの電車の中で気分が悪くなりホームに降りて吐いてしまったそうです。

ところが親切な方がおられて、ハンカチを提供してくれたり、優しく介抱してもらい無事に帰宅することができた、というのです。姉が私に言っていたのは、同様の感想でした。「世の中には、なんて親切な方がいるのだろう」。新聞の投稿を読みながら、今は亡き姉を思い出していたのです。

世間話

■20191105(火曜日:晴れ)

我が家の柿の木も、先週お化粧直しをしました。

■今朝は走りました。いつものように5時に目覚ましを鳴らしましたが、その30分前に目が覚めてしまいました。もう一眠りと思ったのですが、やはり眠れなかったようです。準備をして生ごみを所定の位置に運び、準備運動の後に走り始めました。

とにかくゆっくりと走ることだけを考えて、腰を安定させ、上下動しないことを意識して足をできるだけ軽く、前へ前へと走ることだけを考えました。いつものコースを6.13km走り、これで今月は3回のランで21.98km。残り25日で78.01kmのところまで来ました。

■週末は浜松での地区大会に出席しましたが、土曜日夜に行われた晩餐会で、たまたま隣の席に座られた方と、マラソン談義で盛り上がりました。また、娘さんが3歳児検診で目の病気を発見され、治療されているということなども話の糸口となりました。

同じロータリーアンとは言っても、住む地域も異なり、生業も違いますし、なかなか話す題材を見つけるのに難儀する場合も少なくありません。自分自身は社会人になってからは医療の世界にしか暮らしたことがありませんので、全く異なる世界に住む方と雑談をするというのは、なかなかに難しいこともあります。

歳を取れば取るほど、様々な役も回ってきますし、色々な方とお話をする機会が増えました。そんな時に思うのは、世間話をすることの重要性です。決して難しい話をする必要はもちろんありません。しかし適切な話題を提供しながら、会話の弾む時間を作り出すという努力は、何にも増して大切な行為ではないかと、つくづく思うのです。

逆に言えば、様々な人と接してみて感じるのは、対話をする事の難しさ、です。一方的に喋りまくる人はもちろん論外ですが、と言って全く喋らずに、こちらが話しかけるのをじっと待っている人も困ったものです。

触れてはいけない話題という意味での地雷を踏むことなく、適切な話題を楽しく語り合う時間を作り出すことができるかどうかは、社会人として大きな能力、あるいは技量の一つに違いありません。

それは人間関係を円滑にし、求められる課題の解決を容易にしてくれる大きな武器ではないでしょうか。全ては人間関係に行き着くのです。アドラーの言うように「人間の持つ全ての悩みは対人関係の悩み」なのですから。

浜松

■20191104(月曜日:晴れ)

2019地区大会です。

■昨日は朝走り朝食をとって少し休んでからSunに駅にもらって、浜松に向かいました。国際ロータリー第2620地区大会に出席するためです。

ところがドジをしていることに、車内で気づきました。ネットのアプリで電車の時刻表を調べていたのですが、使用する電車が各駅停車のものになっていたのです。

普通は新幹線の時刻を勝手に調べてくれるのですが、静岡から浜松という道程だとアプリは各駅停車で出してくれたのです。静岡で新幹線に乗り、車内放送を聞いたところ、予定到着時刻より1時間以上早い到着案内があり、驚きました。案内の間違いだろうと最初は思ったのですが、調べ直してみると、こちらの調べた時刻が間違っていたのです。

確かに新幹線に乗れば、静岡から浜松までは30分もかからないのです。わかってみれば当たり前のことなのですが、どうして気づかなかったのか、本当にドジでした。開始時刻に遅れるわけではないので、待ち時間が長くなるだけのことなのですが、確認が何より大切だと改めて感じました。

■13時に開会の点鐘がなされ、会は順調に終了しました。一旦3人で、投宿ホテルに戻り、チェックインを済ませ、18時30分からの晩餐会に臨みました。オークラアクトシティホテル浜松「平安の間」は、まるで宮中で行われる晩餐会のように、立派な宴会場でした。200人以上の方が出席されました。

たまたま隣に座られた静岡西ロータリークラブの会員の方と、親しくお話をする機会がありました。宝石販売を生業にされているとのこと。消費税の増税で販売も落ち込んで大変とのことでした。 マラソン談議に花が咲きました。 結婚式に向けて減量のために、炭水化物ダイエットと共にランニングを始めたそうです。炭水化物を全く取らない食事をしばらく続けたそうですが、頭がボーとして仕事にならなくなったために、中止したとのこと。ならほど、そのような話を聞いたことはあったのですが、実際に体験した人に話を聞いたのは、初めてでした。やり過ぎは、やはりよくないようです。

色々な話をすることができて、勉強になりました。久松会長、成田幹事ともじっくりと話をすることができて、大変有意義な週末でした。

初日から参加した三人です。会長、幹事、そしてクラブ研修リーダーの私です。

干し柿

■20191103(日曜日:曇)

昨日、準備した干し柿です。さて美味しく出来上がるかどうか。

■今朝は走りました。5時に目覚ましを鳴らして準備をし、ゆっくりと走り出しました。6.17kmを走り、これで今月は2回のランで15.84km、残り27日で84.15kmのところまで来ました。

■昨夜は沼津市立病院の皆さんと、病診連携会議があり、沼津医師会側から、主に理事の先生たちが出席されました。会費制で、イタリアレストランに集まり、食事を共にしながら、普段色々お互い困っていることなどを、ざっくばらんに相談し合いました。

私の記憶する限り、こうした懇親会は初めてだったように思います。静岡医療センターの皆さんとは年に1回同様の懇親会を開催しているのですが、沼津市立病院とはそうした機会がありませんでした。

病診連携がとても大切になってきている昨今では、「顔の見える病診連携」というのが、いわばキャッチフレーズになっています。気心の知れた先生にならば、お互い患者さんを安心して紹介しやすいという利点があります。これはとても大切なことです。色々な意味で、行き違いが起きる可能性が、グッと減ります。また何か問題が起きた時にも、意思の疎通が容易に図ることができるのは、とても大事です。

■さて昨日は植木屋さんが来て下さり、手入れをしてくれました。庭の柿の木を剪定してくれて、あまりに高くなってしまった柿の木を、程よい形にしてくれました。同時に、ちょうどなっていた柿の実を、百個近く収穫してくれてありました。

そこで皮を剥いて、とりあえず20個だけ干しました。本当でしたら、ヒモに結び付けて、しばらくは、ぶら下げておかなければいけないのでしょうが、冷凍することで、甘い干し柿ができることを、ある人に教えてもらいました。

つまりは、紐に結びつけて干すことで十分収縮して甘くなってから食べるのではなくて、3日ほど干した後で、冷凍庫にしまうのです。1週間程して解凍してみると、とても甘い干し柿になっているのです。渋柿をどうやって甘い干し柿にするのかは、様々な方法があるようですが、この冷凍法は意外と簡単ですし、私が試した限りでは、うまくいきました。連休中に干しておき、今週いっぱい冷凍しておけば、来週あたりが食べ頃かもしれません。

■今日は昼から浜松に行って、第2620地区地区大会に出席し、宿泊せねばなりません。クラブ研修リーダーとして講習を受けなければならないのです。久松会長、成田幹事とともに2日がかりの会合に、出席しなければなりません。連休とあって出席する会員も少なく、少し寂しいのですが、まぁ与えられた役割ですから、精一杯やるしかありません。

公認会計士協会の会長として本当に忙しい中、会長を務めている久松会長に比べれば、私などはまだまだ楽な方かもしれません。

公共

■20191102(土曜日:晴れ)

まもなく太田駅です。車窓から見たスバルのビル、本社でしょうか?

■今朝は5時半まで、ゆっくりと休みました。目覚ましが鳴る、どのぐらい前からでしょうか、夢を見始めました。夢ってなかなか思い出せないものです。何かの準備に追われている夢だったような気がします。

スマートフォンにセットした目覚ましを止めて、20分ほどでしょうか、布団の中で、うとうととしていました。こうした時間は、起きなくてはいけないと分かっていながら、夢の中で右往左往している自分を、映画を観ている観客のような気分で眺めているのです。まるでチャップリンの映画を見ているような、そんな気もしてきます。

■さて昨日、萩生田光一文部科学相が閣議後の記者会見で、大学入学共通テストに来年度から導入される予定だった、英語の民間検定試験について、令和6年度をめどに実施を延期すると発表しました。「身の丈に合わせて頑張って」という大臣の発言の顛末です。

安倍内閣が発足して以来一貫しているのは「公共の放棄」という点です。今まで国が予算を計上し、等しく国民がサービスを受けられるようにしてきたものを、民間に出来ることは民間に、という名のもとに予算を削り、国民からいわばサービス料を徴収して、民間の業者、しかも政権に食い込んでいる一部の業者に利益を横流ししている、というのが実態です。新自由主義などと名称はもっともらしいのですが、実態は下世話なものに過ぎないのです。

国民健康保険制度の改革に取り組む議会の審議会に民間の保険業者の代理人が参加し、保険会社が利益を可能な限り最大限できるような仕組みを作り上げるようなものです。アメリカでは広く行なわれているようです。一部の者たちのために、税金が合法的に横流しできるような仕組みを、国会の中で言わば、国民の目を逃れて作り上げられているのです。

耳障りの良いキャッチフレーズが広告会社の知恵なのでしょうか、巧みに流されるのです。「官から民へ」、「民間に出来ることは民間に」、「民間の知恵を生かして」などなど、まるで民間に移譲すれば、全てのことがうまくいくかのごとく説明されるのです。そして一部の親しいお友達に、税金が流れていく仕組みが作り上げられていくのです。

今こそ私たちは立ち止まって、公共とは何なのかということを、もう一度真剣に考え直さなければいけない時期になっています。

スタート

■20191101(金曜日:晴れ)

群馬県太田駅の様子です。県立がんセンターもあります。

■いよいよ11月です。今朝は走りました。また月100キロ走に向かって一からスタートです。今朝はとにかくゆっくりで良いから、少し長めに走ろうと思いました。9.66キロを走り、今月のスタートを切りました。

今年も、あと残すところ2ヶ月です。本当にあっという間でした。昨年の年末も同じような思いを抱いていたという記憶がありますが、そうやって毎年、毎年を送っているに違いありません。

先日の上州太田スバルマラソン完走後に、腰の痛みを覚えました。腰の痛みと言っても、もう尾骶骨に近いような部分なのですが、あまりそのような痛みを、運動後に覚えたことが、これまでありませんでした。また最近はゴルフの練習をした後に、同様の違和感を感じます。腰をひねるからでしょうか。

私が小学生の頃でしたでしょうか、父がやはり腰の違和感を覚えて、私に腰の上で足踏みをしてくれ、とよく言ったものでした。父は確かまだ50代でしたでしょうから、今の私よりも10歳は若かったとは思うのですが、きつかったのかもしれません。

自分自身が65歳を超えて高齢者になるなんて想像もできませんでしたが、終活ではありませんが、きちんと自分の始末をつけるべく、もうそろそろきちんと考えておくことを怠ってはならないのでしょう。

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