20171020(金曜日:晴れ)
「「 20171020 Day 2 午前中の施設での活動 」」
■ 今日は午前中は施設で活動し、午後からは被害者家庭の訪問です。一年ぶりのバクザン省職業訓練センターの訪問です。道路が新しく敷設され昨年と周囲の風景が変わっていました。
「「 20171020 Day 2 午後からの被害者家庭訪問 4軒 」」
「「 家庭訪問 1 軒目 」」
被害者ドン・バン・フンさんは第二世代。父が従軍中にカンボジアに近い所で被爆。父は2010年に死亡。兄は父が従軍する前に生まれたので異常なし。最近結婚した被害者夫婦はともに41歳。母曰く、生まれて数カ月から頭が大きくなってきた。病院でも原因不明と言われた。現在は水頭症の状態。子どもを病院へ連れて行くのが一番大変だった。障害を持って生まれ大変だったが、いろいろな人が手伝いに来てくれて話を聞いてくれるので嬉しい。
一ヶ月120万ドン(6千円ほど)の被害者支援金。コメを作って生活しているが大して収入にならない。被害者の妻は知能障害があり手伝えない。豚を飼っているのは長男の家族。支援してもらっている。自分が死んだ後に誰が息子の面倒を見てくれるか心配だ。
「「 家庭訪問 2 軒目 」」
被害者ドン・ビエット・ハイさんは1980年生まれ37歳。知能障害のために会話が理解できない。父は67歳。三人兄弟の真ん中。姉は結婚している。弟は農業をしている。二人とも特に異常は無い。毎月100万ドンの支援金。家族で農業をしている。食事、排泄など全て家族が介助。話すことはできない。
16歳までは歩けなかった。外出すると彷徨して帰ってこない。父はカンボジアの近くのビンディン省で1975年頃従軍し被爆。自分の従軍によって子ども達に障害が出たことを、とても苦しく思っている。いつも子ども達のことを心配している。戦争に行って戦ったことは後悔していない。私達と話ができたことを大変嬉しく思っている。
「「 家庭訪問 3 軒目 」」
障害者グエン・バン・カンさんは1972年生まれ45歳。別の離れ小屋で一人暮らし。放置していると徘徊してしまうので、普段はドアを締めて閉じ込めてある。母は74歳。父は31年前に死亡。三人兄弟の二番目。姉は結婚して普通に生活。三番目は生後間もなく死去。父は南部カンボジア近くで従軍、被爆。
カンさんは知恵遅れのため、食事のコントロールができない。徘徊してしまう。大きな声を出すが暴力を振るうことはない。排泄の始末ができないので世話が大変だ。
毎月140万ドンの支援金。収入は支援金のみの生活。人民委員会に増額を要請したが断られた。母親の年金は無い。娘さんから時々支援あり。鶏をもらった。カンさんも以前は薬を服用していたが、現在は効果がないので止めた。母親は農業をして米を作っている。
父親が死んで子育てが一番たいへんだった。祖父が手伝ってくれた。母の父もフランスとの戦争で死亡。夫はベトナム戦争で死去。夫の実家に現在住んでいる。
「「 家庭訪問 4 軒目 」」
枯葉剤被害者グエン・ティ・ニンさんは一人娘。19歳女性。時々暴れる。母の兄が現状を話をしてくれた。母は1963年生まれの54歳。ハノイで乳がんで治療中で体調は良くない。治療費が掛かり大変。同席しているのは93歳の祖母。ニンさんの父が枯葉剤被害者の第二世代。ニンさんは第三世代の被害者。祖父が従軍中に枯葉剤に被爆。父はガンで、すでに死去。
ニンさんは大声を挙げたり物を投げたり暴れたりする。食事は自分で可能。目を離すと徘徊する。現在は薬は使用していない。ニンさんの面倒は親戚が力を合わせて見ている。地域の老人会の会長をしている母の70歳の兄が一番面倒をみている。この叔父は四年間韓国で仕事をしていたので韓国語は話せる。
被害者協会の認定を受け毎月100万ドンの支援金あり。家族としての収入は支援金のみ。家族や近所に住む親戚、近所同士で助け合って生活している。お米なども周囲の人々に援助してもらっている。ボランティアの支援グループが時々支援に来てくれる。
93歳の祖母は、娘は乳がん、そして孫は枯葉剤被害による障害を持っていることに心を痛めている。
■しばらくはベトナム料理の日々です。ルールーと呼ばれるパパイヤの漬物がとても美味しいのに驚きました。
なんとか 持って帰れる形で購入して、お土産にしたいと思いました。