20171022(日曜日:晴れ)
■午前中三軒の家庭訪問をしました。そして午後からハノイへの移動です。
「「 家庭訪問 1 軒目 」」
被害者はグエン・ディン・ビンさん。1982年生まれの35歳の女性。三人兄弟の二番目。兄と弟。二人に異常はない。足が変形し歩けない。話すこともできない。右腕は拘縮。身の回りのことは何もできない。終日木製のベッド上での生活。大人しくしており暴れることは無い。熟睡できないようだ。父は娘が枯葉剤の被害者だと知らされた時、仕方がないと思うしか無かった。月140万ドンの支援金あり。
父は中部のダナンで従軍し枯葉剤に被爆。9年間従軍していた。父母で面倒をみている。父、母ともに66歳。父も枯葉剤被害者の認定あり。糖尿病と診断されている。父には170万ドンの支援金。
「「 家庭訪問 2 軒目 」」
被害者はチュン・バン・ティエンさん。1938年生まれ、79歳、男性。第一世代の被害者。会話はできるが体が動かないので、家族に身の回りの世話をしてもらっている。本人が南部で従軍していた時に枯葉剤に被爆。寒いと言って夏でも、写真の服で生活している。暖房を使うことが多い。食事の時は体を起こして食べることができる。今年に入り下肢の浮腫がひどくなり病院を受診したが原因不明とのこと。今年の2月から寝たきりの生活となる。沢山のサプリメントを服用。費用がかさむ。おむつを使用。枯葉剤被害者の認定を受け、7年前から支援金を受けている。年金と合わせて270万ドンの支援金あり。
妻は77歳。末っ子が話に応じてくれた。三洋・パナソニックのベトナム法人で勤めていた。今はサムスンに勤務。5名の子どもたちのうち、二人は障害なし。三人には知的障害などがある。
「「 家庭訪問 3 軒目 」」
被害者はグエン・タイン・カットさん。85歳の男性。妻も85歳。タイニン省で7年間従軍していた時に被爆。今は難聴がひどく話が聞き取れない。寒気がひどくオーバーを着ている。年金など含めて月250万ドンの支援金あり。糖尿病と診断されている。
五名の子どもたちがいる。末っ子の息子さんはハノイで仕事をしているが、右目が悪く肝臓に腫瘍がある、と言われている。未だ認定はない。
昨日と今日ともに被害者家庭訪問時にそれぞれの地域の人民委員会の方達が大勢同行され、二度にわたり昼食をご馳走になった。本日は15名ほど人民委員会の方が同席。
「「 ニンビン省から来られたビンさん達との夕食 」」
■被害者家庭14軒の訪問を全て終え、高速道路を走ってハノイに帰ってきました。午後3時42分ホテルに到着。コニファー・ホテルです。昨年は別のホテルでしたが、エレベーターが無く階段を登らなければいけませんでした。重い荷物を持って登るのは大変でした。ということで、今年はエレベーターのあるコニファー・ホテルにしてもらいました。チエックインも終わって部屋に入り、シャワーを浴びて休憩しました。
今年は昨日、今日の訪問に人民委員会のみなさんが同行してくださり、昼食を二度にわたってご馳走になりました。施設長さんのお力でしょうか。今まで、そんなことは無かった、とは大釜会長の弁です。言葉が通じれば施設長さんを始め、委員会のみなさんと色々お話をすることができたと思うのですが残念です。施設長さんは英語ができませんし、私はベトナム語がさっぱり分かりません。つまりは意思の疎通のしようがないのです。もどかしい思いで一杯でした。
二人の仲間と一緒にタクシーで駆け付けてくれました。ビンさんとは三度目の対面です。体調も良いようで、前回お会いした時には皮疹が酷かった記憶があるのですが、すっかり治癒されたようです。
ニンビン省の枯葉剤被害者協会会長に昨年就任され、各家庭を精力的には回られているようです。来年ぜひ来て下さい、と依頼されました。そうしたいのは山々なのですが、バクザン省とニンビン省はハノイから見ると南北正反対に位置しています。
もう来年の事を考えなければなりません。仲間も高齢化して参加する事が困難になって来ています。若い世代に輪を広げたいのですが、経済的な負担の問題もあり、容易ではありません。
難問山積です。
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