20171021(金曜日:晴れ)

 

■今日は終日被害者の家庭を訪問しました。合計7件です。施設長さんのご希望で遠方の家庭も訪問しました。ホテルから施設までは15分ほど。そして施設から最初の家庭に辿り着くまでには1時間以上、山道を車で揺られました。こんなに山深い場所へ出かけたのは初めてでした。

「「 家庭訪問 1 軒目 」」

 

2017年10月21日 一軒目の訪問 レ・ティ・フエさん。

 被害者の家は施設からバスで一時間。バスを降りて10分ほど歩いて到着。被害者はレ・ティ・フエさん。1971年生まれ36歳。枯葉剤被害者第二世代。父が従軍中に枯葉剤に被爆。10年前に死去。4歳の息子が一人。自身は生まれつき肛門閉鎖があり手術を受けている。

 母は弟と一緒に5キロほど離れたところに住んでいる。子どもの父親は不明。フエさんに他の障害は無い。毎月85万ドンの支援金。あとは農業で自給自足の生活。自転車で街まで片道40分ほどの山道を買い物に行く。息子との二人暮らし。息子さんには障害はない。

 4キロ離れた幼稚園(?)に息子を自転車で毎日送っている。農作物を市場で売却し現金収入としている。子どもが病気になった時は、自転車で1時間掛けて病院まで連れていく。コメは自分たちの分として、8ヶ月分ほどが収穫できる。テレビは壊れて使用していない。水は井戸水。携帯電話はあり連絡は可能。

 

「「 家庭訪問 2 軒目 」」

 

2017年10月21日 二軒目の訪問 ファン・ティ・トゥイさん。

 

 被害者はファン・ティ・トゥイさん1978年生まれの39歳女性。父は南部で従軍し被爆。2014年に死去。母は弟と同居。本人は枯葉剤被害者第二世代。首が曲がって痛い。痛み止めを使用。3歳の娘がいる。娘さんには、今のところ異常はない。子供の父親は不明。

 毎月140万ドンの支援金。バクザン省職業訓練センターで学んだ刺繍の技術を活かして作品を作り、生活の補助にしている。一日1万ドン(50円ほど)の収入になる。いま製作中の作品は半年かけて完成予定。

「「 家庭訪問 3 軒目 」」

 

2017年10月21日 三軒目の訪問 ドゥ・チョン・トゥーさん。

 

 26歳男性。ドゥ・チョン・トゥーさん。全ての生活介助を母がしている。写真にある納屋のような場所で生活している。壁に頭をぶつける自傷行為がある。父は64歳。母は60歳。父親は農業をしている。隣は製材所兼木製品を作っている。支援金は毎月130万ドン。三人兄弟の末っ子。兄は消化器系に障害があるが結婚して子どもがいる。二番目の兄も被害者支援金80万ドンを受けている。一番上の兄は認定なし。

 

「「 家庭訪問 4 軒目 」」

 

10月21日 四軒目の訪問 グエン・ティ・フエンさん。

 被害者はグエン・ティ・フエンさん、34歳女性。父76歳。母は72歳。フエンさんは産まれた時から寝たきり。身の回りのことは全て父母が面倒をみている。座ることもできない。37歳の姉がいる。知的障害はあるが自立しており結婚して子どもが一人いる。今のところ障害は出ていない。

 父は南部に従軍中に被爆。体中にケガの傷跡あり。10年間従軍した父は毎月240万ドンの軍人恩給あり。娘には130万ドンの支援金。被爆した時には枯葉剤は植物にだけしか影響がない、と父は言われていた。気候によって頭痛がひどい時がある。湿疹は痒みがひどい。

 フェンさんの障害の原因については、生後いろいろ調べたが分からなかった。20年前に初めて政府から枯葉剤によると知らされた。枯葉剤による障害者が沢山いるので、娘が枯葉剤によると知っても仕方がない、と思った。

 

「「 家庭訪問 5 軒目 」」

2017年10月21日 五軒目の訪問 グエン・ティ・リェンさん。

 被害者はグエン・ティ・リェンさん。34歳の女性。母は60歳。77歳の父は枯葉剤の影響で体調が悪く、現在故郷へ帰っており、母が面倒をみている。妹が一人いる。障害は無く結婚して家を出ている。

 リェンさんは7−8歳頃から足の変形が始まり、徐々に歩けなくなってしまった。その後に病院で枯葉剤のためだと診断された。そう診断されても母は仕方がないと思うしか無かった。知的障害があり話は理解できない。今は食事も排泄も一人ではできない。母が全ての世話をしている。ベッドの下にバケツがあり、排泄後に処理している。毎月生理があったが医師に頼んで薬で止めてもらった。

 国からの支援は50万ドン程度とのこと。お米を買うだけで精一杯の生活。勤めていた道路補修会社の年金として母には、月に220万ドンの収入あり。母が仕事をしている頃は、父がフエンさんの面倒をみてくれていた。

 

「「 家庭訪問 6 軒目 」」

2017年10月21日 六軒目の訪問 ロン・デゥック・ニエンさん。

 被害者はロン・デゥック・ニエンさん。本人が中部に従軍していた時に枯葉剤に被爆した第一世代被害者。妻と二人暮らし。二人とも79歳。7人の子どもが産まれたが4人はすぐに亡くなった。一人は枯葉剤被害者の認定を受けた息子で25歳で死亡。枯葉剤のためと聞いても仕方がない、と母親は諦めるしか無かった。三人の娘は元気で結婚している。

 父には毎月170万ドンの支援金。母親には年金はない。80歳からは老齢年金が支給される予定。ペンライトで診た限りでは、母親の右目は白内障で、ほとんど見えないようだ。左目もかなり進んでいる。三人の娘から少し支援してもらっている。

 

「「 家庭訪問 7 軒目 」」

2017年10月21日 七軒目の訪問 グエン・デゥク・ティンさん。

 被害者はグエン・デゥク・ティンさん。40歳の男性。金属製のベッドに寝たきりの生活。足の指にひどい変形があり動けない。腕は少し動く。父が中部で従軍し枯葉剤に被爆。二年前から寝たきりとなった。それまでは日常生活ができた。

 ベッドの下に排水溝があり排泄物を流せるようになっている。元気な頃は108キロの体重があった。二年前から動けなくなり糖尿病になった。薬草を煮込んだ液体で体を洗っている。

 父は78歳。2歳の時の診断では、息子が話すことができないのは枯葉剤の影響ではない、と言われた。父子ともに1999年から枯葉剤被害者の認定を受けている。父は170万ドン。息子は140万ドンの支援金を受けている。

 2012年に母親は乳がんにて死去。父親とお手伝いさんの二人で息子の面倒をみている。戦争前に産まれた三人の娘は元気で学校の教師をしている。

 

■こうして、ようやく一日が終わりました。次から次へと被害者の家庭を訪問していると、正直気が滅入りました。私達の知らないところで、こうして無数の被害者が毎日を送っているのかと思うと、暗澹たる気持ちになります。いったん戦争が起これば、どこでもこうした被害者が生まれるのです。戦争を起こした人間たちは、賢明にも無傷で、のうのうと生き抜くのでしょうが、庶民はそうは行きません。人生を台無しにされてしまいます。そのことを忘れてはなりません。