■20191219(木曜日:曇)
■今朝はゆっくりと休みました。家で休むのが一番安心です。今日は術後2日目ということになります。とりあえずは最初の24時間が一番大事です。急性期の感染症が最悪ですから、とりあえず24時間を乗り切れば一安心です。
不潔な水が目に入ってはいけませんので、まだ頭も洗えませんし、顔も洗うこともできません。顔は拭くだけ、頭もタオルで拭くだけです。
そして、食事の後、さらに寝る前に目薬をつけなければなりません。三つありますので、それぞれ3分から5分を空けるとなると全部終わるまでには一仕事になります。患者さんの気持ちがようやく実感できました。
術後2日目の見え方の状態は、新聞の見出し程度は自分の目で問題なく読めます。ただし細かい記事の内容となると少し苦しいので、軽い老眼鏡をかければバッチリ見えるという状態です。私の願っていた、部屋の中にいる限り不自由なく生活できると、いう意味では全く問題なく満足する状態です。
今日から仕事ですので手元に置いたカルテと顕微鏡を通してみる患者さんの目の状態と、そしてパソコンに映った電子カルテの内容を更新するという、三つの距離を見分けなければなりません。それがどうなるか、いささか心配ではあります。
■さて、今朝の東京新聞朝刊「筆洗」欄の記事には考えさせられます。ぜひとも皆さんにも読んでいただきたい内容なのですが、一部を引用させていただきます。親の一人として考え込まずにはいられない内容です。
「転々」などの小説家、藤田宜永さんは母親との折り合いが悪かった。学校の試験で良い点をとってもほめられたことはない。間違ったところばかり、しつこく責められる、自分は母親から愛されてない。やがて家を飛び出し、亡くなるまでぎくしゃくした関係が続いたそうだ。
母親が81歳で亡くなった。葬儀の時、その顔に驚いたと書いている。自分を叱っていたヒステリックな顔ではなく「小さな小さな可愛い顔」だったそうだ。心の中で母親に語りかけたという言葉が切ない。
「どうして、その顔で僕を育てなかったんだい」
そして、その後に続く内容が、元農水次官が暴力を振るう長男を刺し殺した事件なのです。
■親子関係は本当に難しいことばかりです。子供は一つの人格を持った、全く自分とは異なる存在だということは、頭では理解していても、半分は自分の遺伝子を持っているわけですから、当然のことながら全く別の人間ではありません。
他人ではないのです。他人ならば許せることも親子では許せないことは、たくさんあります。親として本当に子供の事が可愛いくて、そして心配することばかりなのです。
そんなことは当たり前のことなのですが、だからといって毎日食事をする度に、お前のことがどれほど可愛くて心配なのかを延々と語られたら、子供はうんざりしてしまうでしょう。
本当に愛しているものに対して、どのようにその愛情を表現したら良いか。これこそ最高難度の問題かもしれません。
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