■20191230(月曜日:曇)
■今朝は6時まで、ゆっくり休みました。残すところ今日と明日だけになってしまいました。2019年も、まもなく終わろうとしています。今年は元号が平成から令和に移りました。
Ayaちゃんの結婚式に出席するために、たまたまオーストラリアへ行っていたので、私はその喧騒のさなかに巻き込まれることはありませんでした。元号が変わることで、新しい時代に入るということは、とても素晴らしいことだとは思うのですが、残念ながら多くの国民の苦しい生活が楽になる訳ではありません。
安倍政権の7年間、国民の実質賃金は下がりっぱなしなのです。簡単に言えば、多くの国民は毎年、毎年、生活が苦しくなっているということです。
■そうした暗く息苦しい国民生活の中で、7月に行われた参議院選挙での山本太郎代表率いるれいわ新選組の活動は、まさに闇夜に光でした。日本社会における生きづらさ、それは一人ひとりの人間を、まるで部品のようにしか考えない、今の社会に対する山本代表の抗議だったのです。
福祉国家の代表としてよく引き合いに出される北欧諸国に、私は残念ながら暮らしたことはないのですが、想像するに、そうした国では少なくとも国民の一人一人が単なる部品のようには思われていないのでしょう。
そんな観点から今日の東京新聞の記事「来る者 拒まず、40年余、東京・小金井の学習塾、不登校生に生きる力、来週で幕」は、とても考えさせられる内容です。塾長の斉藤悦雄さんが開塾したのは1979年4月。当初は一般的な学習塾と同じく夜だけでしたが、85年に不登校の少年の受け入れを頼まれたのを機に昼の部を始めました。
小学校時代にいじめに遭って以来、学校に行っていなかった、その子は中学2年生でした。不登校を思い悩み、自殺願望まで、ほのめかし家出をしていたのです。斉藤さんはこう語っています。
当時は不登校の子が悪いという風潮があった。ここまで追い込む勉強、学校とは何なのか。生きることの方が大事だという思いを強くした。
斎藤さんには、近年の教育は子供のためという視点が乏しく、利益優先に映っているようです。そしてこう述べています。
子どもを商品のようにしてはいけない。子どもが幸せになるために、どう考え、どう生きたいのかを大切にしないといけない。
子供達も全て金のなる木、商品としてしか見ていない政治が、まさに今の政権そのものなのです。
誰もが自分はここに居ても良いのだという所属感を持てる居場所を確保していけば、社会は大きく変わり、生きていて良かったと思える社会へと変わるはずに違いありません。