■20200311(水曜日:晴れ)
■昨日は夕方、雷鳴がとどろき激しく雨が降りました。北海道では雪解けが一気に進んだようです。
今朝は起き出すことができませんでした。夢見がとても悪かったのです。原因はわかりません。
朝、走ったために疲れが残っていたのでしょうか。何か心に引っかかる事があったのでしょうか。あるいは、食べたものの中に何か身体に合わないものがあったのでしょうか。いまだに、よく分かりません。
結局のところ、疲労感ばかりが先立ってしまい、夜の間にも何回も目が覚めて、起き出す元気はありませんでした。致し方ありません。
分かりもしない原因を、いくら考えても時間の無駄です。今日一日、心の平静を保って、また明日の朝、走れば良いことです。
■さて、今朝の東京新聞「大波小波」欄では、「大石誠之助の愛」と題して書かれています。大逆事件で処刑された大石誠之助を主人公にした柳広司『太平洋食堂』(小学館)を取り上げた記事は私も先月この欄で読みました。
天皇の権威を利用して、国体を盾に言論の自由も政策批判も認めない明治政府に対し、異なる説を唱え「国賊」と非難されるのです。
その上で、国を愛するのは当たり前なので、愛国を声高に叫ぶのは自信がないものがすることだ、と反論しました。
最後に筆者はこう書かれています。
弱者に寄り添い、政府の間違いを指摘することで国への愛を示した誠之助の姿は、権力にすり寄り、浅薄で空虚な言葉を使う現代の愛国者への痛烈なカウンターになっているのである。
弱者に寄り添うのでなく、権力者に寄り添い、夜な夜な夕食会に参加している現代の愛国者の有様は、きっと昔も今も変わらないのでしょう。隣国をあしざまに貶め、声高に愛国を叫ぶ一部の人々の存在も、これまた昔も今も変わりがないはずです。
さらに恐ろしいのは、そうした人々が我が物顔にマスコミにおいて跋扈していることです。戦前には無かったネット上でも同様です。
それをおかしいと多くの人が感じているはずなのですが、声の大きなものばかりが取り上げられると、それが当たり前になってしまう。
政府の無策のため、貧困により自信を喪失した人々の心に、こうした歪んだ愛国心が忍び込んでいくのです。これもまた昔も今も変わりがないようです。本当に恐ろしいことです。
コメントを残す