■20211012(火曜日:曇)

昨年11月にTaku一家と一緒に出かけた草津温泉です。源泉の様子です。日本でも最大級です。

■今日は久しぶりに朝、走りました。10月6日、先週の水曜日以来ですので、6日ぶりということになります。

疲れがたまり10月3日に胃腸炎を起こしてから、走るのが怖くなってしまいましたが、食欲も、また胃の調子も元に戻りましたので、思い切って走りました。

今日は38分55秒、5.48kmを走り、これで今月は3回のランで17.14kmを積み重ね、月100キロ走までは、残り19日で82.86kmのところまで来ました。今のところ、目標の月100キロ走を達成するのは、かなり難しそうです。

9月も、やはり同じような状況で最後の1週間で40キロを走り、体調を崩しましたので、今月は無理をしないで、1週間休んだと考えて、目標を75キロに切り替えた方が良さそうです。

■今朝の東京新聞「昭和遠近  短歌に見る時代相」91回目は、「銭湯 異空間でゆーったり」と題して書かれています。

掲出歌は「番台より 子を受けとりて髪あらう 妻より先に われ帰りゆく」。御供平佶(みとも へいきち)歌集『河岸段丘』1974年。昭和40年代の銭湯での一場面を歌っています。

この一首を読むと大学時代、下宿から通った銭湯を思い出すのです。私が大学時代、下宿に住み始めたのが、昭和50年(1975年)からでした。下宿から歩いて 7、8分でしたでしょうか。

当時の入浴料金は当初40円だったように記憶しています。オイルショックがあって、卒業する頃は次第に値上がりされていったのを記憶しています。お風呂に入ることだけは忘れませんでしたので、毎日通いました。

卒業する頃はバブルの時代だったのでしょうか、ベンツに乗って銭湯に来ている人がいることに大変驚きました。

下宿に銭湯といえば思い出すのは、あのかぐや姫の大ヒット曲「神田川」です。もちろん私は銭湯へ2人で通った訳ではなく、下宿から毎日1人で通っていました。神田川が発表されたのは1973年でした。

以前ランニングショップの企画で、コーチが乗った自転車の後ろに付いて、地域の名所、名所を走って回る企画に参加したことがありました。その名所の中の一つが、この神田川で歌われた舞台となった下宿のあった建物です。近くには神田川の歌碑もありました。

調べてみると8年前のことでした。当時はフルマラソン完走を目指して、毎月のように10キロ走とか、ハーフマラソンとかの大会に参加していた頃でした。よくそれだけの元気があったものだと、今では考えられないほどです。

舞台となった下宿です。

そして、舞台となった銭湯にも立ち寄りましたが、結構立派な建物でした。今は、どうなっているのでしょうか。あの時から、もう8年以上経っています。それぞれの地域の銭湯は、今どうなっているのでしょうか。