2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2019年12月 Page 1 of 4

大晦日に思う

■20191231(火曜日:晴れ)

■さて、いよいよ今日は大晦日です。2019年、令和元年も残すところ、あと16時間強となりました。

今朝も走りました。6.10kmを走り、今月は9回のランで60.78kmを積み重ねましたが、100キロ走には、まだ39.21km残っています。これで2015年3月から連続して達成してきた月100キロ走が、57ヶ月で途絶えてしまいました。

2012年7月にランニングウォッチを用いて、統計を取り始めました。56.50kmからのスタートでした。これまでに積み重ねた走行距離は、2019年12月の60.78kmで通算8,787kmとなりました。

2019年1年間だけを見ると163回のランで1191.67kmを走りました。その中には6月2日の千歳JAL国際マラソン、そして10月27日に行われた上州太田スバルマラソンが含まれています。

千歳マラソンには2014年から連続して6回出場しています。なぜかこのマラソンがお気に入りで、土曜日の仕事が終わってから静岡空港に向かい、そこから千歳に飛んで宿泊。そして日曜日に走って、という強行スケジュールなのですが、新緑の青葉公園の中を走る、そのコースの素晴らしさもあって、なんと言っても心洗われる時間なのです。

そして最近では日曜日走った後ドライブも楽しんで、北海道で宿泊し、翌日帰ってくるという旅行を楽しんでいます。走った後ですので疲労困憊なのですが、ゆったりと、そしてのんびりとドライブを楽しみながら、北海道の大地を堪能する時間は、何にも代え難い自分へのご褒美なのです。

毎年、北海道には一月にスキーに出かけ、6月にマラソンに出かけ、そして夏にもう一度出かけることが多いのです。何度出かけても北海道の大地は格別です。

■さて、今日配達されてきた、長周新聞の四面の記事は、とても考えさせられる内容です。一つは、かんぽ生命の不正契約問題を考える、と題して書かれています。「国民生活の基盤崩した郵政民営化、株価にとらわれ過大ノルマ、かんぽ解体狙う米国」です。ジャーナリストの関岡英之氏は2005年文藝春秋十二月号の中で以下のように書かれています。

米国にとって民営化はゴールではなく、簡保を弱体化させ、分割、解体、経営破綻に追い込み、M&A や営業譲渡など様々な手段を弄して、簡保が擁している120兆円にのぼる資産を米国系民間保険会社に吸収させることが最終的な狙いなのである。

と、指摘していたのです。まさにその狙い通りの展開となっています。恐るべきことは、こうした米国の狙いに唯々諾々としたがって、郵政民営化を進めた政治家と、そして御用学者たちがいたという事実なのです。

これを売国奴と言わずして、なんと言えばいいのでしょうか。未だに彼らは大手を振って権力を行使しているのです。一体いつになったら日本は真の独立国家と言えるようになるのでしょうか。

世界的に見れば民族主義者と呼ばれる人々、フランスでは極右とすら言われている人々は外国の支配を嫌い、民族の独立を何よりも尊ぶはずなのですが、日本ではまるで倒錯しているのです。

一見すると本当に救いのないようなこの国ですが、今まさに草の根から湧き起こっている、山本太郎現象を思う時、ひょっとすると日本で初めての草の根大衆運動によって、政治が変わっていく可能性が出現しつつあるのです。

もし本当に日本の独立を考えるならば、この運動にかけるしかないのかもしれません。明治以来の近代日本の大きな曲がり角に、いま来ているのです。

そうした意味で、来年2020年は東京オリンピックの年というよりも、日本の歴史で大きな、そして極めて重要な年になるはずなのです。私たち一人ひとりが主体的に、この歴史の流れに取り組む気概が必要なのです。

■午前中は自分の担当作業である、窓拭き、そして車の洗浄を終えた。今日は暖かい。車の洗浄をした時には半袖のTシャツ一枚で、少しも寒くなかった。11時半には、大掃除も終わりひと段落した。ホットミルクにココアを入れてティータイムとした。昼ごはんはパスタとした。

食事を終えてこたつに入り、テレビを見始めた。ニュースを見て、その後何を見るか迷ったのだが、昨年録画してあった「新映像の世紀 第一集」を見た。『100年の悲劇は、ここから始まった』である。20世紀初頭のヨーロッパでは、科学技術の進歩によって、永遠の繁栄が続くかのごとき幻想が人々に広がっていた。1900年にパリで開催された世界万博では、地下鉄や、歩く歩道など、人々を驚かせる科学技術の成果が誇らしげに溢れていた。

しかし、その繁栄と平和は長くは続かなかった。1914年、第一次世界大戦が勃発したのである。8月に始まった世界大戦は、当初クリスマスまでに終わるだろうと、志願兵たちは楽観的に考えていた。しかしそれは4年余りも続くことになった。1700万の命が失われ2000万人の負傷者が出たと言われている。

機関銃の発明に始まり、毒ガス、戦車、そして爆撃機と、科学技術の進歩は戦争と共に、とどまるところを知らなかった。イギリスもドイツも謀略戦を仕掛ける。イギリスはフランスと組み、アラブ人の独立を餌に、オスマントルコと戦わせ、戦後の中東を分割によって支配を成し遂げた。中東はバラバラに分割され、パレスチナの地にはユダヤ人入植者が世界から押し寄せた。21世紀にも続く紛争の種火である。

録画した新映像の世紀は、第6集まで続いている。この番組を是非、私達は見るべきである、歴史に学ばなければ、21世紀は20世紀の焼き直しになってしまう。一体どれだけの犠牲者が出れば、人間は歴史から学び、愚かな殺し合いをやめるのだろうか。

居場所

■20191230(月曜日:曇)

埼玉県川口市。この境内で、夏休みはセミを取ったものです。

■今朝は6時まで、ゆっくり休みました。残すところ今日と明日だけになってしまいました。2019年も、まもなく終わろうとしています。今年は元号が平成から令和に移りました。

Ayaちゃんの結婚式に出席するために、たまたまオーストラリアへ行っていたので、私はその喧騒のさなかに巻き込まれることはありませんでした。元号が変わることで、新しい時代に入るということは、とても素晴らしいことだとは思うのですが、残念ながら多くの国民の苦しい生活が楽になる訳ではありません。

安倍政権の7年間、国民の実質賃金は下がりっぱなしなのです。簡単に言えば、多くの国民は毎年、毎年、生活が苦しくなっているということです。

■そうした暗く息苦しい国民生活の中で、7月に行われた参議院選挙での山本太郎代表率いるれいわ新選組の活動は、まさに闇夜に光でした。日本社会における生きづらさ、それは一人ひとりの人間を、まるで部品のようにしか考えない、今の社会に対する山本代表の抗議だったのです。

福祉国家の代表としてよく引き合いに出される北欧諸国に、私は残念ながら暮らしたことはないのですが、想像するに、そうした国では少なくとも国民の一人一人が単なる部品のようには思われていないのでしょう。

そんな観点から今日の東京新聞の記事「来る者 拒まず、40年余、東京・小金井の学習塾、不登校生に生きる力、来週で幕」は、とても考えさせられる内容です。塾長の斉藤悦雄さんが開塾したのは1979年4月。当初は一般的な学習塾と同じく夜だけでしたが、85年に不登校の少年の受け入れを頼まれたのを機に昼の部を始めました。

小学校時代にいじめに遭って以来、学校に行っていなかった、その子は中学2年生でした。不登校を思い悩み、自殺願望まで、ほのめかし家出をしていたのです。斉藤さんはこう語っています。

当時は不登校の子が悪いという風潮があった。ここまで追い込む勉強、学校とは何なのか。生きることの方が大事だという思いを強くした。

斎藤さんには、近年の教育は子供のためという視点が乏しく、利益優先に映っているようです。そしてこう述べています。

子どもを商品のようにしてはいけない。子どもが幸せになるために、どう考え、どう生きたいのかを大切にしないといけない。

子供達も全て金のなる木、商品としてしか見ていない政治が、まさに今の政権そのものなのです。

誰もが自分はここに居ても良いのだという所属感を持てる居場所を確保していけば、社会は大きく変わり、生きていて良かったと思える社会へと変わるはずに違いありません。

振り返って

■20191229(日曜日:晴れ)

かつては、ここに住み慣れた住宅公団がありました。

■今朝は走りました。昨日のお風呂の残り湯で体を洗い、朝食をとり終わって、こうしていつものようにパソコンの前に向かっているのが、午前7時30分です。パソコンに繋いでランニングウォッチの記録をアップロードすると、エプソンのホームページ画面が「月間50kmを達成しました。おめでとうございます」と告げてくれています。

今朝は6.60kmを走り、これで今月は8回のランで54.67kmを積み重ね、あと残り2日で45.32kmのところまで来ました。理論的には残り2日で45キロを走ることも決して不可能ではないのですが、現実的には無理な相談です。

今月は風邪で体調を崩したうえに白内障の手術をうけ、術後2週間はランニングはできないと考えていましたので、思ったよりも早く再開できたのですが、月100キロ走の目標が途絶えてしまうのは致し方ありません。

昨夜は2人で、ニューウェルサンピア沼津の日帰り入浴に出かけたのですが、昨日から日帰り入浴は制限がかかり始め、昨日は15時で締め切られていました。今日からは日帰り入浴は一切できないのです。

そのまま2人で中華料理を食べに行き、普段よりも一品多く料理を取り、チャーハンを追加しました。少なめの炒飯でしたが、美味しく頂きました。少し炭水化物を以前よりも多めに取るようにしたのです。あまり減らしてしまうと、どうも元気が出ないような気がしてきました。

昨夜は体脂肪率を再測定してみると10.5パーセントほどでした。さすがに一桁ではありませんでした。厳しいトレーニングを積み重ねているアスリートが、体脂肪率一桁であればそれは素晴らしいのでしょうが、私のようなものが、体脂肪率一桁では、むしろ鎧が少なすぎて、寒さに耐えきれなくなってしまうようです。今朝の朝食にも以前よりも少しですが、炭水化物を多めに取りました。

■昨日は午前中で今年の仕事を終えて、午後から本当に久しぶりにゴルフの練習に出かけました。白内障の手術を受けてからは無理をせずに、練習するのを控えていました。アプローチとパットぐらいであれば、特段目に悪い影響はないだろうと思っていたのですが、やはり少し怖い気もしていました。

久しぶりにゴルフ場に出かけてみて、白内障の手術前と後で、どのように見え方が変わるか、とても楽しみだったのですが、思ったほど劇的な変化は感じられませんでした。それでも、いつも練習しているアプローチ用のグリーンが、いつもよりも近く感じました。鮮明に見える為に、そう思ったのかもしれません。

■さて昨日で今年の仕事も無事に終わりました。ありがたいことです。事故のないのが何よりです。今年も様々なことがありました。

一月の恋人岬へのドライブに始まり、五月にはAyaちゃんの結婚式に参加するために、メルボルンへ飛びました。ゴールデンウィークの真っ最中でしたので、航空券を取るのがとても大変でした。一時は諦めかけたのですが、旅行会社の方に何とか手に入れてもらいました。感謝です。

昨年のTakuの結婚式にBenが来てくれていましたので、それほど違和感があったわけではありません。親類の皆さんと初めて会うわけですが、兎にも角にも意思の疎通が大変です。英語でしかできないわけですから、これは難行苦行です。ポケトークという同時通訳の翻訳機を持参しましたが、「seacret weapon 」だ、と話題作りにはなりましたが、それ以上に役立ったかは、正直疑問です。

伝えたいことが伝わらない、というまさに隔靴掻痒の状態で過ごすしかありませんでした。それでも、もちろん大切な、そしてかけがいのない時間が流れました。もうあれから半年が経ちました。異国での生活は、私には想像もできません。いまのところ二人で仲良く生活しているようですから、遠くで見守るしかありません。

今年は二回マラソンに出場しました。6月の千歳マラソンと10月の上州大田スバルマラソンです。どちらもハーフマラソンです。以前は千歳も二人で走りましたが、Takuが家庭を持った今では、そうもいきません。Takuが最初にマラソンに出場したのも、千歳マラソンでした。ダメもとで誘ってみたら、まさに瓢箪から駒でした。2014年6月1日でした。Takuは10キロに出場し、あっという間にゴールに戻ってきました。いまでも、よく覚えています。

今年は、Takuがスバルマラソンを探してくれて、誘ってくれました。国道を一直線に走る、そのコースは上り道の続く千歳のコースよりは、ずっと楽といえば楽なはずですが、衰えでしょうか、最後の2キロは本当に苦しく、死ぬ思いとは、まさにあの時間帯のことでした。本当に遠いゴールに感じました。

■12月にはTakuの事務所の高橋伸二所長、そして高橋勝男先生とご一緒にゴルフができたことは、大きな喜びでした。その前夜には伸二先生とYukoさんとTakuと一緒に四人で、楽しく食事をともにし歓談しました。

美味しいしゃぶしゃぶのお店でした。素敵な女将が相手をしてくださいました。沼津にも以前は、そのようなお店があり、私も何度か会合で出かけたことがありましたが、いまはもう一軒も残っていないのではないでしょうか。

高橋先生が、ご贔屓にしていらっしゃるのでしょう。そして様々なお相手と歓談して、物事を円滑に進めておられるのかも知れません。決して多弁な方ではありませんが、気配りが行き届いていて、やはり人間としての器の大きさは、私のようなものとは比較になりません。

翌日のゴルフも、とても楽しくラウンドすることができました。エイジシュートを何度も達成しているのですから、お上手なのは言うまでもないのですが、終わってみると80台ですから、やはりこれもまた私などとは比較になりません。

何より天候が最高でした。暖かく風もほとんどない、絶好のゴルフ日和。文句を言ったらバチが当たります。本当にお天気の神様に感謝するしかありませんでした。これもTakuが平生しっかりと仕事をしてくれているおかげと、本当に感謝するばかりでした。

■さて今年大きな出来事の一つに、年末に受けた自分自身の白内障の手術があります。最初、11月に予定をしてもらったのですが、よく予定を見てみると、様々な行事や会合が入っており、万が一調子が悪くなった場合、いろいろな方に迷惑がかかる可能性がありましたので、一ヶ月延期してもらいました。

正直怖かったこともあります。自分自身で、これまで何千という手術をしてきたわけですが、いざ自分自身が受けるとなると、やっぱり恐ろしいのです。まぁ、このあたりは明日にしましょう。

今日は、まず年賀状を書き上げて投函してくるのが、優先順位一番です。

れいわ現象

■20191228(土曜日:晴れ)

幼小児期を過ごした川口の団地です。

■今朝は走りました。今月に入って7回目のランで6.12kmを走り、通算48.07kmとなりました。残り3日で51.92kmの地点まで来ました。残念ながら、月100キロ走の目標は達成できませんでしたが、これも致し方ありません。

木曜日に体組計で測ったところ、体脂肪率が一桁になっていました。9.8パーセントです。もちろん一過性のものであって、継続しているわけではないのですが、今まで1度だけ9%を記録したことがありましたけれども、最近は普通に食事をしていて12%を超えることはなくなりました。

メタボを予防するという意味では、まことに喜ばしい限りなのですが、実は良いことばかりでもないのです。一つは寒さに対する耐性が落ちているような気がします。つまり寒さが身に堪えるのです。簡単に言えば脂肪が取れただけ、フリースを一枚脱いだような体の組成になってしまった訳です。

もう一つは、なんだか力が出ないのです。朝起きても走り出そうという元気が出ません。単に疲れているだけだろうと思っていたのが、じつは炭水化物を減らしすぎたためなのかもしれないのです。

以前あるロータリークラブの会合で、たまたま隣り合わせた、静岡のロータリーアンの方と話をする機会がありましたが、その方は徹底した炭水化物ダイエットを一時的にされたそうです。その時、結局どうなったかと聞いたところ、頭も体もフラフラして仕事にならなかったそうです。つまりは、ガス欠のような状態になったのでしょうか。

もちろん私はそこまで徹底してダイエットしてる訳ではありませんので、ご飯も食べますし、甘いものも食べてはいるのですが、節制を続けているとエネルギー不足になっていたのかもしれません。確かにアスリートでもないのに、普通の生活をしているにも関わらず、体脂肪率が一桁というのはいささか行き過ぎだと思うようになりました。

ということで、昨日からは、昼ごはんのお弁当で食べる白米を3分の一から2分の一に少し増やしました。まぁ、しばらく経過を見てみないとわかりませんが、記録をとり続けましょう。

■さて、昨日は注文してあった牧内昇平さんの「れいわ現象の正体」という本が届きました。あの山本太郎さんが立ち上げた、れいわ新選組が巻き起こした熱狂を、冷静に分析されています。

まだ半分しか読んでいないのですが、どのような人々が、山本太郎さんを応援していたのか、またなぜ応援していたのか。その実態を知ると、いかに日本が壊れてきているのかがよく分かります。

格差は開く一方でありながら、自己責任論が跋扈して、貧しい人々は貧しいのは努力が足りないからだと納得させられてしまう。その一方で、権力者と仲間だというだけで、いわばズルをしてますます豊かになっている人々の存在がある訳です。

格差を是認してしまうと、結局は誰にとっても生きづらい社会になり、暴力が蔓延し、誰にとっても住みにくい社会になってしまうのです。それに対して政治が応えてこなかった。

小泉内閣以来の政権は、そうした現状に対して解決策を示してこなかったのです。そこに登場したのが山本太郎さんだったというわけです。

れいわ新選組に献金した人々の中には、本当に身を削るようなお金を少額ながら献金し続けている方もいる訳です。こんなことは、かつてなかったと言ってよいでしょう。山本太郎さんによって初めて、そんな苦しい生活を続けている自分でも、生きてて良いのだという勇気を与えられた、と語る方が多いのです。

山本太郎さんを批判する方は、様々いますが、苦しむ人々にそれだけの勇気を与えた政治家が、今までどれだけいたでしょうか。大袈裟に言えば日本の歴史上、非常に稀なことに違いありません。今日中に読み終えるつもりです。

見えない貧困

■20191227(金曜日:雨)

 
松江の小泉八雲記念館です。

■今朝は5時に目覚ましを鳴らして走るつもりでいたのですが、屋根を打つ雨音が聞こえてきました。窓を開けて手を出してみると、少しですが、雨が降っています。

正直今日は疲れのためか、走る元気が出ませんでした。雨これ幸いと、もう一度寝床に入り眠りにつこうとしましたが、すっかり目が覚めてしまいました。こういう時はいくら寝付こうとしても眠れないものです、思い切って起きだして、朝食の準備を始めました。

昨日の昼休みにロータリークラブの例会で、依頼されていた卓話も無事に終了し、これで残っていた肩の荷を全て下ろしたことになりました。これで本当に楽になると思っていましたが、今日はいささか拍子抜けというか力が抜けてしまったようです。

年賀状に例年のごとく一言直筆で添える作業がまだ残っていますので、とりあえずはそれに集中することにしましょう。2019年の反省と総括は、その後にゆっくりとしようと決めました。

■「300円も無理」と題するネットの記事に目が止まりました。山本太郎さんの立ち上げた、れいわ新選組に関連する記事なのですが、なぜ今まで、こうした人々に光が当たってこなかったのか、今になると、実に不思議でなりません。

子供の7人に1人が貧困、単身赴任の女性3人に1人が貧困という状況が突然、今年になって出現した訳では勿論ないのです。それにもかかわらず、山本太郎さんが取り上げるまでは、まるでこの世にそんな事実は存在しなかったかの如く、多くのマスコミが無視して来たのです。上記の記事を読むと、いかに事態が深刻なのかは容易に理解できるのですが、政治はこうした人達に救いの手を差し伸べては来なかったのです。

小泉政権以来、日本の政治の目的が、それ以前とすっかり変わってしまったように感じます。新自由主義という名のもとに、一部の国民のために多くの国民を切り捨てる政治が、大手を振ってまかり通っているのです。目くらましとしてのマスコミの役割が、とても大きかったように思います。

草の根の運動を通して、こうした現状を変えようという山本太郎さんの試みは、日本では誠に珍しい、真の意味での民主主義運動に他ならないのではないでしょうか。香港の民主化運動報道に多大の時間を費やしながら、れいわ新選組を無視し続けるNHKの欺瞞性が、日本のマスコミ現状の象徴です。私は心から、れいわ新選組に声援を送るものです。

無事終了

■20191226(木曜日:曇のち雨)

松江城の堀川めぐりです。

■今年も残り1週間を切りました。12月22日が冬至でしたから、今は毎日、毎日日照時間が伸びていることになります。とは言っても、寒さはこれからが本番です。

今日のお昼は沼津西ロータリークラブの、今年最後の例会でした。今年10月に行ったベトナム枯葉剤被害者支援の旅の報告を行ないました。毎年クラブからは活動への支援金を頂いていますので、今年どんな活動をしたのか報告する義務があります。30分の中で、どれだけ皆さんに理解していただけたかは分かりませんが、とにかく原稿には時間を費やしました。

いつもですと、早めに原稿を完成させ、スマホに録音し報告の時にはスマホから無線でイヤホンに飛ばして、自分の声を聞きながら話をするのですが、今回は原稿作りが間に合いませんでした。今朝は5時半に起きて原稿の最後の部分を完成させました。出来上がったのが8時前でしたので、それから録音する元気は残っていませんでした。

ところが、これが幸いしたのです。人生まさに、人間万事塞翁が馬です。通常ですと13時から卓話の時間となり、演者が話を始めるのですが、今日はその前に色々な発表が重なってしまい、実際に始まったのは13時5分を過ぎていました。5分間分の原稿をその場で減らすというのは、容易なことではありません。録音しておいたとすると、とても出来る相談ではないのです。

しかし、今回は原稿を印刷して持って行きましたので、なんとか無事に乗り切ることができました。若干オーバーしてしまったのですが、それは勘弁してもらうしかありません。

17日に白内障の手術を受け、演台に立って手元に置いた原稿をメガネなしで読むことができるようになっていたのも幸いでした。以前でしたら持っているメガネのどれをかけても原稿を読むことができませんでした。本当にラッキーだったと思います。

自分にできる限りの準備をし、努力をしたことを神様は見逃したり、見捨ててはいないようです。持参したパソコン、Acer Chromebook R13 もしっかりとPreziのファイルを再生してくれました。

Preziのファイルはとても重いので、再生するのが容易ではありません。クラウド環境下ですので致し方ないのですが、ウインドウズパソコンでは心配で、とても安心してプレゼンができません。出かける前にしっかりと完全にファイルをダウンロードし、展開した状態でパソコンを会場に持ち込み、メモリー上に展開したファイルを、そのまま再生するという形を取るのが一番安全のようです。

とにもかくにも、これで本当に忙しなかった師走に、自分に課せられたノルマを無事に全て終了することができました。本当に感謝、感謝です。

月100キロ走の目標だけが達成できそうも無いのですが、これは致し方ありません。無理をして体を壊しては本末転倒です。風邪をひいて体調を崩したうえに白内障の手術をした訳ですから、まるまる2週間以上、走ることができませんでした。

理論上はまだ時間が残されていますが、今から達成するとなると死ぬ気で走らなくてはなりません。新たな目標に向かう方が賢明でしょう。

今夜は、ご苦労さん会と称してSunと一緒に日帰り温泉に入って、一杯やる予定です。あとは年賀状が、残るのみです。本当に、ご苦労さまでした。

筋肉痛

■20191225(水曜日:晴れ)

ちどり茶屋の裏通りです。

■今朝も走りました。昨日に引き続いて目覚ましを5時に合わせてあったのですが、その少し前、4時40分頃に目が覚めました。朝の冷え込みのためです。今朝は冷えました。多分この冬いちばんの冷え込みだったのではないでしょうか。肩口から冷えて来ましたので、慌ててもう一枚掛け布団をかけました。

もう一度寝込んでしまうと、今度は起き出すことができそうにもなかったので、そのまま準備を始めて5時ちょうどに、今朝のスタートを切りました。

走り出してみてわかったのは、筋肉痛です。昨日は2週間以上空いて久しぶりに走ったのですが、当然のことながら、筋肉痛などは感じませんでした。今朝はそうはいきませんでした。

いつものコースを6.09km走り、今月は6回のランで41.94km。残り6日で58.05kmのところまで来ました。今朝は最後の1キロあたりで、右の膝の痛みが出現しました。たった5キロ走っただけで、もうランナーズ膝ですから、これではいけません。

まぁ、できる限り、積み重ねをしていくつもりですが、やはり今月は100キロ走は難しそうです。

■白内障の手術を受けてから1週間が過ぎました。思い出してみると、先週の火曜日の夕方に、のんちゃんとSunと2人でお見舞いに病院に来てくれました。あの時点では手術が終わって4時間から5時間ほど経過していましたでしょうか、まだ霞んでいてあまりはっきり見えませんでしたが、それでも随分と明るくなった感じがしていました。

あれから1週間が経って、今はメガネなしで日常生活には、ほぼ支障がありません。仕事上もカルテとパソコンの画面を見るのに不自由を感じません。ただし患者さんの眼底を診る時にプラス 1 Dの老眼鏡をかけると、より鮮明に確認することができますので、その時だけはメガネを使用しています。

手術をする前は、両方とも近眼で左右差のある不同視でしたが、今はほぼ左右同じ程度の軽度の近視という状態で、私から言わせれば理想的な状態となっています。

■昨日ネットで注文してあった、足元に置く保温マットが届きました。いわば個人用の床暖のようなものです。縦30センチ横60センチほどです。我が家はほとんどの部屋がフローリングですので夏は涼しくて良いのですが、冬はとても冷え込みます。石油ストーブなどは使っておりませんので基本的に暖房は、こたつだけ。

特に寒い日には電気ストーブをつけていましたが、冷え込むのは足元からなのです。そこで昔、受験勉強の時によく使っていた足元から暖める保温マットを購入したのです。今も、その保温マットの上に足を乗せて、この作業をしています。全然寒くありません。

電気ストーブほど無駄なエネルギーを使うこともありません。今の保温マットは、とても薄くて軽いので寝る時に肩口にひいて寝ると、とても暖かくて熟睡できるかもしれません。今夜、試してみるつもりです。

さて、あとは明日行うロータリークラブでの卓話の最終チェックをしなければなりません。まだスライドが完全に完成していないのです。

再開

■20191224(火曜日:晴れ)

松江城内のお茶屋さんでいただいた和菓子です。

■今朝は走りました。最後に走ったのが12月9日ですから、15日ぶりということになります。風邪を引いたり、白内障の手術を受けたり、今月ばかりはやむを得ない理由が重なりました。無理をしては何の意味もありません。

昨日診察を受けて、もう明日からは通常通りの運動をしても構いませんよ、とお許しを得ました。ただし、やはり試運転が必要ですので、今日はのんびりと、いつものコースを走りました。なるべく目に負担がかからないように、頭の上下運動をしないように、腰から下だけをイメージして走るようにしました。

休養は充分でしたので、思ったよりもスピードが出ていたようです。走っていて辛いとか苦しいとか思う場面はありませんでした。むしろ走ることができる喜びで、気分的にはハイな気分で走り切ることができました。

今朝は6.09kmをキロ7分13秒で走り、今月はこれで5回目のランで35.84kmを積み重ねました。もう月100キロメートルの目標は諦めましたので、あと、どれだけ積み重ねができるかだけの12月となってしまいました。

これで連続月100キロ走は途切れましたので、新たな目標が必要です。また来年1月からは月100キロ走を始めますが、新たな目標として、70歳でフルマラソン完走と決めました。これはなかなかに厳しい目標ですが、積み重ねをしていけば決して実現不可能な目標ではないと思います。

来年からは、また一からやり直しです。それが大切なのだと思います。

一段落

■20191223(月曜日:曇)

松江城内のお茶屋さんでいただいた和菓子です。

■今朝もゆっくりと休むつもりだったのですが、5時過ぎに目が覚めて起き出しました。今日は白内障の手術を受けてからの1週間後の検診です。今日診察を受けて特に問題なければ、頭も自分で洗えるようになりますし、日常生活もほぼ手術前と同じに戻すことができるようです。

手術を受けてから感じることは、今まで目の前に一枚膜がかかったようになっていたのが綺麗に外れて、とても鮮明に見えるようになったこと。

そして何より私は近視が強かったので、眼鏡をかけないと遠くは見えなかったのが、今では眼鏡なしでもほぼ不自由なく生活ができるようになったことが大きな変化です。

昼間でしたらメガネなしで車も運転できますし、新聞も大きな文字であれば、読むのに不自由はありません。ただし当然のことながら、細かい数字を見るということになると、やはり老眼鏡が必要です。

今こうして入力しているのは、スマホから音声入力アプリのSimejiを使って書いていますが、少し離せばメガネ無しでも入力が可能です。

昨夜は寝床に入って、久しぶりにKindleで読書をしようと思ったのですが、今までの文字の大きさですと見にくくて読みにくかったのですが、そこは電子書籍です。文字の大きさを拡大すれば充分、眼鏡なしで読むことができることに気づきました。そうです、文字を拡大すれば良かったのです。

近眼が強かった私が、唯一便利だと感じていたのは、寝床に入って自分の目で読書ができるということでした。電子書籍のありがたみというものに、改めて感謝する思いでした。老眼鏡をかけて文庫本を読むよりも、文字を拡大して自分の目で電子書籍を読む方が、ずっと楽で疲れません。

さて、そろそろ病院に行く準備をしなければなりません。夜になったら、もう一度考えをまとめて入力しましょう。

扇動ゲーム

■20191222(日曜日:曇)

松江城の中にある茶屋です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。昨夜は沼津西ロータリークラブのクリスマス例会でした。例年ですと、これが今年最後の例会となるのですが、今年は来週もう一度26日に例会が開催され、最終例会となります。

その最終例会で、私が仲間と共に今年の10月に行った、ベトナム枯れ葉剤被害者支援活動について報告しなければなりません。したがって、今その資料を作成中です。

今朝は6時に目覚ましを合わせてあったのですが、その後しばらく布団の中で、ウトウトと時間を過ごしました。平日ですと、そのようなまどろんだ時間を持つことはできませんので、今朝は、まあいいか、と時間の流れに身を任せました。

色々な夢が浮かんでは消え、消えては浮かんできました、内容は、やはり子供たちのことが多かったように記憶しています。子供達が、いくつになっても、やはり自分にとっては子供なのです。

さて今朝の東京新聞朝刊「時代を読む」欄では、哲学者の内山節さんが、「権力者の扇動ゲーム」と題して書かれています。自分が何かを判断しなければならない時に、自然はこの問題をどう思っているのだろうかと考え、判断の材料にすると、内山さんは書かれています。

日本の伝統的な考えでは、社会とは自然と人間によって作られているものだから、人間の論理だけで勝手に社会を作ってはいけないと人々は考え、絶えず自然という他者に思いを寄せてきた、とも書かれています。今、そうした思いがなくなって、人間の論理だけで社会づくりが進められる時代に変わってしまった、と内山さんは嘆いておられます。

そうして1年間を振り返り、今年を象徴する出来事は何かと考えた時に、内山さんは、桜を見る会をめぐる一連の出来事だと断じているのです。なぜなら、それは権力は腐敗するということを立証する出来事だったからであると言われています。

20世紀を代表する社会学者であるマックス・ウェーバーの「職業としての政治」を引用し、国家は暴力の独占によって作られた強い権力機関であり、それゆえこの権力に携わる者は腐敗、堕落しやすい。そうならない方策として、マックスウェーバーは政治に関わる者達に高い倫理観、道徳観を求めたのだ、と書かれています。

ところが現実の世界では、倫理観など持ち合わせてはいないとしか言えない政治家たちが、世界中で跋扈していると嘆いているのです。そしてこう述べられています。「そのひとつの表れが、桜を見る会の出来事だった。税金や権力を私物化しても平気な人々が、日本の政治を握っている。その人達に高い倫理観を求めても、そもそも倫理観など持ち合わせてはいないのだろう」。そして今の政治が権力を掌握するための扇動ゲームになってしまっていると指摘しているのです。

アベノミクスという何年やっても何の成果も上がらない経済政策で国民を扇動し、外国の脅威で扇動する。野党批判で扇動し、女性活躍、働き方改革などの扇動スローガンを次々に打ち出し、格差社会の現実や加計学園の獣医学部開設などであらわになった、権力の私物化から、人々の目をそらそうとする。このような扇動型の腐敗政治の象徴が、桜を見る会をめぐる一連の出来事の中にも表れていた。

明治に始まった日本の近代社会。150年の時を経ようとしている現在、ちょうどその半ばに敗戦を迎え、その敗戦の焼け野原から立ち上がった日本人が、さらに半分の月日をかけて築き上げてきたのが現在の政治だとすれば、日本の近代社会の行く末は、どこへ向かおうとしているのか。暗澹たる気持ちに陥るのは、私だけではないはずです。

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