2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2019年12月 Page 2 of 4

本屋の行方

■20191221(土曜日:曇り)

高崎駅前です。

■17日火曜日に白内障の手術を受けて以来、走ることができずにいます。そのお前の風邪騒動から含めれば、もう2週間近く走らない日が続いていますが、こんなことは5年ぶりではないでしょうか。

運動をしない訳ですから、当然消費エネルギーは減ります。したがって、体重を増やさないためには食事に注意するしかありません。炭水化物ダイエット、即ちロカボの実践です。穏やかな低炭水化物食の摂取です。

例えば今朝の朝食の内容は、コーヒーカップ一杯と納豆を一パック、ヨーグルト、そしてりんご半分でした。ランニングをした後であれば、これに食パン一枚とチーズ、ソーセージなどが加わります。

この食事のおかげかどうか、今のところ継続して測定している、体重、体脂肪率などに大きな変化はありません。

■さて、今朝の東京新聞「大波小波」欄を興味深く読みました。「本屋さんに問うヘイト本」です。こう書き出されています。『永江郎の『私は本屋が好きでした 溢れるヘイト本、作って売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)が出た。店頭にヘイト本を積み上げて恥じない本屋への決別の書にして、なぜヘイト本が出続けるのかを出版業界全体に問うた告発の書である』。

著者は出版業界を丹念に遡りながら、こう問うています。「出版業界はアイヒマンなのか」。『ナチス時代、ユダヤ人虐殺に手を貸したのは、悪魔のごとき存在ではなく、アイヒマンのように与えられた仕事を淡々とこなす普通の人々だった』。そして最後にこう結論付けています。

ヘイト本を送り出す人々に広がるのが疲弊、無責任、想像力の欠如、無関心等ならひとり出版業界だけの問題ではあるまい。これはダメだ、これは間違いだ、これはもう止めよう。少しの勇気と少しの声と行動が今、私たちに求められている。

12月に入って私の町の書店もフィットネスクラブに衣替えしました。町の本屋さんが無くなってきているのです。先日も沼津駅前の商店街に行った際に、老舗の本屋さんに立ち寄ってみたのですが、大変驚いたのです。雑誌売り場の一角が嫌韓本で溢れているのです。本当に驚きました。

これまでにも差別はあったし、影では嫌韓を主張する人はいました。しかし、これほど露骨に、しかも街の本屋さんに山積みになっている嫌韓本を見ると、恐ろしくなると同時に、日本という国のタガがどこか外れてしまったのではないか、と考えざるを得ないのです。

それは、まさに品性の劣化です。テレビやマスコミでは、日本は素晴らしいのオンパレードですが、実際に起きていることは全くの真逆なのです。さまざまな理由が考えられるのでしょうが、一番私が正鵠を射ていると思われるのは、貧すれば鈍する、です。

日本は確実に貧しくなっているのです。それは山本太郎さんが指摘する如く、20年にわたるデフレの中で政府が国民への投資を怠ってきた結果に他なりません。一部の国民がより豊かになる一方、多くの国民が疲弊しているのです。その結果道徳は廃れ、品性は劣化していくのです。

それに対して政権与党は、道徳教育をしっかりすべきだ、などと主張していますが、全くの噴飯ものです。今こそ、私たちは舵を切らないと本当にどん底にまで、日本は落ち込んでしまう可能性があります。組織の幹部から、そう命じられたからではなく、一人ひとりが自分の頭でしっかりと考え行動しなければダメなのです。

再出発

■20191220(金曜日:晴れ)

■今朝もゆっくりと休みました。火曜日に白内障の手術をしてから、今まで続けてきた朝のジョギングはしばらくおあずけですので、目覚ましは6時に合わせて起きています。もう2週間近く走っていません。もう一度前のように定期的に走ることができるようになるのかかなり不安ですが、今は堪忍自重の時です。

手術前に罹患してしまった風邪も、ようやく完治の一歩手前まで来ました。まだ鼻水が時々出たりしますが、体自体の調子は普段と変わらないものに戻りました。

昨日からは仕事も再開し、とても不安だったのですが、幸い自分の裸眼視力だけで十分仕事ができることが分かりました。もちろん、これから術後安定する1ヶ月までは見え方は変化するでしょうから、一喜一憂しても仕方ありません。兎にも角にも今は手術は大成功で、以前と違ってとても鮮明に物が見えるという喜びを噛み締めています。

今このブログを更新しているのは、スマホで行っているのですが、この画面の字の大きさですとプラス1Dの老眼鏡で作業すると、とても楽に行えます。つまりは文字が大きくハッキリ見えるということです。本当に綺麗に見えます。

昨日は手術前から読んでいた中村梧郎さんの「母は枯葉剤を浴びた」を読み継いだのですが、以前と比較して文字がとても綺麗に見えるので、読むのがずっと楽になりました。

使用していただいた眼内レンズは単焦点のレンズですので、遠くも近くもみんなよく見えるというわけにはいきません。先生にはマイナス2Dになるように計算してもらいました。つまりは50センチ先に、ちょうどピントが合うような計算です。軽度の近視状態です。

ある論文によれば、この程度の近視が遠方も近方も一番不満が少ない、屈折度数らしいのです。私は手術前は右は強度近視に近く、左は中等度の近視という不同視でしたが、近くの細かい字は右目で見えましたので、読書に関しては最後まで、それほど苦労することはありませんでした。寝床に入って眠る前まで、Kindleで読書をするのも眼鏡なしで問題ありませんでした。

今のところ、この睡眠前の寝床での読書はできません。少し離してみても文字を読むのが困難です。もちろん老眼鏡を使えば全く問題なく綺麗に見えるのですが、寝床の中で老眼鏡をかけることは自分にはかなりの抵抗があります。

まあ、新しく生まれ変わったようなものですから、落ち着くまでに時間もかかりますし、慣れるのにも時間がかかるということでしょう。それに適応して必要なメガネを使って、無理をせずに生活する、ということが求められている訳です。

手術をする前はある一定の距離からは光が届いていないような感じがしました。例えてみれば、射程距離の短いヘッドライトを付けた車で運転しているような感じでした。それ以上先の距離は、光が届かずぼんやりしてよく見えなかったのです。それは白内障のためでした。それが全くといいほど消えました。どこまでもピントが合うということはもちろんないのですが、光はどこまでも届いているという感覚が戻りました。あとは慣れることしかないようです。

親子

■20191219(木曜日:曇)

松江市の武家屋敷邸の庭です。

■今朝はゆっくりと休みました。家で休むのが一番安心です。今日は術後2日目ということになります。とりあえずは最初の24時間が一番大事です。急性期の感染症が最悪ですから、とりあえず24時間を乗り切れば一安心です。

不潔な水が目に入ってはいけませんので、まだ頭も洗えませんし、顔も洗うこともできません。顔は拭くだけ、頭もタオルで拭くだけです。

そして、食事の後、さらに寝る前に目薬をつけなければなりません。三つありますので、それぞれ3分から5分を空けるとなると全部終わるまでには一仕事になります。患者さんの気持ちがようやく実感できました。

術後2日目の見え方の状態は、新聞の見出し程度は自分の目で問題なく読めます。ただし細かい記事の内容となると少し苦しいので、軽い老眼鏡をかければバッチリ見えるという状態です。私の願っていた、部屋の中にいる限り不自由なく生活できると、いう意味では全く問題なく満足する状態です。

今日から仕事ですので手元に置いたカルテと顕微鏡を通してみる患者さんの目の状態と、そしてパソコンに映った電子カルテの内容を更新するという、三つの距離を見分けなければなりません。それがどうなるか、いささか心配ではあります。

■さて、今朝の東京新聞朝刊「筆洗」欄の記事には考えさせられます。ぜひとも皆さんにも読んでいただきたい内容なのですが、一部を引用させていただきます。親の一人として考え込まずにはいられない内容です。

「転々」などの小説家、藤田宜永さんは母親との折り合いが悪かった。学校の試験で良い点をとってもほめられたことはない。間違ったところばかり、しつこく責められる、自分は母親から愛されてない。やがて家を飛び出し、亡くなるまでぎくしゃくした関係が続いたそうだ。

母親が81歳で亡くなった。葬儀の時、その顔に驚いたと書いている。自分を叱っていたヒステリックな顔ではなく「小さな小さな可愛い顔」だったそうだ。心の中で母親に語りかけたという言葉が切ない。

「どうして、その顔で僕を育てなかったんだい」

そして、その後に続く内容が、元農水次官が暴力を振るう長男を刺し殺した事件なのです。

■親子関係は本当に難しいことばかりです。子供は一つの人格を持った、全く自分とは異なる存在だということは、頭では理解していても、半分は自分の遺伝子を持っているわけですから、当然のことながら全く別の人間ではありません。

他人ではないのです。他人ならば許せることも親子では許せないことは、たくさんあります。親として本当に子供の事が可愛いくて、そして心配することばかりなのです。

そんなことは当たり前のことなのですが、だからといって毎日食事をする度に、お前のことがどれほど可愛くて心配なのかを延々と語られたら、子供はうんざりしてしまうでしょう。

本当に愛しているものに対して、どのようにその愛情を表現したら良いか。これこそ最高難度の問題かもしれません。

退院

■20191218(水曜日晴れ)

松江市の武家屋敷邸の庭です。

■昨日は聖隷沼津病院に入院して、白内障の手術を受けました。以前から当院の患者さんがお世話になっている、池原先生、そして山本先生に手術していただくために入院しました。

何年前からでしょうか、もちろん急に見にくくなった訳ではないので、生活に支障が出るというわけではありませんでした。でもなんだかものがはっきり見えなくて薄い膜がかかったように見えるのです。あるいは、とても眩しく感じたりしてきました。メガネをいくら変えてみても、視力が一定以上でませんし、はっきり見えないのです。

幸い右目の方が何とか見えていましたので、仕事上ははっきりとした不都合はなかったのですが、色々な状況で不便を、とても感じることが出てきましたので、池原先生に診ていただき、手術を決断致しました。

昨日は9時前に入院し、手術前の様々な処置を受けた後に、12時半頃から一例目の患者さんが手術開始となりました。私の順番が回ってきたのは8番目で、1時半頃から手術場に入って準備を始めました。手術は順調に終了し、本当にあっという間に終わることができたのは、山本先生をはじめ、手術場のスタッフの見事な連携の結果だと本当にありがたく思いました。

■14時頃に病室に戻り、1時間は絶対安静ということでした。1時間ごとぐらいに、自分なりに見え方を天井を見ながら経過を比較していました。4時間から5時間ほどしてから次第にかすみも取れ、鮮明に物が見えるようになってきました。散瞳薬の効果も切れてきたのでしょう。

■さて、今朝になって目を開けてみると、手術前に比較して格段に周囲の景色が鮮明に見えることに驚きました。池原先生に外来で診察をしていただいたところ、炎症もほとんどなく、今のところマイナス1D程度の近視になっているが、私の目だともう少し近視が強まって、計算通りのマイナス2D程度の近視に落ち着いていくのではないかというお話でした。

■家に、無事に帰り、テレビを見てみると、こんなにも綺麗なテレビだったのかと驚きました。今のところ新聞を読んでも眼鏡なしで自分の目で十分読むことができます。まあ、これから少しずつ変化していくと思いますので、感染症などの合併症にならないよう、お薬をきちんと点眼して、目をぶつけないようにすることが1週間は大事です。

貧困と無知

■20191217(火曜日:雨)

■さて今日は自分自身が白内障の手術を受ける日です。まさか、こんな日が来ようとは夢にも思いませんでした。そんなのは高齢者のことだ、と高をくくっていたのです。実際に高齢者に入っているのです。俎の鯉とは、まさにこの心境でしょう。自分が散々鯉を料理する立場にいたのですが、今度は料理される立場になったのです。ジタバタしても仕方ありません。

■さて昨日はTakuから連絡が入り、高速道路を運転中に右前のタイヤが、突然バースト、つまりホイールを残してタイヤ部分が破裂して無くなってしまったようです。路肩に寄せて保険会社に連絡し、レッカー車が来て車のディーラーまで運んでもらい、代替車で無事に帰宅できたようですが、本当に危機一髪でした。

少し運が悪ければ、大事故になり命さえ危ういことになりかねませんでした。本当に幸運だったのです。タイヤ自体はスタッドレスタイヤであり、ノーマルタイヤから替えたばかり。しかも二年前に購入した、ほぼ新品ですから擦り切れていた、ということはないようです。道路上に何かが落ちていて、その上を引いてしまったのか、原因は不明ですが、本当に大事に至らなかったことだけを知って、ホッとしました。

あとは私の手術が残るだけです。

■さて今朝の東京新聞、「大波小波」欄では、亡くなられた中村哲さんに関連して、山本周五郎の「赤ひげ診療譚」について書かれています。

出直し

■20191216(月曜日:晴れ)

松江の武家屋敷邸です。

■先週は中頃から喉の痛みを覚え始め、咽頭炎と判断し、うがいをしたり、消炎剤を飲んだりしていましたが、木曜日の夜から症状が全身に及びました。寒気と倦怠感が襲ってきたのです。

木曜日の夜の静岡での理事会の時が最悪でした。往復の電車の中でフードを被ったままでいたのですが、傍から見ると異様な格好だったと思います。それほど寒く感じたのです。首筋って凄く寒く感じるのですね。

昨日の日曜日も結局一日、家で安静にしていました。片付け物をしたり、少し動いては、こたつで横になって温まるといった一日でした。夕方Sunと2人で近くの日帰り温泉に行って、私は長湯はせず、さっと入って上がりましたが、体調が優れないのでしょう、ゆっくりお風呂に入る気持ちも湧きませんでした。それでもさっぱりしたので、その後2人でカレーを食べて家に帰りました。

そして、8時過ぎにはもう寝床の中に入り、しばらく本を読んでから眠りにつきました。そして今朝起きてみると、ようやく体が自分自身のものに戻ったような気がして安心しました。

明日は白内障の手術を受けなければなりませんので、とにかく体調をしっかり戻しておかなければいけないと、そのことばかりを気にしていましたが、なんとかギリギリ間に合いそうです。

■これまでずっと続けてきた、月100キロ走の記録も、今月で途絶えることが確実になりました。この風邪騒動や手術のために止むを得ません。もう1週間近く走っていないのですが、こんなことはおそらく5年ぶりのことではないでしょうか。

還暦でフルマラソン完走を目指して走り始めて、61歳でフルマラソン完走の目標を達成しましたが、その後は目標を月100キロ走に切り替えて続けてきました。ここで、ひと段落と言うことでしょうか。いま考えている、次なる目標は古希でフルマラソン完走です。つまり70歳でフルマラソンを完走するということです。これも私にとっては、なかなかに高いハードルです。でもわかりやすい、達成可能な目標を持つということは、とても大切なことです。

とりあえずはこの目標で、毎日を積み重ねていこうと考えています。それにしても、健康あっての人生だと、つくづくと実感した一週間でした。

病床

■20191215(日曜日:晴れ)

松江の武家屋敷邸です。

■今朝は風もなく穏やかな朝です。木曜日の夜、静岡での会議に出席するために東海道線に乗りましたが、その時感じた寒気から未だに立ち直れていません。熱はないのですが、鼻水が止まらず、体はだるく節々が痛みます。

昨日の夜は8時には床に入り、安静をとりました。さすがに8時に寝ても、すぐさま寝入るということはできませんので、Kindleで「青が散る」を再読し始めました。2時間ほど読み耽った後に、ようやく眠気が襲ってきましたので、眠りにつくことができました。

今朝は6時に目覚ましを合わせておきましたが、昨日に比べればかなり楽になりました、しかし鼻水は止まりませんし、体もだるいので、さすがに今日予定されていた、新沼津カントリークラブの月例はキャンセルしました。

火曜日には白内障の手術が予定されていますので、それまでに体調を万全にしなくてはなりません。それが今の優先順位、ナンバーワンなのです。

今年も1年間色々ありました。いずれきちんと1年間を整理しなければならないと思いますが、とりあえずはまず、体調を元に戻さなければなりません。

■一つだけ取り上げるとすれば、山本太郎さんが立ち上げた、れいわ新選組との出会いは、大きな出来事でした。彼が公約として掲げている事柄は、決して突飛でも何でもないのですが、今までどういうわけか他の政治家の皆さんがそれを公約として主張してきませんでした。まさに目から鱗が落ちる思いとは、このことではないでしょうか。自民党の政治家の中にも、山本太郎さんの主張している政策はすべて実現可能だと言っている方もいるほどです。

現在、山本太郎さんは日本各地を回って、街頭記者会見と称して、市民との対話を重ねています。これがまた、とても興味深く、面白いのです。当然のことながら、今の社会の中で成功して豊かになっている人達は、こうした会合に出席することはありません。何とかして今の世の中を変えてほしい、と心から願っている人達が集まってくる訳です。

その中には心の中に鬱屈を抱えた人々、例えば酔っ払いのおじさんなども混じってきて絡むこともあるようです。それでも山本太郎さんは可能な限り誠実に対応して意思の疎通を図ろうと努力しています。

生中継されていますので、それが緊張感を良い意味で生んでいるのではないでしょうか。自分がもしも政権をとったら、情報を可能な限りオープンにすることが自分たちを守ることにつながると、山本太郎さんも述べています。

テレビばかりを見ていると、今の日本には何の問題もないように錯覚しますが、それは単なる誤解にすぎません。山本太郎さんが日本の現状を説明する度に、ハットされる方は多いのではないでしょうか。1人でも多くの方がそうした気づきを得てくれれば、日本は変わる可能性があると思います。

家族を想うとき

■20191214(土曜日:晴れ)

我が家から見た富士山です。

■今朝も、ゆっくりと休みました。風邪の為、体調がすぐれず昨日の朝は、まだ寒気がとれませんでした。それでもホッカイロを腰にあてていたら、とても楽になりました。腰から冷えてくるのです。一日中、体がだるくてまいりましたが、何とか峠は越えたようです。

今朝は六時に合わせておいた目覚ましで、すんなりと目が覚めましたが、起き出すには少し時間がかかりました。そこがまだ体調が完全でない証拠のようです。あともう少しでしょうか、ここで無理をしても良いことは何もありませんので、とにかく体調の回復を待つしかありません。

■今朝の東京新聞朝刊の第1面は、「英与党過半数、ジョンソン首相、来月末離脱」とイギリスの総選挙の結果を大々的に報道しています。

しかし、私の目が止まったのはその記事ではなく、左下に記載された「社員は消滅する、働き方改革の死角」なのです。こう書かれています。『英国の巨匠、ケン・ローチ監督が新作で世界で進む「社員消滅」の現実に警鐘を鳴らしている。

83歳の監督が引退を撤回して告発するのは、働き手を社員として雇うのではなく、個人事業主に置き換える潮流。雇用システムの世界的な変化の「落とし穴」だ』。

カンヌ映画祭での会見で、ローチ監督はこう言った。

仕事をするのは家族を守るためのはず。仕事によって家族が崩壊するのは根本的に間違っている。

労働問題に詳しい法政大学の上西充子教授は、こう警鐘を鳴らす。

歴史を振り返れば、労働法ができたのは、劣悪な労働条件で働かせれば社会の持続可能性が脅かされることが理解されたからだ。今、必要なのは労働法の縛りから経営者を解放することではなく、新たな法的な仕組みを整えることだ。

■社会の持続性は、何も環境問題だけで崩壊するのではないのです。働く人々の環境もしかりなのです。資本家や経営者は、利潤の最大化だけを目指しているように思えます。

持続性を無視して、その時の数字の最大化だけを求めれば、社会は暴力に満ち、崩壊するしか無いのです。

中学生の頃

■20191213(金曜日:曇)

■昨日は忙しない一日でした。午前中に仕事を終えて、普通でしたら昼休みロータリークラブの例会に出席するのですが、昨日は休会でした。その代わり、14時25分からの授業時間に太平中学校で、ベトナム枯れ葉剤被害者支援活動について講演をしてほしいと頼まれていました。

50分の授業時間ですが、講演内容として原稿を練りに練ったのですが、結局44分というところで時間的には落ち着きました。Sunにプレゼンを見てもらったのですが、眼科検診の様子なども入れた方が良いのではというアドバイスをもらい、なるほど、そうだなぁと後から写真を追加しました。そのため、当初の41分から44分になってしまいました。

■太平中学校は、かつて母や義母が入所していた特別養護老人ホームに向かう道沿いにありました。全生徒数が79名と、こじんまりとした中学校ですが、すんによればとてもまとまりが良く、先生方と生徒との信頼関係も、とてもうまくいっているとのことでした。

三十分ほど前に到着し校長室に通していただきました。校長先生とお話を始めたのですが、数分お話をした後、とにもかくにも、まずパソコンとプロジェクターの接続を確認しなければならないことに気づいて、会場の体育館に案内してもらいました。

驚いたのは、その途中の廊下の壁に、写真展に使った旅の様子を写したラミネートした写真が、ズラリと並べてくれてあったことです。生徒に見せたいからと言われ、お貸ししてあったのですが、ここまできちんと展示してくださるとは夢にも思っていませんでした。帰り際に校長先生には、その廊下の張り出した様子を写真に撮って、ぜひ送っていただきたい、とお願いしました。照明の関係で暗く、私のスマホでは上手く撮れない可能性があったからです。

■お話をしていて驚くことばかりだったのですが、佐藤校長先生の熱心さには本当に頭が下がる思いでした。ご自身は国語の先生でいらっしゃるのですが30年以上前に中村さんの「母は枯葉剤を浴びた」を読み、感動したそうです。子供達にも読むことを勧めてこられたそうです。

Sunから、校長先生が愛読書として読まれていると聞いていたので、中村さんの本の表紙を、まず最初の写真として生徒さんたちに提示しました。

終了後に生徒さんから質問を受けました。「支援活動を始める前と後で、自分の中で何が変わりましたか」という内容でした。私は、びっくりしました。自分の中学時代を考えると、絶対に考えそうもない質問だったからです。大平中学校の生徒さんは、本当に優秀だと感心しました。

虐げられ苦しんでいる人々が一番恐れるのは、自分たちは忘れられているのではないか、という不安です。たとえ、ささやかな活動であっても、被害者に寄り添うことで、その不安を軽減できる力が自分にもある、と実感したこと。それが活動後に変わったことです、と答えました。生徒さんにも、ぜひ一歩を踏み出してほしいと思いました。


変わったこと

■20191212(木曜日:晴れ)

足立美術館の庭です。

■今朝もゆっくりと休みました。風邪気味でスッキリしないからです。調子がでません。今更無理をしても意味がありません。とにかく安静第一です。

今日はロータリークラブの例会も休会ですが、2008年から続けているベトナム枯葉剤被害者支援活動について、太平中学校でお話をしてほしいと、佐藤校長先生から依頼を受けて、出かけてきました。

50分枠の授業時間を使ってのお話でした。校長先生の紹介の後にPreziを使って、お話をさせていただきました。体育館で79名の全生徒さんを前にお話しさせていただきましたが、念のためにパソコンを2台持って行きました。本当に助かりました。神様は私を見捨ててはいないようです。

1台のパソコンで学校のプロジェクターに繋いだところ、このプロジェクターは対応していませんと断られてしまいました。本当に焦りましたが、もう1台のASUSのChromebookは無事につながることができました。やはりクローンは色々な機器に対する接続がカバーされていないようです。念のために2台持って行って本当に正解でした。

■最後に質問コーナーを設けたのですが、1人の女生徒が質問をしてくれました。「支援活動に参加する前と後で、自分の中で何か変わったことがありますか」と質問をしてくれたのです。ちょっと、びっくりしましたが、大したもんだと感心しました。自分が中学生の時だったら、とてもそんな質問はできなかったと思います。

講演が終わって記念撮影。大平中学校の体育館で。

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