2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2021年7月 Page 1 of 4

目標

■20210731(土曜日:晴れ)

今朝、見つけた百合の花です。

■今朝も走りました。7月も今日が最後の日です。なんとか目標を達成しようと、今朝も4時半に起きて準備運動後、走り始めました。40分10秒、5.87kmを走り、今月は16回のランで101.30kmを積み重ねることができました。

今週は25日の日曜日から6日間走り、週の合計で43.51kmを走りました。先週の積み重ねがたったの2.35kmでしたから、正直今月は月100キロ走の目標達成は難しいと諦めかけたのですが、なんとか滑り込みセーフで目標を達成することができました。

毎月、毎月、本当に綱渡りの日々です。でもそうした、滑り込みセーフの綱渡りの日々の結果が、今の自分を作り上げている訳ですから、大切に積み重ねてくしかありません。

もしも一ヶ月100キロ走という目標を自分なりに立てていなかったとすれば、決してこうした積み重ねはできませんでした。自分なりに立てた目標があるからこそ、何とかそれを乗り越えようと頑張ることができるのだと思います。

どんな些細な目標であっても良いのです。自分の力で乗り越えられる目標を一つ一つ達成していくことで、5年後、10年後に自分自身が目標とした自分に近づいていくことができると信じています。

ただただ毎日を送っているだけだと、結局どこに向かって自分が歩んでいるのか見当がつきません。まるで森の中を、さまよっているようなものです。

これからあと何年、今の目標を達成し続けることができるか分かりません。実際にはかなり厳しいと思っています。

今のところ今年は5月に1度だけ目標を達成できずに、月間走が64.66kmだったことがありますが、それ以外は月100キロ走を達成しています。5月はコロナワクチン接種後の副反応のために体調を崩していたのです。これは致し方ありません。

昨年も一度だけ月76キロ弱しか走れませんでした。8月の猛暑の中、頑張って100キロ走ったのですが、9月に力尽きてしまいました。このまま、なんとか年末まで目標を達成し続けたいと思っています。

お休みの月が一回だけ、2年間続きましたが、これも致し方ありません。そして、来年こそは3年ぶりに、千歳JAL国際マラソンに参加しようと思っています。そして完走することが目標です。

子どもの苛立ち

■20210730(金曜日:曇)

今朝の東の空の様子です。昨夜は激しい雨でした。

■今朝も走りました。昨夜は何時頃からでしたでしょうか、雨が激しく窓を叩いていました。私自身は眠りについていて、鮮明には覚えていません。今朝も4時半に目覚ましを合わせていました。

それまでは1度も目が覚めることはなかったのですが、数分前にお手洗いに行き戻ってきてみると、枕元の目覚ましが、時間が来たことを教えてくれていました。

そのまま起き出して準備運動の後、走り始めました。今日、明日の2日間で15キロ弱を走らなければなりませんので、今日は頑張って53分42秒、8.02kmを走り、これで今月は15回のランで95.43kmを積み重ねました。

月100キロ走までは、明日1日を残して、残り4.57kmとなりました。とにかく、なんとしてでも明日の朝、残りの距離を走るつもりです。

今週は日曜日に9.38km走ったのを出発点として、今日までに37.64kmを走っています。明日走れば、1週間で40キロ以上を走ったことになります。

先月は第4週から5週にかけて7日連続、毎朝走ったことがありました。そんなことは、これまで1度もなかったのですが、短い距離ながら、やろうと思えば自分にもできる、という自信がついたことは間違いありません。

■今朝の東京新聞「この道」では、小林克也さんが8回目の連載を書かれています。題名は「げんこつ事件」です。

小林さんが小学生時代に、豊かな家庭の子どもに思える4歳ぐらいの男の子に、なぜか衝動的に怒りを感じ、頭をゲンコツで小突いたことがあったそうです。

そして、こう書かれています。

今、分析すると「お金持ちの家で、甘やかされて育っている子ども」ということに何となく嫉妬し、自分が大好きな風景を壊してしまう青い頭に腹が立ったからでしょうか。

その事件に関連して、小林さんは元ビートルズのジョン・レノンの例を引いています。レノンは子どもの頃に、いじめっ子だったことは、よく知られた話だそうです。

その原因が家庭環境にあったのではないかという見方があり、両親は不仲で船乗りだった父親がレノンを捨てた、とされています。母親も早世して、レノンは伯母に育てられたそうです。そんな彼は幸せそうな子どもに苛立ったのでしょうか、と書かれています。

そして、ご自分のことにも触れられています。「僕も両親は不仲で物心がついた頃には別居していました」。ジョンレノンと自分を重ねることには無理がある、とは言いながら、小林さんは子どもの頃の思い出を語っているのです。

この話を聞いて思い出すのは、以下の言葉です。

父親が子どもたちのためにできることで一番重要なことは、子どもたちの母親を愛することである。

セオドア・ヘスバーグ (アメリカ哲学者)

子ども達は両親の顔色を、いつも伺っているのです。両親が仲良く、幸せそうであれば、子どもは常に安心しているのです。親はそのことを、ついつい忘れがちです。そして、それは人の一生をも左右してしまうのです。

世界標準規格

■20210729(木曜日:曇)

今朝走っていて見つけたコスモスです。街路樹の脇に咲いていました。

■今朝も走りました。3日連続ですので、いささか起き出すのに苦労しましたが、玄関のドアを開けてみると、雨も降っていないようでしたので、起き出していつもの通り準備運動後、5時からスタートしました。

今朝は42分35秒、5.78kmを走り、これで今月は14回のランで87.41kmを積み重ねました。月100キロ走達成まで残り2日で12.59kmとなりました。

天気次第ですが、達成できない残り距離ではないので、なんとか頑張ろうと思っています。

毎日患者さんを診ていると、以前は元気でしっかりしておられた方が、高齢化とともに、病院にやってくること、検査を受けること、どれもこれもが本当に大きな負担になっていくのが、歩く姿を見ていても容易に理解できます。

自分自身の脚で立ち上がり、自分の行きたいところに自分自身の体を運ぶこと自体が、難行苦行になってしまうのです。今まで当たり前に出来たことが、本当に、身体へのとてつもなく大きな負担になってしまうのです。

筋肉の衰え、筋肉量の減少が大きな要因に違いありません。特に下半身の筋肉量の減少は避けられない重要な問題です。しかも、このコロナ禍で、いっそう顕著になっているのですが、運動不足がさらに輪をかけます。体重は増えるばかりなのです。

つまり、車体の重量が増えるばかりなのに、エンジンの出力がどんどん落ちてきているようなものです。

いずれ家族に迷惑をかけるようになるのは必定です。可能な限り、そうした事態を避けたいのです。自分自身の意思で、自分の思うように自分の体を動かせることは、人間の持つべき尊厳の、まさに一丁目一番地ではないでしょうか。

しかし、それは何もせずにいては、維持することはできません。若い時には決して気づかない、歳をとることの大切な一面です。やがてやってくるに違いない、その日を1日でも私は先送りしたいのです。私にできることは、走ることしかないのです。そんな思いで私は走り続けているのです。

■さて、今朝の東京新聞には日産自動車が3年ぶりに黒字へ転換した、と書かれています。

また昨日のネットニュースで読んだところによると、日本が策定した電気自動車充電プラグの規格であるチャデモが、ヨーロッパでは採用廃止になったというのです。

かつてカルロス・ゴーン氏がリーダーとして、世界初の量産電気自動車である日産リーフを発売し、その充電規格であるチャデモは、公共充電施設にはヨーロッパでは必ず取り付けられることになっていました。

しかし、現在チャデモを持つ電気自動車はリーフだけと言ってよく、世界的に見ればリーフは殆ど売れていません。

日本発の世界標準規格の一つが、また消え去ることになります。本当に愚かなことです。日本は何度同じ過ちを繰り返せば、生まれ変わることができるのでしょうか。私は大変悲観的にならざるを得ません。

草の根

■20210728(水曜日:曇)

札幌丘珠空港の様子です。乗客は、このようにして、歩いてターミナルビルに向かいます。

■今朝も走りました。台風が近づき、昨日も午後からは雨がパラつきましたが、沼津ではそれほど荒れた天候にはなっていません。

今朝のニュースでは、台風は宮城県石巻市付近に上陸したとのことです。

今朝も4時半に起き出して5時からスタートし48分51秒、7.19kmを走りました。これで今月は13回のランで、81.63kmを積み重ねました。

月100キロ走までは、残り3日で18.37kmが残っています。あと3日間、毎日6キロを走れば、目標を達成することができます。なんとか頑張ろうと思っています。

■非常事態宣言が発出されている東京で開催されているオリンピックも、毎日のように日本選手のメダル獲得が報道され、多くの人がテレビ観戦に熱中しています。

コロナ感染対策のために一方では、不要不急の外出は自粛するようにと要請しておきながら、オリンピックでは皆さん、熱狂のあまり沿道に繰り出している始末です。どう考えても、矛盾した対策が平然と行われていることは、とても奇妙なことです。

開会式では165億円もの費用が、かけられたと報じられています。どこに、どれだけのお金がかけられたかは、実際にはよく分かりません。明細が報告されていないからです。

オリンピックにいったい、どれだけの税金が投入され、何に、どのように使われたのかを、きちんと会計報告すべきだ、という意見を新聞紙上で読みましたが、当たり前と言えば当たり前のことを、これまでが行われてこなかったようです。

オリンピックは、うちでの小槌なのです。そして、その中のどれぐらいの割合が闇に消えていっているかは、決して表に出ることはないでしょう。オリンピックを何が何でも開催しようとする人々に流れているのかもしれません。

営業自粛で廃業に追い込まれた自営業者の皆さんにしてみれば、実に腹立たしい現実に違いありません。それが今の日本の政治の現実なのです。有権者の半数が棄権することによって、生み出されている現実なのです。

アメリカのように草の根の力で政治の姿が変わる時がくるのでしょうか。

現代の北前船

■20210727(火曜日:雨)

7月18日の富士山静岡空港駐車場の様子です。有料駐車場はガラガラです。

■今朝は走りました。台風が近づき静岡地方でも、これから雨がひどくなるという予報です。走れるうちに走っておこうと、今朝も4時半に目覚ましを合わせ起き出しました。

今朝は48分36秒、7.27kmを走り、これで今月は12回のランで74.44kmを積み重ねました。月100キロ走までは、残り4日で25.56kmとなりました。残り4日で26キロですから、現実的には少し難しい距離ですけれども、可能性があるうちは、何とか挑戦してみようと思っています。

■さて、今朝の東京新聞には「新幹線物流グングン加速」と題して記事が掲載されています。書き出しはこうです。

各地の朝採れの食材を、その日のうちに東京へ。地上を走るの乗り物では国内最速の新幹線を使い、地域の特産品を運ぶ新幹線輸送が広がっている。

JR東日本は今春から東北や北陸の野菜、鮮魚などを東京駅に運び、スーパーや飲食店など、駅ソトに届ける事業をスタート。常設ショップも誕生した。

北海道の食材を使ったメニューを提供する新橋の居酒屋のオーナーは、ホッキ貝やツブ貝を見てこう語っています。「豊洲市場で仕入れるよりも新鮮ですよ」。

朝北海道で水揚げされ、午後三時には店に到着。別の日には、鮮度が重要な刺身用の生ホッケや、東京では滅多にお目にかかれないエイの肝も届いた。

以前は飛行機で輸送していたそうですが、新型コロナの影響で飛行機は減便。安定した仕入れが出来ずに、ほぼ休業状態でした。

こうした取り組みには、もちろん課題があります。その一つが、東京駅での荷物の積み下ろし時間が、わずかしかないことです。

東京駅では新幹線が折り返し運転するまで12分しかないそうです。その間に車内点検や清掃を終えなければなりませんので、積み下ろしに使える時間は1、2分しかないとのこと。

JR東日本では清掃業者と、清掃の時間や場所の調整を繰り返し、最終的にはこうした食材輸送に使用できる時間を5分間確保したそうです。大変な努力が必要だったのです。

これまで駅中で使用していた、こうした新鮮な素材を、これからは駅の外にも拡大しようと様々な試みが行われつつあります。

いわば「現代の北前船」ではないでしょうか。こうした試みが成功すれば、地域の自立にも大きく寄与するはずです。今後の展開が、とても楽しみです。

熱中症

■20210726(月曜日:曇)

知床半島の玄関口、羅臼に行った時に店で見ました。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は日曜日でしたので、朝ゆっくりと一時間以上走り、積み重ねをすることができました。今日から、また日常が再開します。無理して走って出だしでつまずいては、まずいので自重しました。

月100キロ走を達成するには、今月はまだ32キロ余り残っていますので、残された日数で何とかしなければならないのですが、いささか難しそうです。

■さて、先週東京オリンピックも開始し、テレビをつけると競技の様子を報道する番組ばかりになっています。もちろん、それはそれで素晴らしいのですが、さすがに以前のように、無邪気に夢中になることはありません。

多くの方がそうした複雑な思いを抱きながら、テレビに向かっているのではないでしょうか。

それにしても暑い毎日が続いています。誘致をする際には、今の時期の日本の気候は、スポーツには最適だと明言していたようですが、毎日天気予報見てみると、悪い冗談であったとしか思えません。

ここで暮らしている私達日本人には、その悪い冗談が理解できたのでしょうが、外国の方は真に受けてしまうでしょうから、冗談にもなりません。

ある意味、悪質なデマにすら思えるのです。無観客での競技開始は、とても残念なのですが、しかし熱中症が頻発する可能性を考えると、その方がむしろ良かったのかもしれません。

■テニスのジョコビッチ選手をはじめ、有明で行われている競技場では、あまりの暑さの為に、開始時刻を変えてほしい、という訴えがなされているようです。多分フライパンの上でテニスをしているような状況なのでしょう。

多額の放映権をIOCに提供している、アメリカテレビ局の意向に沿っているのでしょうが、選手達が可哀想です。どこかで立ち止まって、もう一度オリンピックのあり方を、基本から考え直してみる必要がありそうです。

根室半島

■20210725(日曜日:晴れ)

札幌大倉山ジャンプ競技場です。真っ逆さまに落ちるイメージです。

■今朝は走りました。旅行中の先週、22日の朝2.35キロを走りましたので、それ以来3日ぶりです。いつもの通り4時半に起きて準備運動をし、5時から走り始めました。今朝は日曜日ということもあり、時間がたっぷりありましたので、結局1時間3分13秒走り、9.38kmを積み重ねました。

これで今月は11回のランで67.17kmを積み重ね、月100キロ走までは残り6日で32.83kmとなりました。残り6日ですので、毎日5キロ強を走れば目標に到達する計算になりますが、現実的には、いささか難しそうです。

旅行に行っている間、先週は2.35キロしか、積み重ねができませんでした。なんと言っても、それが痛いのです。とにかく暑いので無理をしても仕方ありません。

これまでに昼間走っていて、3回熱中症になった経験が私にはあります。分かりやすい例えで言えば、お風呂でのぼせたような状態と言えば、わかりやすいでしょうか。

まず気分が悪くなります。立っていられなくなります。頭がぼーっとしてきます。その中の一度は、過呼吸症候群になってしまい、玄関の前で横になって、本当に激しく呼吸を繰り返すしか、なすすべがありませんでした。

学生時代にテニス部の後輩が、過呼吸症候群に陥ったのを見たことがありますが、まさにあの通りです。

要するに、この暑い日差しの中を走るのは、ほとんど自殺行為に近いとすら思えるのです。まして高齢者には厳禁です。私は朝の5時から走ることに決めています。

朝4時半に起きて外に出て見ると、まだ空気はひんやりとしています。しかし走り出して30分もすると、日差しも強くなってきますし、気温も上がってきます。ちょうどギリギリのタイミングで走り終える、という時間割でしょうか。

沼津市にある大手コンピューターメーカーの従業員が、昼休みに工場の周りをジョギングしているのを、よく見かけます。多分会社で健康管理のために運動療法を取り入れているのでしょうが、私にはパワハラとしか思えません。

日差しの一番強い、気温も上がる昼間の時間帯に、わざわざ走らせる意味があるのだろうかと思うのです。全員でやることに意味があるのでしょうが、もう少し従業員のことを本当に考えて、プログラムを組んであげた方が良いように私には思います。

■それにしても、あんなに暑かった北海道の8月に、オリンピックのマラソンが開催されるなんて、とても信じられません。私には自殺行為としか思えないのですが、どうなのでしょうか。

ぐるっと北海道を回ってみて感じたのは、根室半島がマラソンコースとして意外に良いのではないかという発見でした。まず気温が低いのです。霧もかかることが多く、湿度もある程度ありますので、体のためにも悪くありません。あまり乾燥が強い風が吹き渡るのも気管支には、よくありません。

根室から半島をぐるっと一周すると、だいたいフルマラソンの距離に等しくなるはずです。選手のためには、これが一番いいように思いました。

牛たちにとって過ごしやすい場所は、マラソンランナーにとっても走りやすいに違いないのです。意外な発見でした。

期待

■20210724(土曜日:晴れ)

札幌の大倉山ジャンプ競技場です。ジャンプ台から見た市内の眺望です。

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。昨夜は久しぶりに沼津に帰ってきました。札幌丘珠空港、17時10分発の、FDA フジドリームエアラインズ、フライト176に乗って富士山静岡空港に戻りました。

飛行は順調で予定時間よりも20分以上早く到着することができました。到着予定時刻は19時でしたか、18時40分少し前には無事に、静岡に戻ってくることができました。

戻ってきてまず感じたのは、やはり蒸し暑いということでした。今年は北海道でも本当に猛暑で、レンタカーを借りてドライブをしていた時に、富良野のある交差点を通過しましたが、その交差点に設置されていた気温計は、なんと35度を記録してみました。本当に驚きました。

ただ、湿度はこちらよりも低めなのでしょうか、日陰ではこちらほどの暑さは感じませんでした。

行きも帰りも利用した飛行機は、エンブラエル社製の飛行機で80人弱の乗客数です。以前の予想では、三菱重工のスペースジェットが、このクラスでの利用を目指して開発されていたのですが、残念ながら開発は断念されたようです。

日本の新しい基幹産業として期待されていた航空機産業も、今の日本には、それだけの開発力はないということが証明されただけで終わってしまいました。どこに問題があったのかは、もちろん私には分かりません。

日本が本気を出せば、航空機も自動車のように、世界を席巻できるのだと期待していた私達は、本当にがっかりするばかりでした。

■昨夜は久しぶりに帰宅しましたので、家中の窓という窓を開け放って空気を入れ替えました。ところがドジをしてしまったのです。寝室の東側の窓が、経年劣化でしょうか、錆びついてしまい窓がきちんと閉じなくなってしまったのです。

以前開け放した時に、危なそうだと分かっていたのですが、そこでさび止めを噴霧したりして管理をすれば良かったんですが、忘れていました。週明けに修理を頼まなければなりません。

■兎にも角にも、この暑さでは外に出るだけで熱中症になる可能性がありますので、今日は一日大人しく、家で残務整理をしなければなりません。

しかし、この暑さの中でのオリンピックは異常としか言いようがありません。選手達に万が一のことがないことを祈るばかりです。本当に大変だと思います。

弾除け

■20210723(金曜日:晴れ)

最後の一日でした。

■さて今日で楽しかった北海道旅行も終わりです。始まってみれば、あっという間でした。新さっぽろ駅から、まずは札幌駅へと電車に乗りました。札幌駅行きには、多くの乗客がいました。さすがは札幌です。



今日はまず大倉山ジャンプ競技場へ向かいました。Sunが以前一人で訪れてみて、とても良かったので、もう一度行こうということになりました。

札幌駅に降りて、キャリーバッグを預ける場所を探しました。ロッカーコーナーがあり、大きめのサイズのロッカーは、2つのキャリーバッグが入る大きさで、700円でした。コロナ禍で観光客も少なくロッカーも幸い空いていました。

以前東京駅で預けようとして、ロッカーは満杯で預かり所を探した経験があります。

そして丘珠空港行きのバス停を確認しました。大丸デパートの道路を挟んで真向かいでした。これでOKです。15時50分発のバスに間に合うように帰ってくればよいだけです。

今度は地下鉄を乗り継いで、地下鉄円山公園前でバスに乗れば良いことを確認しました。バスの名前は「くらまる号」。これに乗らないといけません。

無事にバスに乗り込み、到着です。あの日の丸飛行隊が、1972年札幌オリンピックの70m級で、メダルを独占したジャンプ場です。

■駅に戻るついでに北海道神宮にも寄りました。

■先週から東京オリンピックも始まりました。選手たちは懸命にプレイをしています。しかしコロナ禍で炙り出されたオリンピックの闇の真相により、以前のように無邪気に声援を送るというわけには、もういかなくなりました。それが多くの国民の偽らざる心境でしょう。

帰りの飛行機の中で、信濃毎日新聞社を読む機会がありました。その中で、戦前の満蒙開拓団の記事がありました。貧しかった農村の口減らしに、多くの長野の農民が満州に送り出されたのです。そして多くの犠牲者を生みました。

ところが調べてみると、送り出された開拓団は、関東軍によって守られていたのではなく、むしろソ連から関東軍を守るための弾除けとして、最前線に送り出されていた、というのです。

多くの関東軍は開拓団を見捨てて、さっさと退却して帰国しています。国民が軍隊によって守られるのではなくて、弾除けにされたのですから、まるであべこべです。東日本大震災、熱海の土石流災害を始め、自衛隊の皆さんによって、日々国民が守られていることを実感している現在とは、本当に隔世の感です。

でもいま開催されているオリンピックって、ひょっとするとかつての満蒙開拓団に似ていないか、と思いあたったのです。選手たちにしても、ボランティアの皆さんにしても、誰かの利権を守るために弾除けにされてはいないか、という思いです。その誰か、とは誰なのか。IOCのみなさんなのか、上級国民と呼ばれる一部の日本人なのか。

馬脚を露わしたオリンピックについて、もう一度考え直してみることは、この国の未来のためにも不可欠だと思うのです。

それにしても連日、本当に暑い毎日でした。本当に北海道に来たのか、と不思議な気がしました。日陰に入れば、関東地方よりは涼しさを感じるものの、決して過ごしやすいという日中ではありません。

それでも雨に遭うこともなく、青空が迎えてくれたのですから、感謝するしかありません。今年も昨年同様、千歳JAL国際マラソンは中止となり、6月に北海道に来ることができませんでした。

次回は、いつ来ようかと二人で思案を始めています。富士山静岡空港から飛んでいる北海道行きの便は、ANA便が廃止となりFDA便のみとなりました。つまりは時間的にも、行き先の空港にも選択肢が減ったわけです。千歳行きが無くなったのです。

一番需要がありそうに思うのですが、実際には廃止されています。札幌丘珠空港のほうが、札幌市には近いのですが、私達が行くのは、むしろ千歳空港からのほうが便利なのです。また千歳空港便が復活してくれることを願うのみです。

駅ビルに帰ってきて、遅めの昼食を取ろうと、ビル内の回転寿司店に行ったのですが、待ち時間がなんと一時間を超えました。すごい人気なのです。結局30分足らずで飲み込むように寿司を食べて、バス乗り場に急ぎました。ギリギリセーフです。

空港に着いてみると、待合室には搭乗客が結構いるので驚いていると、なんとかなりの人が釧路行きの便に乗ってしまったのです。プロペラ機です。丘珠空港は道内線のハブ空港だったのです。

無事に富士山静岡空港に到着し、我が家へと急ぎました。やはり我が家が一番です。こうして夏休みも終わりました。

襟裳岬

■20210722(木曜日 晴) ホテルエミシア札幌

総計 1,700 キロの旅です。さすがに、この日は疲れました。

■今日は5時30分に起きて宿の前の道を走りました。2.34キロを、ゆっくりと周囲の景色を見ながら、30分弱走ったのです。富良野の朝の爽やかな空気を呼吸しながらのランニングでした。畑では昨日の夕方同様、散水機が魔術師のように、畑の辺縁にまでピタリと無駄なく、水を巻き続けていました。

■今日は予定では、襟裳岬を回って新札幌駅に行くという、かなりの強行軍です。443キロ、7時間10分とGoogleは教えてくれています。4日間で1,200キロ以上走りました。給油を2回しましたが、合計40リットルほど。つまりはリットルあたり30キロ以上走っている計算になります。

ヤリスは極めて優秀な燃費です。ただ私の腰には合わないようで、腰が痛くなります。さて朝8時30分に宿を出て襟裳岬を目指しました。234キロ、3時間50分となっていますが、地図を見ると分かるように、襟裳岬は鈍角の最先端に位置しています。

富良野から帯広を目指す前半の道のり、そしてそこから南に進路を切る後半の道のり。広尾町を過ぎ、ようやく海を見ながらの運転となりました。本当に、ようやく襟裳岬に到着したのは12時過ぎでした。



曇り空での海の色は、深く鮮やかとはいきませんでした。慌ただしく見て回って、食事も取らずに後半の道のりに移りました。こちらは延々と海岸沿いに走り続ける時間が続きました。

岬は、周辺部がどこも牧草地でした。刈り取られた牧草の束が散乱しています。すっかり見慣れました。冬の間の牛たちの食料になるのでしょう。

■様似町、浦河町、新ひだか町、そして日高町と、いくつもの街を通り過ぎましたが、本当に驚いたのは浦河町の様子でした。と言っても235号線を走りながら見た街並みだけでしたが。

しっかりと道幅を取られた歩道には電柱が無いのです。最初見た時に何か変だと感じたのですが、原因が分かった時には、まるで別の国に迷い込んだのかと錯覚したほどです。整然と並ぶ建物は高さやデザインにも統一感があり、とても魅力的でした。

どうしてこのような街並みが実現可能だったのか知りたくなったほどです。運河沿いに同様の家並みが並ぶオランダ・アムステルダムの街並みを思い出しました。

■ようやく新札幌のレンタカー店に着いたのは、17時前でした。丘珠空港で借りたのですが、札幌市内ならどこの系列レンタカーで受け渡しはOKということで、宿のある新さっぽろにしました。ずいぶんと助かりました。

ホテルは新型コロナワクチン接種会場にもなっていました。札幌市からの案内文が掲示されていました。

部屋に入って少し休憩し、夕食を取る居酒屋さんを探しました。以前利用した店は調べてみると営業していません。別のお店を探して予約しました。「三つ星 ザンギ 居酒屋店」です。

その量の多いことに驚きました。注文した品の、どれもが量的に、こちらの1.5倍ほどあるのです。味も良かったです。2時間が、あっという間に経過しました。

これまで泊まった宿の中で一番高級ですから、寝心地も一番でした。熟睡できました。

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