2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2021年10月 Page 2 of 4

裁判員制度

■20211021(木曜日:晴れ)

2019年に出かけたベトナム・バクザン省のレストランです。到着した、その夜、牛肉フォーを、みんなで食べました。

■今朝は走らずにゆっくりと休みました。昨日の朝7キロ弱を走りましたので、先月の経験に学び、無理をせずに休養としました。続けて走ると、昔と違って疲れが抜けずに、蓄積してしまうのです。無理をしても致し方ありません。

■さて、今朝の東京新聞3面では「18歳で裁判員、寝耳に水」と題して書かれています。こう書き出されています。

来年4月の改正少年法施行に伴い、裁判員に選ばれる年齢が20歳以上から18歳以上に引き下げられる。候補者名簿の変更などを経て、実際に運用が始まるのは2023年だ。

卒業間近に控えた高校3年生が裁判員となる可能性がある。2009年5月に始まった裁判員制度では大きな転換点だが、事前に周知されず、議論もなく始まったことに疑問の声が上がる。

アメリカの映画を見ていると、日本の裁判員ではなく、陪審員がしょっちゅう登場します。検察官や弁護士が陪審員の気持ちを、いかに掴むかに腐心している様子が描かれています。

日本の裁判員制度は、どのようなものなのか、現場を見たことがないので私には分からないのですが、高校生が務めるには少し荷が重いように感じます。

日本では、まだまだ法教育の充実がなされていません。いわば、知識も装備も身につけることなく、無防備に戦いの場に送り出されるようなものです。

結局、質の高い裁判が行われる可能性が低くなりますし、裁かれる方の容疑者にしても、裁く方の裁判員にしても、納得がいかないことになりかねません。時間をかけて議論をする必要がありそうです。

第49回衆議院選挙

■20211020(水曜日:晴れ)

ベトナム・バクザン省の道端で売られていた地元の果物です。ホテルに帰って、みんなで食べました。

■今朝は4日ぶりに走りました。昨日の朝は雨が降り、走ることができませんでした。今月は月初めに、先月までの疲れが一気に噴き出し、体調を崩してからは、いささかおっかなびっくりで、走ることができませんでした。

壊れていた水道ポンプの修理が昨日終わり、無事に風呂に入ることができました。そのおかげか、ゆっくりと休み、今朝は4時45分の目覚まし前に起き出して、ビニールゴミを所定の位置に運び、準備運動の後、走り始めました。

とにかく、ゆっくりでいいから最後まで走ろうと、タイマーを30分に合わせておきました。結局今朝は48分53秒、6.95キロを走り、今月は5回のランで29.78kmを積み重ね、月100キロ走までは、残り11日で70.22キロの地点に来ました。

残された日数から逆算すると、今月は60キロを走れれば、良しとしなければなりません。体調を考えれば致し方ありません。来月からは新しい目標を立てて、それを達成することを目標に、日々を送りたいと思っています。

■さて、19日に公示された第49回衆議院選挙において、各党が主張を展開しています。

とにもかくにも、まず考えなければならないのは、自公政権は9年近く政権を担当していた訳ですから、その間の成果と、そして反省をきちんと国民に伝えることが、まず第1の義務だということです。

選挙が近づいた途端に、国民への支援を急に声高に訴えていますが、なぜ政権の座にありながらそれができなかったのか、実に不思議です。

各党の主張を聞いていて、最も共感できるのは、れいわ新選組の山本太郎代表の訴えです。実に真っ当な主張を展開しています。当たり前すぎて、拍子抜けするほどです。

逆に言えば、今まで既存の政治家がなぜ、この当たり前のことを主張してこなかったのか。また、マスコミがそれを取り上げてこなかったのか、実に不思議ですし、そこにこそ、日本の民主主義の未熟で歪んだ一面が、明らかになったと思えるのです。全力で、れいわ新選組を応援していこうと思っています。

柿の実のなる家

■20211019(火曜日:雨)

ベトナム・バクザン省の道端で売られている地元の果物です。ベトナムは南国なのです。

■今朝は走るつもりで目覚ましを合わせてあったのですが、1時間ほど前に目が覚めてみると、雨音が聞こえてきました。仕方ありません。目覚ましの時刻を1時間遅らせて、再び眠りました。雨の朝は、よく眠れるのです。

今月はまだ積み重ねが、ほとんどできていません。通算23キロ弱しか走っていないのです。どう考えても、月100キロ走は実現不可能です。致し方ありません。

今月は無理をせずに、可能な限り積み重ねをして、来月からは3088プランを、実行していこうと思っています。つまり、30日間で88キロを走るという計画です。

■今朝の朝食のメニューは、一杯の珈琲と柿一個、ぶどう六粒、ここまでは私とSunは一緒です。そして、私はさらに、納豆一パックに、おからパウダー小さじー杯、はちみつ小さじ一杯、えごま油小さじ一杯を入れて、かき混ぜて食べました。

今朝の東京新聞「筆洗」欄には、この柿のことが書かれています。

「日本の秋は悲しいほど美しい」。俳優の森繁久彌さんが、柿の実の光景について書いていた。終戦後、満州から帰国した時のことだそうだ。

柿の実のなる家を見て、「これが祖国というものだ」と一人うなずいていたそうだが、なんとなく分かる。

最近は柿の木を見ることが、以前と比べて、ずっと減ってしまいました。

様変わり

■20211018(月曜日:晴れ)

ベトナム・バクザン省の道端で売られている特産のゴマ煎餅です。

■今朝も走らずに休みました。昨日は雨の中をプレイしましたので、さすがに疲れました。最近は、何かと疲れがちです。無理をせずに、続く形の目標に切り替えて、継続していくことが大切です。

朝の7時前に、いま原稿を書いていますが、窓の外では風が唸りを上げています。一面の青空なのですが、寒々しさを感じます。仕事を終える17時半には、外はもう真っ暗です。

つい先日までは、10月に入っても30度まで気温が上がり、夏日が続いていたのが、嘘のようです。暑いのも嫌ですが、寒さが骨身にしみるようになってきました。

■今朝の写真は、2019年に出かけたベトナム支援の旅の時の写真です。色々な写真を見直してみると、2019年には例年通り、マラソンにも出かけていまし、ベトナムにも出かけました。ところが2020年からはコロナ騒動で、すべてが中止になってしまったのです。

2019年が、遠い昔のように感じられます。この2年間で、本当に世の中は様変わりしてしまいました。

久しぶりの歓談

■20211017(日曜日:雨)

ベトナム支援の旅で通った橋です。

■今日は雨でした。新沼津カントリークラブの大西杯Bクラスで、競技委員としてお手伝いしました。天気予報では、一日雨が降ったり止んだり。まさに、そのとおりの天候でした。寒さに震えるということは、幸いありませんでした。

飛び入りで大高さんも入って、最後は楽しく視察ラウンドをすることができました。

■今夜は久しぶりのTuruちゃん夫婦との夕食会。ひろ繁での楽しいひと時です。非常事態宣言の解除され、3ヶ月ぶりの歓談でした。

17時に我が家に集合し、歩いて出かけたのですが、気温が下がり寒いほどでした。ジャンパーを着ないと、とても外出する気にはなれません。いよいよ冬が、そこまで来ています。

久しぶりの歓談を終えて、そのままZaboonでお風呂に入りました。ポンプが壊れて、昨日からお湯が出なくなってしまったのです。昨日今日と、連チャンでの日帰り温泉です。

家に帰って、少し休んでから、早々に床に入りました。また一週間が始まります。

新たな目標

■20211016(土曜日:曇)

2019年に出かけたベトナムの様子です。枯葉剤被害者支援の旅に仲間と出かけました。

■今朝は走りました。12日の火曜日以来ですので、4日ぶりとなります。今朝は39分06秒を走り、5.69kmを積み重ねました。

これで今月は4回のランで22.83kmを走り、月100キロ走までは、残り15日で77.17km残しています。月100キロ走の目標達成は、どう考えても、今月は無理のようです。

先月頑張って目標を達成したのですが、その時の疲れによる体調不良が大きくのしかかっています。あれ以来、おっかなびっくり走っている、というのが実態です。

胃の調子がおかしくなり、食欲がなくなります。胃の調子と、にらめっこしながら走るかどうかを決めています。加齢による体力の衰えでしょうか。

ということで、何年も続けてきた、月100キロ走という目標も変更する必要がありそうです。目標は立てなければなりません。そうしないと結局走らなくなってしまうからです。

そこで考えたのが、30日で88キロという目標です。Takuの司法試験合格時の受験番号です。何でも良いのです。こじつけですが、それできちんと自分の生活が規則正しくできるのであれば、こじつけで構わないのです。

この目標であれば、これからも、なんとか達成できそうです。1週間あたり22キロということになります。1回に6キロ走るとすると、週に4回は走らなければなりません。

記録を見てみると、先週は体調が優れず、火曜日に1回5.72kmを走っただけでした。今週は2回走り、合計11.17kmを積み重ねています。週に22キロの目標も、結構大変かもしれません。

それでも、とりあえず新しい目標に向かって、また新たな気持ちで、スタートするしかありません。

月100キロ走は大変分かりやすく、また自分にとっても適切な目標だったと思うのですが、いかんせん体力の衰えには抗えません。致し方ありません。新しい目標を大切にしていくつもりです。

対立軸

■20211015(金曜日:晴れ)

昨年11月にTaku一家と一緒に出かけた草津温泉です。多くの観光客が訪れています。いまは、どうなっているのでしょうか?

■今朝も走ることができませんでした。目覚ましは合わせてあったのですが、起き出すことができませんでした。

眠り続けていたい気持ちと、起き出して走らなければいけない気持ちの葛藤なのですが、眠り続けたい気持ちが、結局勝ち続けています。確かに、気候は眠り続けるのに、ちょうど良い時期なのです。

滅入っても落ち込んでも、いたしかたありません。起きだすことのできる朝には起き出して、走るしかありません。

■さて、昨日は衆議院が解散されました。31日に投開票の予定です。民主党政権が崩壊し、安倍内閣が誕生して以来、自民党が連戦連勝を続けています。

しかし、実態を見てみると、この間に日本の勤労者の平均所得は下降するばかりです。今では先進諸国の中で、唯一賃金が上昇せずに下降している国となってしまいました。日本は貧しい国になってしまったのです。

勤労者の所得が増えることが、国の経済政策の目標だとすれば、自公連立政権の経済政策は失敗だったという事です。残念ながら、政権与党の幹部から、反省の言葉が漏れてこないことに、大変残念な思いですし、憤りすら覚えます。要するに、国民の生活を第一に考えていないということの証左です。

今朝の新聞には、今回の総選挙では、消費税で与野党に対立軸がある、と経済アナリスト森永卓郎さんが語られていますが、これまでの選挙できちんと掲げられてこなかった対立軸が鮮明に掲げられたことで、この選挙には大きな意味があるのです。

ここで政権が変わらなければ、おそらく消費税はさらに増税されることになるでしょうし、勤労者の賃金は、さらに下降するに違いありません。これからの日本の、まさに未来がかかっているのです。

こうした明らかな対立軸が明示された一つの要因となったのが、れいわ新選組代表・山本太郎氏の活動ではなかったでしょうか。2019年の参議院選挙で旗揚げした彼の政党の活動が、ここまでの流れを生み出したと言っても過言ではありません。

彼の活動ビデオを私も何度も見ましたし、寄付もしました。一人でも多くの方に彼の訴えを聞いてほしい、と心から願っています。その内容は少しも奇抜なものではなく、本当に常識的で、まさに王道的な主張なのです。国民の幸せを心から願っている、という彼の思いは、誰にとっても福音になるのではないでしょうか。

昨夜のNHKニュースの中で、街の若い有権者に選挙について尋ねていました。選挙には行かない、どうせ年寄りのための政治しか行われない、どうせ変わらないから、とその彼は述べていましたが、彼がそう考える原因の一つに、NHKの報道姿勢があることも事実なのは、大変な皮肉です。

れいわ新選組の活動を、NHKが正当に報道していれば、若い有権者の気持ちも、大きく変わっているはずです。報道機関の姿勢というものの影響力の大きさを強く感じた、この10年でした。

大豆ミート

■20211014(木曜日:曇)

昨年11月にTaku一家と一緒に出かけた草津温泉です。源泉の様子です。日本でも最大級です。

■今朝は起きるつもりで、目覚ましを合わせてあったのですが、起き出すことができませんでした。睡眠のリズムが合わなかったのかもしれませんし、疲れが取り切れていなかったのかもしれません。

9月3日の急性胃腸炎事件以来、体調の変化にとても神経質になっています。食欲はだいたい普通に戻りましたし、よほど食べ過ぎない限り、胃のもたれも無くなりました。それでも食事は控えめ、控えめとしています。もう少し食べたいというところで、止めるようになりました。

体力の衰えを、本当に実感しています。これから自分の身体と、どう付き合っていくのか戸惑っているのが、今の正直な気持ちです。

■さて、今朝の東京新聞には「ヘルシー!大豆ミート」と題して代替肉について書かれています。

大豆をお肉っぽい食感や味になるように加工した大豆ミート。健康志向が広がる中、低カロリーで低脂質、高タンパクな食材として注目されている。新製品も続々と登場。美味しく食べるコツを専門家に聞いた。

と書き出されています。地球温暖化が叫ばれる昨今、畜産業の地球環境への負荷の大きさが一つの大きな要因になっています。

大豆ミートは代替肉の一つで、油を絞った後の脱脂大豆が主な原料だ。タンパク質量は鶏もも肉と同程度で、カロリーは半分ほど。

以前から菜食主義の人らに親しまれてきたが、世界的な人口増で肉や魚の不足が懸念され、需要が拡大。

日本植物タンパク食品協会(東京)によると、原料となる粒状の大豆タンパクの2020年の国内生産量は10年前の1.5倍に増えた。

と、あります。私がほぼ毎日食べている納豆に入れている、おからパウダーが、その原料となっているのでしょうか。

大豆そのものは多くが輸入品でしょうから、食料自給という意味では、あまり褒められた状況ではないのかもしれませんが、こうした用途が広がれば国産大豆の需要も増えて、栽培する農家が増えそうです。

ひょっとすると、今まで廃棄されていた脱脂大豆も、こうした形で蘇って再利用されれば、これほど素晴らしいことはありません。現実は難しいのでしょうけれども。

やり取り

■20211013(水曜日:曇)

昨年11月にTaku一家と一緒に出かけた草津温泉です。多くの観光客が訪れています。いまは、どうなっているのでしょうか?

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝、久しぶりに走りましたので、体調がどう変化するか心配だったのですが、夕方まで少し胃が重い状態でした。

それでも、寝るまでには落ち着き、今朝走ってもよかったのですが、まぁ無理をしても致し方ありません。

今朝は曇り空で、気温も低くなっています。天気予報では午後から雨とのこと。ようやく季節らしい、落ち着いた気温になりそうです。ここ数日、九州や北陸では日中の最高気温が30度を超えるような日が続きました。暑いのです。

■さて、数日前にオーストラリアのシドニーではロックダウンが解除され、日常生活が少しずつ元に戻りつつあるようです。

ただ、メルボルンの様子を聞いてみると、そこまでは改善されていないようで、早くても今月末に解除されるのではないか、ということでした。

オーストラリアは異常なほどに、新型コロナウイルスに対して厳しい制限をかけています。それだけに、経済や市民生活への影響は、とても大きいようです。ほとんど家に居ずっぱりという方が多いみたいで、精神的にも大変つらい日々を送られているようです。

日本でも同様です。高齢の患者さんに話を聞いていても、感染が怖いのでほとんど家にいて、毎日テレビばかりを見ている、という人が時々います。下手をすると、一日中誰とも話をすることもない日もある、と言うのです。

これでは、精神的におかしくならない方が不思議です。自分なりの方法で、何らかの形で、精神的なキャッチボールをすることが、人が生きていく上では不可欠のことです。とにかく、一日も早く日常生活が戻ってほしい、と願うばかりです。

銭湯

■20211012(火曜日:曇)

昨年11月にTaku一家と一緒に出かけた草津温泉です。源泉の様子です。日本でも最大級です。

■今日は久しぶりに朝、走りました。10月6日、先週の水曜日以来ですので、6日ぶりということになります。

疲れがたまり10月3日に胃腸炎を起こしてから、走るのが怖くなってしまいましたが、食欲も、また胃の調子も元に戻りましたので、思い切って走りました。

今日は38分55秒、5.48kmを走り、これで今月は3回のランで17.14kmを積み重ね、月100キロ走までは、残り19日で82.86kmのところまで来ました。今のところ、目標の月100キロ走を達成するのは、かなり難しそうです。

9月も、やはり同じような状況で最後の1週間で40キロを走り、体調を崩しましたので、今月は無理をしないで、1週間休んだと考えて、目標を75キロに切り替えた方が良さそうです。

■今朝の東京新聞「昭和遠近  短歌に見る時代相」91回目は、「銭湯 異空間でゆーったり」と題して書かれています。

掲出歌は「番台より 子を受けとりて髪あらう 妻より先に われ帰りゆく」。御供平佶(みとも へいきち)歌集『河岸段丘』1974年。昭和40年代の銭湯での一場面を歌っています。

この一首を読むと大学時代、下宿から通った銭湯を思い出すのです。私が大学時代、下宿に住み始めたのが、昭和50年(1975年)からでした。下宿から歩いて 7、8分でしたでしょうか。

当時の入浴料金は当初40円だったように記憶しています。オイルショックがあって、卒業する頃は次第に値上がりされていったのを記憶しています。お風呂に入ることだけは忘れませんでしたので、毎日通いました。

卒業する頃はバブルの時代だったのでしょうか、ベンツに乗って銭湯に来ている人がいることに大変驚きました。

下宿に銭湯といえば思い出すのは、あのかぐや姫の大ヒット曲「神田川」です。もちろん私は銭湯へ2人で通った訳ではなく、下宿から毎日1人で通っていました。神田川が発表されたのは1973年でした。

以前ランニングショップの企画で、コーチが乗った自転車の後ろに付いて、地域の名所、名所を走って回る企画に参加したことがありました。その名所の中の一つが、この神田川で歌われた舞台となった下宿のあった建物です。近くには神田川の歌碑もありました。

調べてみると8年前のことでした。当時はフルマラソン完走を目指して、毎月のように10キロ走とか、ハーフマラソンとかの大会に参加していた頃でした。よくそれだけの元気があったものだと、今では考えられないほどです。

舞台となった下宿です。

そして、舞台となった銭湯にも立ち寄りましたが、結構立派な建物でした。今は、どうなっているのでしょうか。あの時から、もう8年以上経っています。それぞれの地域の銭湯は、今どうなっているのでしょうか。

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