■20220108(土曜日:曇)

6年前に出掛けた川崎大師の様子です。大勢の参拝客で大混雑でした。

■今朝は走りました。いつものように5時に目覚ましを合わせて起き出しましたが、少しもたついてしまいました。

昨夜はSunがキムチ鍋を作ってくれましたが、ちょっと無理をして食べ過ぎたかもしれません。夜中に3回も目が覚めて、お手洗いに行きましたが、その分睡眠が少し足りなかったようです。

それでも、5時の目覚ましで起きだして、いつものコースを走り、今日は3日ぶりに積み重ねができました。今朝は41分16秒、6.11kmを走り、これで今月は3回のランで18.67kmを積み重ね、目標の88キロまでは残り23日で69.33kmとなりました。

目標ラインよりは少し足りない状態ですが、とにかく積み重ねができる日は、確実に走っていきたいと思っています。

■さて、今朝の東京新聞読書欄には様々な書評が掲載されていますが、その中に「発達障害という才能」昭和大学精神科教授の岩波明先生が執筆された本について、香山リカさんが書評を書かれています。

内容を煎じ詰めれば「発達障害の人達がうちに秘める『社会や文化をガラリと変える力』を受け入れ、生かしていこう、と世の中に呼びかける意欲作なのである」と書かれています。

この本の中では様々な世界で活躍している発達障害の特性を持つ人々、例えばイーロン・マスクやオードリー・タンさんはASD(自閉症スペクトラム障害)であり、エジソン、モーツァルト、ピカソ、ニトリの創業者はADHD(注意欠如多動性障害)だそうです。ダヴィンチに至っては両方の特性があるということです。まさに華麗なる人脈だと書かれています。

彼らがその特性を社会的成功として花開かせるためには「周囲に当人の能力を見抜いて適切なサポートをする人物と、制約なく活躍できる場所が必要だ」と著者は指摘しています。

しかし、残念ながら日本はその真逆だとして、才能ある個人を育てようとせず、しきたりや世間の空気に従わせようとする傾向が強いとも著者は指摘しています。

こういった不寛容さは、発達障害の特性を持つ人達だけではなく、全ての人を萎縮させ生きづらくしているだろう、とも書かれています。

■まさに著者が指摘している通りだ、と私も感じています。日本で最も力を持ち、尊重されるのは、その場の雰囲気ではないでしょうか、いわゆる空気です。

空気の読めない人にとっては、日本はとても住みづらい国です。空気が読めないという点が、発達障害と言われる人達の一番の辛さではないでしょうか。日本では、そうした人達は排除されがちです。

素晴らしい才能を持ちながら、それを育むことができない日本の社会の未来というものは、残念ながら、21世紀のデジタル社会においては、大きなマイナス点に違いありません。

自分の子供がこのような特性を持ち、しかもその中に才能を見いだした時、もしも可能であれば、海外でその才能を磨く方がずっと子供の幸せになるのではないか、とつくづく私はそう思うのです。