■20220123(日曜日:曇)
■今朝は走らずに、ゆっくりと休みました。昨夜は、ここ数日では感じられなかったほど暖かな夜でした。
昨日はすんと一緒に日帰り温泉に行き、ゆっくりと食事を取って帰ってきました。行き来の時も、そして家に帰ってからも、あまりの暖かさに驚きました。
昨夜は、いつもの格好で寝床に入ったのですが、朝方暑くて上着を脱いだほど。靴下も脱ぎました。こんなことは、1月に入って初めてです。
大寒を過ぎて、にわかに気温が上がったとも思えないのですが、暦とはうまくできているものです。日が暮れて暗くなる時間も、少しずつ遅くなっています。
昨日は、夕方の5時に家を出て、日帰り温泉まで歩き始めましたが、まだまだ明るいのに、これまた少し驚きました。少し前でしたら、もう5時を過ぎると真っ暗でした。
「冬(ふゆ)来(きた)りなば春(はる)遠(とお)からじ」とは、なるほど文字通りには、こんなことを歌っているのかもしれません。
■さて、今日は日曜日ですが、のんびりとすることにしました。日曜日だからといって、一日中、家にいることは滅多にありません。なんだかんだと出かけることが多く、疲労回復とは、とても言えません。
来週の週末は本来でしたら、たくの一家がやってきて、みんなで孫の誕生日を祝う予定でしたが、新型コロナウイルス蔓延のために、延期となってしまいました。本当に残念ですが、こればかりは致し方ありません。
■さてさて、今朝の東京新聞の「東京俳壇」の欄では、選者の石田郷子さんが、読者のこんな句を紹介されています。
「鰭(ひれ)酒や 我より我を 知る人と」
石田さんは、こんな風に批評されています。
ひれ酒を共に楽しむのは連れ合いか古い友人か。『そこがあなたのだめなところだ』などとたしなめられているのかもしれない。温かい。
ひれ酒は私も好物で、鶴ちゃん夫婦とのひろ繁での月に一度の夕食会では、寒い時期には、いつもいただいています。幸か不幸か、そこがあなたのだめなところだ、などとたしなめられることはないのですが、考えてみると、この年になって、たしなめられることなどあるのかと考えてしまいます。
確かに連れ合いには、しょっちゅうたしなめられているかもしれませんが、少し趣が違うような気がします。
もちろん私にも友人と呼べる人は何人かいますが、若い時と違って、心置きなく腹を割って話す、というのはとても難しくなっています。結局のところ、仕事の話か、趣味の話ぐらいしか語ることが無くなってくるのです。
あとは同窓会というか、学校時代の友達と会えば、思い出話に花が咲く程度でしょうか。与えられた時間の中で、楽しく会話を交わす、歓談するというのでしょうか、これは簡単そうで、なかなか難しいことです。
きっと女性の方が、ずっと上手に違いありません。女性たちは、いつも楽しそうに話し合っています。ひょっとすると、ほとんどの内容は、人の批評か悪口かもしれませんが、それでも会話が弾むというのは良いものです。
話すことがなくて、面白可笑しくもない食事会ほど、つまらないものはありません。男どもというのは、世間話をすることに抵抗があるのか、もともと不得手なのか、言葉が続かないのです。仕事ばかりをしてきた、ためなのでしょうか。そういう意味では、つまらない人が散見されます。
世間話というのは、とても大切です。他愛ない話によって、糸が繋がるのです。イギリス人は天気の話をまずする、という訳がよくわかります。誰にとっても身近な問題で関心があるからです。
論語の中の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」とは、年を取れば取るほど、稀となり貴重な時間となるのでしょう。
■Turuちゃん夫婦との夕食会も、四季折々の中で続いています。それにしても、みんな歳を取りました。