2023 年 09 月 02 日 TakuとMasato とNonと一緒に訪れた熱海初島です。

月: 2020年3月 Page 2 of 4

秋吉台

■20200321(土曜日 晴れ)

伊香保温泉への道です。

■今日は岩国から萩へ向かう予定です。昨夜は割烹旅館「白為」ならではの美味しい夕食をいただき、本当に満足でした。6室しかない旅館なのですが、キァンセルが相次ぎ、結局宿泊客は私たち二人だけでした。地元の日本酒3種類を試してみて、一番気に入った銘柄を二合いただけるプランでした。

今朝のニュースでは、昨日のニューヨーク市場で、ニューヨーク州知事が全ての労働者に自宅待機を命じたとの報道を受けて、900ドルのげらくを記録しました。投資家が手元にドル紙幣を確保しておきたい、と気持ちが募っているようです。株や債権への信頼が崩壊しつつあるのです。リーマンショックの際も叫ばれた、「キァッシュ イズ キング」というわけです。

■さて宿をあとにして、まず目指したのが秋芳洞です。かの有名な鍾乳洞です。

秋芳洞(あきよしどう、「しゅうほうどう」の読みは誤り、詳細は後述)は、山口県美祢市東部、秋吉台の地下100-200Mにある鍾乳洞で、約1KMの観光路をもって公開されている。鍾乳洞としては日本最大規模。

洞奥の琴ヶ淵より洞口まで、約1KMにわたって地下川が流れ下っている。 1990年前後の洞窟探検家による琴ヶ淵から奥への潜水調査の結果、東方約2.5KMにある葛ヶ穴まで連結し、総延長は8,850Mに達した。

2016年7月からのの山口大学洞穴研究会と秋吉台科学博物館でつくる「秋吉台カルスト洞窟学術調査隊」の測量調査によって総延長は10,300Mに伸び、現在日本第3位にランクされている。

1926年以前は滝穴(瀧洞)と呼ばれていた。特別天然記念物。秋吉台国定公園に属する。

百枚皿です。

■さて秋吉台を走り抜け、宿へ向かう途中で、「道の駅 萩シーマート」に立ち寄りました。

秋吉台です。

道の駅には、可能な限り立ち寄る、という方針で旅しています。北海道でも九州でも、どこでも道の駅です。その土地、その土地で海の幸、山の幸が楽しめてドライブ旅行の大きな楽しみの一つです。

巨大なアンコウには、びっくりしました。9,800 円でした。アンコウ鍋、美味しいのでしょうね。

さて宿に着いて評判の岩風呂に入りました。今日のホテルは、思ったほど閑散としているわけではありませんでした。外国からの観光客は、さすがに眼にしませんでしたが、日本人の客で充分普段どおりに見えました。

のんびりと夕食を楽しみました。

こうして無事に一日が終わりました。

錦帯橋

■20200320(金曜日:晴れ)

伊香保温泉の宿から見た風景です。

■昨日は仕事を終えて一休みしてから、富士山静岡空港へ向かい、北九州空港へFDAで舞い降りました。海上に埋め立て空港として造成された空港の周囲には、ほとんど何もないような状態ですが、唯一のホテルである東横インに宿泊しました。

食事を取る店も空港内に三件だけあるのみで、どうしようかと思いましたが、ホテルで無料のカレーライスを出してくれると知って驚きました。空港で夕食を取り、送迎バスでホテルまで行き、チェックインした後、さらにカレーを少々いただきました。明日に備えて早めに休みましたが。

北九州空港のホテルから見た連絡橋です。

■さて今朝は9時からレンタカーを借りて山口県に向かう予定です。ホテルの裏になるレンタカー店に行き、予約してあったアクアを借りて出発進行です。目的地は錦帯橋です。Wikipedia によれば、

日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されている。藩政史料には「大橋」と表記されることが多く、また「凌雲橋(りょううんばし)」、「五竜橋(ごりゅうばし)」、「帯雲橋(たいうんばし)」、「算盤橋(そろばんばし)」などとも呼ばれていた。「錦帯橋」という美名は完成後に定着した説が有力とされている。文書による初出は宇都宮遯庵の記述した文書内である。

5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、主要構造部は継手や仕口といった組木の技術によって釘は1本も使わずに造られている。石積の橋脚に5連の太鼓橋がアーチ状に組まれた構造で、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られる。また美しいアーチ形状は、木だけでなく、鉄(鋼)の有効活用がなされて初めて実現したものである。杭州の西湖にある堤に架かる連なった橋からヒントを得て1673年に創建された。西湖の錦帯橋とは2004年に姉妹橋となっている。現在そのほとりには錦帯橋友好の石碑が建立されている。

1950年(昭和25年)の台風で全て流失したため、現在の橋は1953年(昭和28年)に建造当時のまま復元されたものである。

桜の名所として、吉香公園と共に日本さくら名所100選に選定されている。

グーグルマップで調べると北九州空港から錦帯橋までは3時間弱と出ましたが、急ぐ旅でもないのでのんびりと一般道を行きました。まずは137キロほど走って、「道の駅 ソレーネ周南」で一休みです。

販売されている海の幸、そして山の幸が新鮮で、しかもとても廉価なのです。びっくりしました。惣菜やお弁当の豊富なことも驚きでした。いくつか惣菜を買って、隣接する施設でいただきました。本当に素晴らしい食材でした。また立ち寄ってみたい思いでいっぱいです。

■さて、さらに64キロを走り、錦帯橋に到着です。到着したのは午後2時前でした。最高の青空です。ただ一つ残念だったのは、桜の開花には数日早かったことです。明日には咲き始めるのではないか、とはガイドさんのお話でした。

  • ケーブルカーを降りて市内を見渡しました。

ボランティア・ガイドの方が案内と説明をしてくださいました。退職後にガイドを始められたそうです。

とても勉強されている様子が私にも分かりました。

ケーブルカーに乗り岩倉城に向かいました。ケーブルカー駅から見晴らす景色は、とても見事でした。これで桜が満開なら、絵も言われぬ風景でした。それでも吉田兼好が言うとおり、

花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

雨に向かいて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。

咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

なのです。つまりは想像力を働かせろ、ということです。明日になったら、この桜の木々は、どれほど美しく咲き誇っているのだろうか、と想像する心。錦帯橋から眺める桜の無数の蕾を見ながら、明日の様子、明後日の様子を想像する心こそが、美を愛でる心ということなのでしょう。

帰りがけ、写真を撮ってもらった若者グループの一人と。明るい若者たちでした。

■のんびりと散策の後、「旅館 白為」に落ち着きました。6室のみのこぢんまりした旅館ですが、落ち着いた佇まいは、ただものではありません。新型コロナウイルス騒ぎで、キャンセルが相次ぎ、今夜宿泊したのは、私達二人だけ。独占でした。

地酒を用意してくれました。三種類から私達が選んだ二種類を、2合ずつ提供してくれました。

主な地酒には5種類あるそうですが、女将が用意してくれた三種類の中には、かの有名な獺祭が選択肢にはありませんでした。女将の趣味でしょうか。

辛口の2銘柄は、甲乙つけがたい美味しさでした。

次々から次に出てくるお料理の見事なこと。2時間かけて、ゆっくりといただきました。

私達以外のお客さんがキャンセルされたのは、旅館にとっては大変な災難でしたが、こうしてこの旅館を独占できたのは、私達には至福の時でした。

秋霜烈日

■20200319(木曜日:晴れ)

伊香保温泉宿からの見た夜明けです。

■今朝は走りました。いつものコースを6.05km走り、今月は10回のランで65.21kmを積み重ね、残り12日で34.78kmとなりました。

ここ一、二週間でしょうか、右脚太ももの裏側に違和感を感じています。痛い訳ではないのですが、動かした時に、ちょうど骨と筋肉の付着部辺りに違和感を感じるのです。しびれるような、何かに圧迫されるような、そんな感じでしょうか。

走っていて苦しいというわけでもないのですが、どうも気になります。どこかの部分で神経が圧迫されていなければいいのですが、とりあえずは湿布を貼って様子を見るしかなさそうです。

■さて今日の東京新聞「編集局南端日誌」では、特報部デスク・加藤裕治さんが「法務検察めぐる動き」と題して書かれています。『笑えない、秋霜烈日』。

加藤さんは書かれています。カルロス・ゴーン被告が国外に逃げたというニュースを見た時、腹が立って仕方がなかった。無実を訴えながらなんだ、と立腹した。ゴーン被告の事件については、人質司法を批判する記事も掲載していましたので、裏切られた気もしました。

「公平な裁判を受けられない」というゴーン被告の逃亡理由を聞いても、彼に対する批判の気持ちは変わらなかったのですが、日本の法務検察当局は今、ゴーン被告の主張を全力で立証中だ、と言うのです。

まずは、森雅子法相の年明けの発言です。「無罪を立証しろ」。罪を立証されない限り、無罪と扱われるのは世界の常識です。ゴーン被告が無罪を立証する必要は、どこにもないのです。

こんな間違いが、よりによって法務検察のトップの口から出たこと、さらに森氏は弁護士でもあるのです。本来なら被告の権利を守る人であるはずの森氏が、このような発言をすることに唖然とし、日本の司法は不公平だと思わせるのに十分な発言だった、と加藤氏は書かれています。

さらには黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題が追い打ちをかけています。官邸にとって都合の良い人物をトップに据えようと法をねじ曲げたのです。

検察官は人の罪を指弾し、時には死を求める役回り。だから、ご都合主義にならないよう公平さや厳正さが求められる。

付き合いのあった検事は、その職務の厳しさを、しばしば力説されていたそうです。

そんな検事の襟元には「秋霜烈日」のバッチが輝いています。広辞苑には「秋におく霜と、夏のはげしい日。刑罰または権威・志操のきびしくおごそかなことのたとえ」と、あります。

加藤氏が以前、酒の席で、このバッジに話を振ったところ、検事からこんな答えが返ってきたそうです。

秋の霜は、強い日差しに弱い。

その時は冗談だと思い、笑ったそうですが、今ではもう笑うことができないと、加藤氏は最後に書かれています。

■かつて民主党の代表だった小沢一郎氏に関する検察の行動を見て、大きな違和感と憤りを私は感じました。どう考えても恣意的としか思えない行動だったからです。

法の下で人は平等であるべきですが、残念ながら日本では未だに、そうはなっていないと確信させられることが、とても多いのです。極めて残念なことです。

未だに中世と変わらない、と世界から揶揄される日本の司法制度に、夜明けはやってくるのでしょうか。

4年に1度

■20200318(水曜日:晴れ)

伊香保温泉での夕食です。

■今朝は起き出すことができませんでした。5時に目覚ましを合わせていたのですが、2日間続けて走ったためでしょうか、走り出す元気が出ませんでした。

昨夜は医師会の理事会があり、報告事項、検討事項、承認事項と山のように書類があり、時間もかかりました。新型コロナウイルス感染症の対応問題も大きな課題でした。全員マスク着用での会議も、異様と言えば異様でした。

感染はまだまだこれから広がるでしょうから、収束したと宣言できるのは、当分先の話ではないでしょうか。それまでに、経済的に行き詰まったり、精神的に息詰まったりして、感染以外の原因で犠牲者の出ないことを祈るばかりです。

■さて今朝の東京新聞こちら特報部では、「今夏の五輪開催、新型コロナで暗雲、延期論は無理筋、命のため早く中止決断を」と題して書かれています。

普通に考えると、これだけ世界的に感染が蔓延している現状では、今年の夏にオリンピックを開催することは、とても無理のように思えます。

たとえ日本が感染拡大を制御し、終息宣言ができたとしても、世界中から選手がやってくることができない可能性が高いからです。アメリカではまだ選手選考のための全米選手権が開かれていないようです。

IOCと東京都、そしてJOC(日本オリンピック委員会)が結んだ開催都市契約によれば、「2020年中に東京五輪が開催されない場合、IOC は大会を中止する権利を持つ」と書かれています。

これを踏まえて、橋本聖子五輪相が2020年内ならば延期が可能との認識を示しましたが、日本が20年内の開催を望んでも実現するとは限りません。まだまだ選手選考のための予選が終わっていない競技があるため、夏までに代表選考が終わるのは難しいからです。

しかも今年中となると感染の不安が払拭されない限り、日本行きをためらう選手が出るのではないか。近年はプロのアスリートが多く、感染すれば億単位の収入を失うから敏感になっているそうです。

となると、年内を諦めて1年後あるいは2年後の延期を考えればと思いますが、そうは問屋が卸してくれないそうです。五輪憲章を見ると、『夏季五輪は4年に1度開く』と明記されています。

このサイクルを崩して東京五輪を延期したいと考えた場合、憲章の改正が必要となり、それには IOC 総会の場で投票総数の3分の2以上の賛成が必要となります。

4年に1度の開催の意味を、JOCの元参事、春日良一氏はこう指摘しています。

五輪発祥の古代ギリシャでは4年に1度、武器を置いて競技にいそしみ、平和への思いを神に捧げた。

1896年に近代五輪が始まったのも、帝国主義がはびこる中、4年に1度は平和の精神に立ち返る機会を作ろうとしたから。

このサイクルを変えたら五輪の意味がなくなる。歴史を変えることにもなる。

奈良女子大の石坂友司准教授が最後にこう書かれています。

東京五輪を名目に競技場や道路などのインフラ整備が正当化され、東日本大震災からの復興とも結び付けられた。

行政側の思惑に市民が巻き込まれ、五輪が『大事なもの』にさせられた。

私たちはその点が大きな問題だったと反省した上で、何のための五輪なのか、改めて問い直す必要がある。

1936年ベルリンオリンピックが開催された時に、時のヒトラー総統はアーリア人種の優秀さを世界に示すために、あらゆるメディアを最大限に活用しオリンピックを利用したのです。

もう一度私達は、本当に東京五輪を開催する意味は何なのか、をしっかりと自分自身の頭で考える必要があるのではないでしょうか。

きみのバラ

■20200317(火曜日:晴れ)

伊香保温泉宿の庭木です。

■今朝も走りました。ちょうど5時に目覚ましが鳴ったのですが、夢の真っ只中でした。つまりは起き出すのに一苦労したということです。

今朝はいつものコースを走り、6.31kmを積み重ね、今月は9回のランで59.15km。残り14日で40.84kmのところまで来ました。

今朝も冷え込みました。薄手の掛け布団に毛布をかけて寝ましたが、それでも少し冷えるほどでした。昨日、今日と朝の冷え込みが戻ってしまったようです。

たくの入学を祝って植えたさくらんぼの木にも花が咲き始めました。数日前から気づいていたのですが、今朝は走った後に写真を撮りました。青空を背景に可憐な薄い桃色の小さな花が、いくつも咲いていました。

柿の木にも新芽が出始め、瑞々しい青葉が少しずつ成長しています。5月の連休頃には小さな黄色い花が咲くはずです。季節は滞りなく巡っているのです。

■今朝の東京新聞「筆洗」欄では、星の王子さまの有名な一節を引用しています。

ものごとはね、心で見なくてはよく見えない。

一番大切なことは目に見えない。

誰でも一度は耳にしたことのある有名な言葉です。この言葉を王子様に教えたのはキツネでした。王子様は自分の星に大切なバラの花を残してきた。地球にもバラがあるが、自分のバラに比べれば特別なものには思えない。

するとキツネがこう教えたのです。

きみのバラをかけがえのないものにしたのは、きみがバラのために費やした時間だったんだ。

バラに注いだ時間や愛情、いずれも目には見えないものだが、それが自分のバラをかけがえのない存在にしている、と筆者は書かれています。

そうなのです。このバラとは私たちにとっては家族なのです。家族とともに過ごした多くの時間、注いだ無数の愛情、それこそが家族を何にも代えがたいものにしているのです。

子育ても終わり、また夫婦二人の生活に戻った、いまの自分に哀切に蘇るのは、これまでに注いだ目に見えない時間だったのです。

不寛容

■20200316(月曜日:晴れ)

伊香保温泉のホテルから見た3月15日の風景です。

■今朝は走りました。いつものコースを6.68km走り、これで今月は通算8回のランで52.83kmを積み重ね、残り15日で47.16キロメートルとなりました。

エプソンのホームページにつなぐと、「月間50km走達成おめでとうございます」と告げてくれています。まだあと47キロ超残っていますが、なんとか頑張りましょう。

■昨日は3人で榛名湖から、世界遺産富岡製糸場跡を見学して帰ってきました。高崎駅では新潟方面からの新幹線と長野方面からの新幹線と、二つの路線からの列車が高崎駅で合流しますので、14時から15時の間だけでも4本の列車が利用できます。高崎は誠に、そういう意味では便利な地方都市と言えます。

東京駅に着いてみると、ちょうど下りの新幹線が出たばかりで30分ほど待たなければならなかったのですが、16時半頃にもかかわらず乗客のあまりの少なさに驚きました。

発車5分ほど前に列に並んだのですが、10人ほどしか並んでいませんでした。いつもでしたら長蛇の列の最後になるのが普通なのですが、それだけ乗客が少ないということです。本当に人出が減ってしまいました。

もちろん原因は新型コロナウイルス感染に対する恐怖です。科学的な根拠に基づくことのない情緒的な自粛要請が、人々の心をいびつな状態にしているのです。もちろん、昨年末の消費増税も影響していることは間違いありません。いわばダブルパンチの状態に日本は襲われている訳です。

昨日の東京新聞「本音のコラム」欄では、あの前川喜平さんが「コロナと不寛容」と題して書かれています。13日の東京新聞「発言」欄に、中学生の投書が載っていたそうです。

花粉症の彼女はバスに乗ると、くしゃみが出ました。マスクをして手で抑えていたのですが、高齢男性に「コロナじゃないの?次のバス停は病院だから降りろ」と言われたと投稿しています。

また、こんな報告もありました。子どもだけで出歩いたら教育委員会に通報され、子どもがまるで病原菌のように扱われているというのです。最後に前川さんはこう書かれています。

不寛容は恐怖から生じる。恐怖は不安から生じる。不安は無知から生じる。不寛容を払拭するためには、科学的根拠に基づく正確な情報を、わかりやすく人々に伝えることが必要だ。科学的根拠のない独断的な対策の乱発は不寛容を増幅させるだけである。

誠にその通りに違いありません。少し考えただけでも、おかしなことがまかり通っています。

NHKの大相撲放送を見ていたら、熱発した力士が途中休場した、という放送をしていました。その力士にコロナ検査はされたのでしょうか。ネットの記事では、そうしたことはされていないというのです。もしそうだとしたら、実におかしなことです。

必ずしも全員にコロナ検査をする必要はもちろんないのですが、疑われる症例には積極的に検査をしていかないと現状を把握することができません。つまり誰が安全なのかがはっきりしない訳ですから、疑心暗鬼がつのるばかりです。そこに不寛容が発生する訳です。

プロスポーツが軒並み中止の決定をしているのに比較して、オリンピック関連の予選会は、まるでコロナ感染など影響しないかのごとく、粛々と実行されています。沿道には応援の観客が、大勢繰り出しています。オリンピックを開催するために、何が何でも数字を捏造したい人達がいるのでしょう。

結局のところ犠牲になるのは、いつも庶民なのです。マスコミにすっかり洗脳されてしまった国民は、まさに従順な羊の群れに違いありません。

近代化

■20200315(日曜日:晴れ)

3月15日の榛名湖の様子です。雪に覆われていることに驚きました。

■昨日は新幹線を乗り継いで、たくと待ち合わせて、車で伊香保温泉まで送ってもらいました。高崎駅から両毛線に乗り換え、高崎門前町駅で下車、無事に待ち合わせることができました。たくの家から最近駅なのです。

昨夜は温泉に浸かって、ゆっくりと食事を共にして家族水入らずでした。たくの仕事も今のところ順調のようで安心しました。健康と生活のことが、やはり親としては一番心配です。

■さて今日は榛名湖のロープウェーに行くことにしました。当初は世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」を見学する予定でしたが、帰りの電車の関係で難しそうだ、という判断でしたが、せっかく青空が戻ったので榛名湖ロープウェーを優先しました。

ところがどっこい、そうは問屋が卸してくれませんでした。榛名湖までの道路が一面の雪景色だったのです。

この写真では道路は安全そうですが、シャーベット状の場所が多かったのです。

もう少しで榛名湖、というところで右手にロープウェー乗り場への案内板が見えてきましたが、運行停止のようでした。そのまま進んで、榛名湖管理事務所へ向かいました。

すんもたくと一緒で嬉しそうです。でも太陽が眩しいのです。一面の銀世界でした。
榛名湖ロープウェーも運行停止でした。

■榛名湖についてみて、その雪景色に驚きました。榛名湖の標高は、1,084m とありますから、山中湖の 980m よりも高いのですから、べつだん天変地異というわけではないのですが、それでもその違いには驚くしかありませんでした。

そのためか、観光客はほとんどいません。管理事務所もコロナウイルス感染症のため閉鎖という張り紙がありました。

記念写真を撮ってから、時間をみて調べると富岡製糸場と絹産業遺産群にも立ち寄る時間は充分ありそうだという事になり、カーナビをセットして出発しました。

まるで箱根駅伝のコースを駆け下りるように、下り道をドライブしていると、急激な景色の変化に、またまた驚きました。あっという間に雪景色が消え去り、どこにでもある里山の風景が出現したのです。

■富岡製糸場と絹産業遺産群には11時過ぎに到着。市営の無料駐車場に止めて、ぶらぶら歩き始めました。最高の青空です。上信電鉄上州富岡駅 、富岡市役所などなど青空のもと、三人で楽しく散策すると15分ほどで到着しました。

上信電鉄上州富岡 駅です。

たくの法律事務所の親分である高橋伸二先生が、富岡製糸場を愛する会を立ち上げ、いわば生涯を掛けて勝ち取った世界遺産です。本当に地元の宝です。

工場内は見学できませんでした。

ただ残念ながら新型コロナウイルスの関係で、工場内は見学できないとのこと。見学料はしっかり取られましたが、一年以内ならその券で無料見学できる、ということでした。でも一年以内に再訪することは、残念ながら無さそうです。

記念撮影です。親ばかです。(●^o^●)

見学者は思ったよりも少なく、のんびりと見て回りました。近代化を急ぐ明治時代。人々は追われるように、必死になって欧米から科学技術を学ぶ必要がありました。国の存続そのものが掛かっている、過酷な時代背景が有りました。

桑の木です。蚕の餌になる葉を収穫します。

明るい部分に光を当てれば、「坂の上の雲」になるでしょうし、暗い部分に光を当てれば「女工哀史」となるはずです。どちらも同時並行で人々を駆り立てたのでしょう。

今では想像もできない時代環境だったに違いありません。お雇い外国人技師のフランス人技師が家族とともに来日して指導にあたっていました。今では想像もできない高額の年俸で雇っていたわけです。貧乏国にとっては大きな負担でした。それでも知識も技術もない東洋の一小国が生き延びるには、そうせざるを得なかったのです。無慈悲な厳しい時代でした。

欧米諸国によって中国を始めアジア諸国は、散々なひどい目にあっていました。泥棒や人殺しなど、なんとも思わない連中だったのです。自由・平等・博愛は、アジア人には当てはまらないのです。

テレビのCMを観ていると、モデルを務める欧米の白人の、なんと多いこと。劣等感の裏返しです。いつまで、そんなことを続けていくのか。本当に残念なことです。

■さて無事に見学も終わり、昼食を取るために高崎駅方面に戻りました。少し遅い昼食でしたが、イタリアンを希望したところ、たくが美味しい店を知っていました。到着してみて驚きました。お客さんが長蛇の列を作っているのです。14時近かったのですが、その混雑ぶりには驚きました。

最初はテーブル席をお願いしたのですが、それではいつになるかわからずにカウンター席に変更し、ようやく席に付くことができました。

注文したパスタを見て、そして食べてみて納得しました。なるほど人気店になるはずだ、と分かりました。食事も無事に終え、高崎駅に向かいました。

16時半近くの「とき号」に乗ることができ、あっという間に東京駅です。東海道新幹線こだま号が出発したばかりで、30分ほど待つ必要がありました。ホームの待合室に入りました。いつもでしたら、いつもまにか長い列ができているのですが、この日は出発の5分前に並び始めても、ゆうゆうと席につくことができました。本当に人出が減っているのです。

不要不急の外出を自粛するようにという政府の要請は、経済に深刻な影響を与えているようです。日銭商売は、本当に大変だと思います。政府の対策が必須です。

こうして家に辿り着いたのが、17時半過ぎでした。楽しかった週末も、あっという間に過ぎ去りました。

月の友

■20200314(土曜日:曇のち雨)

境港駅前の様子です。鳥取県なのです。

■一昨日、昨日と2日続けて走りましたので、今日は休養の朝です。天気予報によれば9時過ぎからは、静岡県東部でも雨。関東地方も山沿いでは、午後から雪になると報じています。

群馬県に住んでいるたくのところへ、すんと一緒に遊びに行く予定なのですが、車で行くか電車で行くか、2人で悩んでいるところです。なにしろ雪道を運転するのは恐ろしいので、どうやら電車で行くことになりそうです。

東名を通り横浜から圏央道に入って、八王子経由で高崎へ行こうかと思っていたのですが、八王子近辺では雪になっているかもしれません。こちらはノーマルタイヤでしか運転していませんので、万が一にも雪道になってしまうと、ニッチもサッチもいかなくなってしまいます。電車で行くのが正解でしょうか。

新型コロナウイルスの蔓延を考えると、人が集まる駅は避ける方がリスクは少ないのでしょうが、雪道でスリップするよりは危険性は少ないのでしょう。

■さて今朝の東京新聞、「今昔記」には多摩川駅界隈の様子に関する記事が書かれています。隅田川と小名木川が合流する水辺に設けられた芭蕉庵史跡展望庭園、その入口にある句碑にはこう記されています。

川上と この川下や 月の友

奥の細道の旅を終えた芭蕉が、門人杉風らの尽力による3番目の芭蕉庵で暮らした晩年の句です。

庭園より少し上流にあった武家屋敷から川面に張り出した五本松近くに船を浮かべ、同じように月を眺めているであろう友に思いを馳せた句だそうです。

この句に接して思うことは、果たして自分に、こうした友がいるだろうか、という思いでした。もちろん俳聖であった芭蕉と私とでは比較にはなりませんが、同じような思いを抱いたとしても不思議ではありません。もう私も晩年なのですから。

■さて仕事が終わってから電車を乗り継いで高崎まで行きました。たくと会って伊香保温泉に宿泊するためです。新幹線を乗り継いで高崎駅で下車。両毛線に乗り換えて高崎問屋町駅で降りました。駅前でたくと待ち合わせて車に乗せてもらい、伊香保温泉の旅館に向かいました。

沼津から東京を経由して高崎に行きましたが、途中も雨が降り、寒々しい天候でした。それでも車に乗った時には雨が降っている状態でしたが、伊香保温泉に近づくにつれて、周囲が雪景色に変わっていくのに驚きました。

今日は朝から車で行こうか、電車にしようかと2人で散々迷ったのですが、雪景色を見て電車で来たことにホットしました。スタッドレスを履いていない私の車では、この雪道を運転するのは危険極まりないからです。たくの車はスタッドレスを履いていましたので、安心して宿へ向かうことができました。

宿についてやっと一息つきました。最初の予定では伊香保温泉ではなく、草津温泉に宿泊する予定でしたが、天気予報を睨みながら雪が降るという予想から、とても車で行くのは無理と判断し、草津よりもずっと標高の低い伊香保温泉に変更しましたが、実に正しい決断でした。

あの時間であの天候では草津温泉に着くのは、いつになるか想像もできない状況でした。宿に着いたのは17時30分近かったのですが、明るいうちに着けたのは本当に幸運でした。チェックインを済ませて、夕食は当初の19時半から19時に変更してもらうことができましたので、ゆっくりとお風呂に入って、ちょうど良い頃合となりました。

宿泊した「ホテル木暮」という旅館は、とても由緒のあるホテルのようで、たくによれば伊香保温泉の湯量の約4割を使用する権利を持っているとのことで、たくさんの湯船があるのには驚きました。いくつものを湯船に浸かり、しっかりと温まって、部屋に戻ることができました。

19時から夕食を取ることができましたが、3人でゆっくりと話をしながら夕食をとることができたのは、本当に幸せな時間でした。

3人でゆっくりと歓談することができました。

精神的クラスター化

■20200313(金曜日:晴れ)

ゲゲゲの鬼太郎・机です。

■今朝も走りました。昨日の朝も走りましたし、昨夜は静岡市で県の眼科医会理事会があり、帰ってきたのは10時を過ぎていました。ということで、今朝は起きられないかと思ったのですが、意外と熟睡できたのか、起き出すのはそれほど辛くありませんでした。

夜中に一度目が覚めて薄い毛布を、掛け布団の上にかけました。やはり、まだ冷えるのです。

ということで、今朝は6.08kmを走り、これで今月は7回のランで46.15キロメートル、残り18日で53.84kmまで来ました。今日はとにかく無理をせずにゆっくり走ればよいと腹をくくり、少しずつ、いつものコースを走りました。キロ7分7秒ですから、昨日に比べると30秒以上ゆっくりとしたペースでした。まあ、これも致し方ありません。

■さて、森 雅子法務大臣の迷言が話題となっています。今朝の東京新聞朝刊には「森法相 迷言次々 大丈夫?」と書かれて解説されています。

東日本大震災の時に検察官は福島県いわき市から最初に逃げた。その時に身柄を拘束している十数人の人を理由なく釈放した。

9日の参議院予算委員会で、森氏はこう述べましたが、黒川東京高検検事長の定年延長を可能にした法解釈変更の理由を聞かれた流れの中で、このように答えました。

記事にもある通り、内容の正誤はさておき、「なぜこんな答弁」と首をひねってしまうのは至極当然です。

記事の中で森法務大臣がゴーン被告に対して「日本の司法の場で正々堂々と無罪を証明すべきだ」と発言したこと、あるいは定年延長を可能にした解釈の変更手続きについての答弁が二転三転したりしたことなど、迷走ぶりが書かれています。

子供の頃に父親が借金を抱え苦しんだ時に、弁護士が無償で業者との間に立ち問題を解決してくれた経験から森氏は「今度は私が困ってる人を助けたい。弁護士になる」と決意し、5回目の挑戦で見事司法試験に合格した、と森氏のホームページには記載があるようです。

本当にその通りなのでしょう。森氏の志は決して迷走はしていなかったのだと思います。

結局のところ、正鵠を射ているのは最後に書かれている千葉大学の小林正弥教授の言葉ではないでしょうか。

新型コロナウイルスへの対応とともに、定年延長問題でも官邸中枢が独断、独裁的な判断をし、森氏は正当化する答弁をさせられている。それが心理的な負担となり、不可解な答弁をしてしまうのではないか。

新型コロナウイルスでも、クラスター(集団)感染が恐れられています。感染元になった人を中心に、次々と感染が広がって集団を形成していく状態です。感染元は分からないものの、 精神的に安倍内閣は、まさにそんな状態になっているのではないでしょうか。

軍事国家

■20200312(木曜日:晴れ)

たくが大好きそうなゲゲゲの鬼太郎・電車です。

■今朝は走りました。昨日は起き出すことができずに、積み重ねができませんでしたけれども、今日は6.65キロを積み重ね、これで今月は6回のランで40.07km、残り19日59.93kmのところまで来ました。

今朝は目覚ましの鳴った5時に、ちょうど夢を見ていましたので、起き出すのが辛かったのですが、昨日休みましたので、なんとか起き出してスタートすることができました。

今朝は結局、キロ6分15秒で走りきっていますので、いつもに比べて順調といえます。最初は重かった足取りも、今朝は5キロを過ぎてから、少し軽やかになったように感じました。

■さて、今朝の東京新聞「特別報道部編集局南端日誌」欄では、「岩場で右腕骨折」と題して書かれています。特報部長の田原牧さんが伊豆七島で夜釣りの最中、岩場で転倒し右の二の腕を骨折、手術した後ようやく退院された顛末を書かれています。

怪我をすると非日常に直面し、普段は耳にしても素通りしている、色々なことに気づかされたと書かれていました。例えば、人情です。普段は無愛想な仲間達が、あれこれと気を遣ってくれたことに感謝しています。

また逆に普段は、それほど気にならなかった、歩きスマホや正面から歩道を全速力で走ってくる自転車には、逆上しそうになったそうです。患部を抱えて歩くだけで精一杯の自分には、恐ろしく感じられたのでしょう。

さらには医療体制の現状についても気づかれた点が多かったようです。例えば、負傷して駆け込んだ、島唯一の有床診療所には放射線技師が夜間いない為に、翌朝で直さなければなりませんでした。高齢化が進む離島の住民の医療不安が身近に感じられたそうです。

島の医師からは東京に戻ったら、すぐ近隣の病院に行くようにと指示されたそうですが、東京へ帰ってからも入院する病院がなかなか見つからず大変困ったそうです。

近くの救急病院では、他の病院に紹介しますと言われ、病床数が300を超える大きな病院でも、向こう1ヶ月間は整形外科の手術の予定はいっぱいで、他を当たってください、と断られました。

結局骨折してから手術まで1週間近くかかったそうですが、知人の看護師さんに愚痴ると、そんなことは全然珍しくない、と言われてしまったそうです。

2025年に向けた政府の地域医療構想では、急性期の病床は現在の3分の2に減らそうとしています。猛威を振るう新型コロナの対策にしても、フル規格の保健所はこの30年で4割以上減りましたし、国立感染症研究所も人員や研究費が削られ続け、現場は悲鳴をあげていると伝えられています。

その一方、すでに衆議院を通過した2020年度の当初予算では、防衛費なる軍事費が8年連続の増額で過去最大の5兆3133億円に達し、予算計上のカラクリで実額は更にそれを上回っています。もう既に日本は立派な軍事国家なのです。

医療費、社会保障費は削られ続け、アメリカから軍事兵器を爆買いしているのが現状なのです。もう一度きちんと国の現状と未来のあり方について、考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

それには、きちんと情報を開示をしなければなりません。今のように政治家が平気で嘘をついたり、事実を隠蔽したり、公文書を改竄、廃棄していては、国民が正しい判断をすることは不可能です。

Page 2 of 4

Powered by WordPress & Theme by Anders Norén