■20210312(金曜日:曇)

三津の松濤館でいただきた静岡県の銘酒利き酒です。

■今朝は走りました。 いつものように4時半に目覚ましを合わせていましたが、3分ほど前に目が覚めました。スマートウォッチを見たのですが字が小さすぎて何時かはっきりしなかったのですが、いつもの実感からそろそろ起きる時間だということがわかりました。ここでもう一度眠ってしまうと起きられないと判断し、着替えをして生ゴミを測定の位置まで運び、準備運動の後スタートしました。

今朝はアプリとしていつも使っているラン・キーパーではなくて、Tattaという RUNNET が提供しているアプリを使いました。ここ数回ランキーパーが途中で落ちてしまい機能しなくなってしまっていたからです。

Tattaは残念ながら音声案内の設定をしても機能してくれません。つまりうんともすんとも言ってくれないのです。一応設定では10分ごと、あるいは1 km 走ったごとに知らせてくれるように設定してあるのですが、どういうわけかうまく機能しません。

したがって今朝は小学校の校庭に辿りついて走り始めてからは、なんの音声案内もないままに35分を走り続けました。走り出して25分ほどしてからでしょうか、腰の辺りに違和感を感じ始めました。

それでも何とか35分間走り続けることができ、結局今朝は53分45秒走り続け、9.19 km を積み上げました。これで今月は5回のランで43.16 km を走り、月100 km 走までは残り19日で56.83 km のところまで来ました。

■さて昨日は10年前に東日本大震災が勃発した日でもあり、一日中テレビで特集番組を組んでいました。当時の映像を見ると、本当に恐ろしい自然災害が日本を襲ったのだと、今更ながら実感しました。

連れ合いや子供達を失った人の悲しみというのは、本当に想像を絶するものがあります。自分に照らし合わせてみて、息子や娘たちが災害で命を落としたとすれば、その悲しみは例えようがありません。子供達は親より先に旅立ってはいけないのです。こればかりは順番が何より大切だとつくづく思うのです。

そんな災害を目の当たりにして思い浮かぶのは、あの方丈記の一節です。ネットによれば、「方丈記が書かれたのは、およそ800年前、1212年頃とされています。 鴨長明は執筆時58歳でした。 方丈記は、日本人の無常観を表した作品といわれています。 無常観とは、世の全てのものは常に移り変わり、いつまでも同じものは無いという思想の事です」とあります。

学校で習った頃には実感できなかった無情感というものも、大震災を経験すると、日本人の心の底に流れているものだと気づきます。

ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。

たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる高き賤しき人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。

或は去年焼けて、今年作れり。或は大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ三十人が中にわづかにひとりふたりなり。

朝に死に夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生れ死ぬる人いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

その主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露に異ならず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。

■この自然災害の頻発する日本列島で、こうした無常観を抱きながら、まさに日本人は生き続けてきたのです。