■20210124(日曜日:雨)
■昨日の午後から雨が降り始めました。そして今日は都心部でも大雪の予想です。いま朝の7時半になろうとしていますが冷え込んでいます。こちらでは雪は降っていませんが、灰色の雲が空を覆っています 。
富士山は見えませんが明日雨が上がって青空となれば、すっぽりと雪をかぶった富士山が出てくれると期待しています。
昨夜のニュースでは東京の八王子で雪が降っている様子が放映されていました。 八王子での大雪といえば、2014年2月を思い出します。Takuが 法科大学院学生寮に入っていた頃です。八王子市役所では、その時は50 CM を超える積雪を記録したそうです。
Takuの話では記録的な大雪のために車の通行ができず、物資の輸送が停止しました。コンビニに行っても、ほとんど商品が枯渇していたそうです。そうなると、さすがに生命の危機すら感じたとのことです。
寮の一階に住んでいたTakuは、窓が雪によって埋められていくさまを観て、心底恐怖を感じたとのこと。もう少しで玄関からの出入りができなくなりそうでした。あれからは八王子には決して住もうという気にはならなかったそうです。よほど恐ろしい経験だったでしょう。
■ある友人からメールをもらい、人間ドックで見つかった癌の手術を受けて今入院中だ、という知らせを受けました。大変驚きました。 いつも元気なアスリートでしたので、まさか手術を受けるとは夢にも思いませんでした。
幸い手術も無事に終わったようですが、すぐにまた元の生活に戻るというわけにはいきません。しばらくはリハビリの毎日となるのでしょう。激しい運動はともかく、日常生活は不自由なく送れるわけですから、あとは単なる時間の問題だとは思うのですが、はたと考えさせられました。
父の晩年が思い浮かんだのです。じっとしているのが嫌いな父は、引退生活に入ってからもウォーキングを欠かしませんでした。そんな父が九十歳を前にして筋力の衰えから、自分の脚でトイレに行くことすら困難になったのです。そんな光景は見ている自分にも辛くなるほどでした 。
あの父の晩年の様子を見たことが、今に続く私のランニングの原点です。いずれ自分も必ずそうした状態になるに違いない、と実感したのです。そして、いずれ自分も旅立つ日がやってくる、という実感も同時に訪れたのです。
年齢による衰えは致し方ありません。でも鍛錬を積むことで、その日がやってくる年齢を遅らせることが可能です。未だにランニングが続いているのは、トイレに向かう父の後ろ姿が忘れられないからなのです 。
とは言っても、いつまでも永遠に走り続けることができるわけでもありません。いずれは寝たきりならぬ、座りきりの生活が待っています。自分自身じっとしているのが苦痛なタイプですので、そんな日の訪れを想像するのは、とても辛いのですが、致し方ありません。
ではその時に充実した、心安らかな時間を送るには、どうしたら良いか。自分なりに考えておく必要があります。
そして今の自分なりの結論は、「最後に残された娯楽は読書しか無い、それも再読する楽しみだ」というものです。読書の楽しみとは再読する楽しみである、という遠藤周作さんの言葉があります。
座りきりの生活になった時、何冊の再読する本を持っているかが、その人の最晩年を豊かにできるかどうかの分かれ目のような気がします。もちろん一冊あれば充分かもしれません。何冊もある必要はなさそうです。
私の場合は、どの本だろうかと自問すると、それはいまのところ、「地中海のほとり」と「青が散る」でしょうか。
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