2022 年 02 月 11 日 北海道小樽市街と石狩湾です。

月: 2021年3月 Page 3 of 4

東日本大震災

■20210311(木曜日:晴れ)

Michanからもらったスイカです。昨日朝走ったあとで食べた、今年初めてのスイカです。

■今朝は、ゆっくりと休みました。今日は2011年に東日本大震災が起った日です。地震が起こったのは午後2時過ぎでしたので、私は午後の診療を始めていました。

とにかく長い揺れだったことを、はっきりと覚えています。いつまで経っても揺れが止まらないのです。あれだけ長い時間揺れ続ける地震を経験したのは始めてでした。とにかくまず、患者さんたちをスタッフみんなで外に誘導した記憶があります。

やがてテレビを通じて津波の状況が、時々刻々と伝わってきました。まるで映画のCGを観ているような気がしたほどです。しかし、それは現実だったのです。

1,000年単位で見れば、こうした地震はくり返し襲ってきたことは間違いないのですが、それがあの日に起こるとは、もちろん誰も予想していませんでした。地震の解説は、結局全て後講釈なのです。

さらには原発事故が起こったことで、福島は二重の重荷を背負うことになりました。
明治時代以降、沖縄と福島には理不尽な負担ばかりが伸し掛かっています。

それまで沖縄は琉球王国として、長い独立の歴史を持っていました。中国と日本の間でバランスを取りながら繁栄した、独自の歴史を持っていたのです。もし日本に併合されずに、独立国として生き延びていたら。歴史に、もしは無いのですが、きっと自主独立の気概に富んだ、独特の文化を持った地域が発展したに相違ありません。

この国の病理

■20210310(水曜日:晴れ)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝は走りました。いつものように4時半に目覚ましを合わせて起きようとしましたが、睡眠のリズムがうまく合わなかったようです。0時前に一度目が覚めてトイレに行ったのですが、その後熟睡して目覚ましが鳴った時には夢の中でした。目覚まし時計で無理やり叩き起こされた、という感じでした。

したがってベッドの中から起き出すのに時間もかかりましたし、体も重いままでした。それでも何とか起きだして準備をし、ビニールゴミを所定の位置まで運び、準備運動の後スタートしました。

今朝もアプリとしてランキーパーを使用しました。いつものコースを走り、1.3km ほど走ったところで校庭に到着。今日はここから35分走る予定でタイマーをセットしました。最初のうちはキロ当たり7分10秒程度の速度で走り続けましたが、腰が重く足取りもスムーズとはいきませんでした。

ランキーパーの音声案内も、5 キロ までは順調に案内してくれたように記憶していますが、その後はだんまりを決め込んでしまいました。つまりはアプリが落ちてしまった、自動停止してしまったようです。 原因不明です。

結局今朝は53分13秒、8.37 km を走り、これで今月は通算4回のランで33.97 km を積み重ね、月100 km 走までは残り21日で66.02 km の地点まで来ました。

■さて今朝の東京新聞には、文藝春秋4月号の案内広告が出ています。

走り出したら止まれない「この国の病理」

日本の敗戦

「福島」と「コロナ」


と題して船橋洋一さんが書かれています。まだ読んでいませんので内容についてはわからないのですが、まさに走り出したら止まれないこの国の病理は、 太平洋戦争の敗戦によっても変わることはなかったようです。

よくインパール作戦が引用されます。無謀な戦いの代名詞のように今では語られています。失敗する確率が極めて高いにもかかわらず、最高指揮官のメンツを慮って、いまの言葉でいえば周囲の幹部たちが忖度の結果、多くの兵士が無謀な作戦のために戦う以前に餓死してしまったのです。

Wikipediaで調べてみると、作戦の最高指揮官であった牟田口廉也司令官について、こう書かれています。

牟田口は戦後イギリス軍がシンガポールで開いた戦犯裁判でBC級戦犯の一人として裁かれたが、嫌疑不十分として釈放され、帰国後は東京都調布市で余生を過ごした。

しばらくの間はインパール作戦に対する反省の弁を述べ、1960年(昭和35年)頃まで、敗戦の責任を強く感じて公式の席を遠慮し続けながら生活していた[11]。

しかし、1962年(昭和37年)にアーサー・バーカー元イギリス軍中佐からインパール作戦成功の可能性に言及した書簡[注 1]を受け取ったことを契機に、自己弁護活動を行うようになり[13]、死去までの約4年間はインパール作戦失敗の責任を問われると戦時中と同様、「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」と頑なに自説を主張していた[注 2]。

同様の主張は、多くの機会で繰り返された(#主要著述物も参照[注 3])」

との記載があります。多くの兵士を死なせてしまったことに、彼も戦後苦しかったのでしょうが、晩年の行動は残念でなりません。餓死した兵士も浮かばれないでしょう。

そして、いまでも日本の指導者たちは、少しも変わっていないのです。結局犠牲になるのは、戦前も戦後も少しも変わっていないのです。それこそが、この国の病理なのです。

おらが春

■20210309(火曜日:晴れ)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日の朝は頑張って8キロ超を走りましたので、今朝は休養日です。昨日の朝はランニングアプリが途中で落ちてしまい、知らない間に区切りのない時間が続きました。

以前は、そうした区切りのない時間を校庭での周回ランニングで過ごしていたのですが 、最近はランニングアプリの音声案内を利用して、スマホに10分ごと、あるいは1 km を走るごとに教えてもらいながらランニングを続けていました。

昨日のあの30分ほどの音声案内の無い時間帯を走ってみて、何かその間だけ、まるで真空地帯になってしまったような気がしているのです。無為の境地というのでしょうか。座禅の時の心境でしょうか。何も考えることなく、ひたすら脚を前に運んでいたような時間帯でした。

時間を区切りながら走るのは、目安が着いて走りやすいと言えば走りやすいし、急き立てられていると言えば、そうでもあります。これからは時々、音声案内無しで走ってみるつもりです。

■さて今朝の東京新聞11面「香山リカ ふわっとライフ」では、「お金より大事なもの」と題して書かれています。 長年の臨床経験から、多くの患者さんと向き合っておられる香山さんの思いを書かれています。

政治の世界での高額な会食接待から話を始めています。 診察室に来られる方の中には当然、経済的困難からうつ病になったという人は少なくありませんが、逆にいわゆる富裕層のような人も、時々やってきては苦しい胸の内を語ることもあるそうです。

「お金があれば幸せになれると思って頑張ってきました。それは叶えられたのに、家族と不仲になって絶望しています」 。お金は当然大事なものであり、あった方が良いに決まっています。 でも、お金があっても幸せになれるとは限らないのです。

多くの人を見てきて香山さんが感じるのは、「自分への信頼、家族への信頼が一番。お金はあくまでその上に必要なもの」と言われています。 そして最後に、こう書かれています。

「誰のことも信頼できないのにお金だけある、というのでは心が荒むばかりだ。逆にお金は足りないけど家族や友人と心は通い合っているという場合は、節約しても惨めな気持ちにはならず、助け合って乗り越えていける」

まことにおっしゃる通りだと思うのですが、 それを得ることが難しいために多くの人が苦しんでいることは間違いありません。

結局、上を見てもきりがありませんし、下を見てもきりがないのが人生です。では、どの辺りが一番よいのか。

小林一茶の俳句ではありませんが「めでたさも 中くらいなり おらが春(読み方:めでたさも ちゅうくらいなり おらがはる)」ということでしょうか。

意地

■20210308(月曜日:雨)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝は走りました。昨日は四人で楽しく週末を過ごし、家に帰ってからはのんびりと休日を過ごしました。昨日は雨は降らなかったものの、気温も上がらず寒々しい一日でした。

天気予報では、今日の朝は雨とのことでしたが、ここ沼津は静岡県でも東部に位置していますので、天気予報は静岡のものより、むしろ東京の予報の方が当たっていることが多いのです。

ということで、いつもの通り4時半に目覚ましを合わせて起きだし、走る準備を始めました。玄関を出てみると地面が濡れています。幸いその時刻には雨はほとんど降っていませんでしたので、早々に準備運動を始めてスタートしました。

今朝は今月3回目のランで53分8秒を走り、8.46 km を積み重ね、合計25.60 km となりました。 月100 km 走まで残り23日で74.39 km です。最近いつもしているように、スマホのランニングアプリとエプソンのランニングウォッチ両方を持って走りました。

ネットに書かれていた記事によると、私のように校庭をぐるぐる周回するようなコースを走った場合、ランニングアプリの方が少し長めに計測する傾向があるそうです。確かに私の場合も、それが当てはまりました。普通のマラソンコースのように折り返し地点を往復するようなコースですと、あまりずれは起こらないようですが、周回コースの場合は、どういうわけか GPS の計測が狂うことがあるのです。

しかし今日はそうした計測誤差以前の問題が起きました。今日は校庭でのランニング時間を35分に設定していたのですが、どういうわけか校庭で走り始めて15分ほどしてから、突然ランニングアプリが落ちてしまったようなのです。

10分ごと、あるいは1 km を走る度に音声案内をしてくれるように設定してあったのですが、途中からうんともすんとも言わなくなりました。おかしいなとは思いながら走り続けるしかなかったのですが、途中で一度スマホを確認してみたところランニングアプリが作動していないことが分かりました。

もしランニングウォッチを装着していなかったとしたら、今朝はきちんとした計測ができないところでした。やはりリスク管理は大切だと痛感しました。

そしてネットにつないで記録を送ってみると、今朝は意外にも長い距離を走っていることに驚きました。自分では6 km ほどしか走っていないかと思っていたのですが、計測では8.46 km も走っていたのです。パソコンの画面を見て本当に驚きました。

これでなんとか8日目としては予定通りの目標地点に到達しました。今月も何とか目標を達成したいものです。

■さて先週末Nonちゃんと話していて、ずいぶん年を取ってボケてしまったと散々揶揄されました。話をしていて単語がすぐに思い出せないことが多かったのです。お風呂でのぼせてしまい、気分が悪くなり嘔吐しそうになったことも災いして、頭の働きも鈍っていたのでしょう。

しかしあそこまでボロクソに言われるとめげそうになりますが、なにくそと思って意地でも走り続けるしかありません。

年を取って周囲の人に迷惑をかけずに生き続けるために一番必要なのは、足腰の筋肉だと自分は信じているからです。もちろん頭の働きは重要ですが、体が動かなくなると頭も動かなくなるのです。

数多くの患者さんを診ていて、 本当に痛感するのはその点です。ですから私は走り続けるのです。子ども達や連れ合いに迷惑をかけたくないからです。そうした思いは、なかなか理解してはもらえないようです。

注意一秒怪我一生

■20210307(日曜日:曇、寒い)

松濤館から見た富士山です。残念ながら雲に隠れていました。

■昨日は仕事を終え昼食をとってから一休みしました。そして仕事から帰ってきたSunと一緒に三津にある松濤館という旅館に向かいました。今回はNonちゃんとTomo 君も一緒です。15時半に家を出ました。自宅からですと、20.5 km、 車で40分とGoogleが教えてくれています。

宿に着き、お部屋に案内されて、窓から海の様子を確認してから、Nonちゃんに連絡しました。まもなく二人も到着し、少し休んでからお風呂に入りました。6階にあるお風呂からは湾越しに富士山が見える位置です。昨日は残念ながら、雲がかかり富士山は隠れたままでした。それでも天気予報は雨でしたから、この程度の天候で済んだのは幸いだと思いました。

18時の夕食前に、Tomo君と一緒にお風呂に入ったのは良かったのですが、のんびり二人で四方山話をしていてシクジリました。のぼせてしまったのです。いつも通うザブーンで湯船に入る時は、異なる湯船に入るたびに自分で80秒と決めて出入りをしていたのですが、それを怠りました。気分が悪くなり、慌てて湯船からでてベンチで横になりました。何とか事なきを得ましたが、注意一秒怪我一生です。

家を出る前には洗車をしたのですが、脚立がきちんとセットされぬままに作業を始めてしまい、途中で脚立が崩れ、危うく後ろ向きに転倒するところでした。一瞬早く異常に気づき、自分で飛び降りたので怪我を免れました。下手をしたら頭部を打って、そのまま救急車で病院へ担ぎ込まれるところでした。

元気で毎日を送ることができているのは、単に幸運だからなのだと痛切に自覚しました。

夕食も季節の料理が並び、飽きることがありませんでした。四人で楽しく何時間も歓談しましたが、私は早めに床に入りました。そして、ゆっくりと充分な睡眠を取ることができました。

ただ今日は気温が低く、寒さの中では歩き回るのは無理だと判断し、旅館をあとにして帰宅の途に付きました。楽しい週末でした。次回は青空が望めるとよいのですが。

緊急事態宣言延長

■20210306(土曜日:曇)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝はゆっくりと休みました。 昨日の朝は6 km 超走ったのですが、体のだるさが酷く、予定よりも早く切り上げました。一日中、体の重さが消えることはなく、早々に夜は早く休みました。

今朝は目覚まし時計を6時に合わせてあったのですが、5時半には目が覚めてしまいましたので、そのまま起き出して朝食をとりました。

朝刊には緊急事態宣言が、「4都県 21日まで再延長」と一面を飾っています。東京、神奈川、埼玉、千葉の首都圏1都3県に発令中の緊急事態宣言が、7日の期限を21日まで2週間再延長する、と決定されました。

緊急事態宣言の再延長に伴い、一都三県の知事がテレビ会議を開いて、郡県民の不要不急の外出自粛や、飲食店の時短営業などは引き続き求めることを確認しました。会議では、現在の午後8時までの時間要請に応じた飲食店に1日6万円の協力金を支払うことを確認。時短要請は宣言解除後も3月末まで、午後9時までとして続けることも確認しました。

地元でも飲食店はどこも青色吐息の状態です。3月、 4月は年末・年始に当たり、歓送迎会で通常でしたら大忙しの時期でしたが、緊急事態宣言のもと、客足はぱったり途絶えてしまいました。

1日6万円の協力金と言っても、夫婦二人だけで営業しているお店ならば、なんとか維持出来るのかもしれませんが、従業員を雇っているお店では、とても賄いきれるものではありません。その他に雇用維持助成金など様々な支援策があるようですが、とにかくこの危機的状態をなんとしてでも生き抜いて、コロナ禍が過ぎ去った後、またみんなで集える場が残って欲しいものだと心から願っています。

オンライン会議

■20210305(金曜日:曇)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■昨夜は第14回沼津ベイエリア眼科フォーラムがリバーサイドホテル沼津で行われ、私は開会の挨拶と座長を務めました。 お二人の先生が講師を務めてくださり、最近の緑内障手術の状況と小児の眼科疾患について講演をされました。

会場に来られていたのは10名弱の先生方で、ほとんどはオンラインでの参加となりました。Zoomでの開催でしたが、講演も滞ることなく無事に終了し、ほっとして帰宅しました。

先週の土曜日に行われた静岡でのセミナーには、私はオンラインで参加したのですが、ZoomやTeamsといった会議用のオンラインシステムは使わずに、ある情報技術会社独自のシステムを用いたようです。そのおかげかどうか、ブラウザだけでアクセスし画面も視聴できて、特別な準備も必要ありませんでしたので、参加する方としてはとても楽でした。

しかし後で関係者の方に話を聞いたところでは、かかった費用が半端ではなかったようです。聞いたところでは200万円弱の経費がかかったということで、私達のような弱小眼科医会では、とてもまかないきれる額ではないと分かりました。

昨夜の会では、後援してくれた製薬会社の担当者がZoomのセットアップをされていたようですので、いわば手作りのオンライン会議となっていました。

東部眼科医会も6月の講演会をオンラインのみで開催することに決定しましたので、どのように運営するかという問題と格闘中です。専門業者に依頼することはもちろんなのですが、座長の先生も含めて、全ての参加者をオンラインで進めるか、一部屋別に準備して運営するかの難題です。その場合運営経費が桁違いになってきます。頭の痛い問題です。

■さて今朝は走りました。いつもの通り4時半に目覚まし時計を合わせて起き出そうと思ったのですが、ちょうど4時頃目が覚めてしまいましたので、もう少し眠ってから再度起き出そうかどうか迷いました。

でもここで一旦また寝てしまうと、睡眠のリズムの関係で再度起き出すのはとても辛くなりそうなので、そのまま起きだして生ゴミを所定の位置まで運び、準備運動をした後スタートしました。

今朝は腰が重くて、小学校の校庭での予定していた35分のランは途中で切り上げました。なんとか、だましだまし走り続けたのですが、さすがに疲れが溜まっていたのでしょう。結局今朝は45分走り6.62 km を積み重ね、今月は2回のランで17.13 km を走り、月100 km 走までは残り26日で82.86 km のところまで来ました。

お菓子放浪記

■20210304(木曜日:晴れ)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝はゆっくりと休みました。昨日は3月として初めてのランニングをしましたので、今日は休養日です。 昨日は青空が広がり穏やかな一日でしたが、西から天気は崩れてきています。

今日は沼津西ロータリークラブの例会場が新しくなった最初の例会となります。これまで9年間利用してきた会場が閉鎖となり、沼津駅近くの結婚式場に例会場を移動することになったのです。

私たちのクラブは創立から30年間で、今回の新しい例会場が4カ所目となります。 スタート時点では地元の商工会の2階をお借りしていました。 あの頃は会員のほとんどは商工会のメンバーでした。しかしどこの商工会も同様なのでしょうが、会員の減少が著しく維持管理するのは困難となってきました。そこで商工会の2階から、結婚式も行える宴会場に場所を移したのですが、残念ながらそこも閉鎖されることになり、3箇所目に移動したのが9年前でした。

「この施設は静岡厚生年金休暇センターとして使用されていたが、2009年に現在の運営会社「ワールドプロジェクト」(同市)に売却された。愛鷹山麓に広がる約12万平方メートルの土地に、宿泊施設や会議場、体育館や天然温泉、老人ホームなどを備えていて、地元成人式の会場にもなっていた」。

沼津市内でも結婚式場として運営されていた施設が次々に閉鎖に追い込まれています。若者人口の減少により結婚式の数自体が減っています。 今では沼津市内で結婚式を挙げようとすると会場を探すのに一苦労です。どこの地方都市でも同じだとは思いますが、 子ども数が減り高齢化が進展すると、社会のあり方が激変してしまいます。

■今朝の東京新聞「話題の発掘」欄では、

「お菓子放浪記」国立映画機関収蔵へ  震災前 宮城・石巻でロケ  10年の節目 「貴重な記録資料 後世に」と題して書かれています。

沼津にも縁のある作家西村滋さんの原作である、お菓子放浪記は東日本大震災前に、宮城県石巻市をメインロケ地に撮影されていました。その35 ミリフィルムが、国立映画アーカイブ(東京)に収蔵されることになったのです。震災前の貴重な映像が収録されており、関係者は「震災から10年の節目。公的機関に永久保存されることは喜ばしく意味深い」と話しています。

作品は復興支援の象徴ともなり共感の輪が全国に拡大、全都道府県約850会場で上映され、約45万人の観客を動員したそうです。 最後に、こう書かれています。「大震災を機に不思議な巡り合わせをもたらしてくれた作品だ。貴重な記録資料でもあり、後世にしっかり残していただきたい」と、映画製作委員会代表の鳥居明夫さんは語られています。

私もぜひ観てみたいものだと思いました。

逆転の発想

■20210303(水曜日:晴れ)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝は走りました。 昨日は 終日雨が降り、寒々しい一日でしたが、天気予報では今日は朝から晴れる予定でしたので、目覚まし時計を4時半に合わせて起き出しました。

今日はビニールゴミの日ですので、公園前の所定の場所に運び、準備運動の後スタートしました。いつものようにSさんのお宅前を通って電気が点灯しているの確認し、踵を返して小学校の校庭に向かいました。

昨日は、そこそこの量の雨が降りましたので、ぬかるんでいないか心配だったのですが、学校の校庭はとても水はけが良くて、心配したようなぬかるみはありませんでした。

今朝は校庭でのタイマーを60分に合わせていましたけれども、10 km を走り終えたところで校庭でのランニングを止めて、帰宅の途につきました。

結局今朝は1時間7分47秒を走り、3月第一回目のランとして10.51 km を積み重ねました。残り28日で、月100 km 走までは89.48 km が残っています。

■今朝の東京新聞「本音のコラム」欄では文芸評論家斎藤美奈子さんが「与党の悪あがき」と題して書かれています。自民党議員有志が40都道府県議会の議長らに、選択的夫婦別姓を求める意見書を採択しないよう要請した件が報道されたのです。

丸川 珠代(まるかわ たまよ)男女共同参画担当相が名を連ねていたことで海外メディアも反応したようです。またしても「ジェンダー平等意識の低い日本」を PR する結果になりました。斉藤さんは、こう書かれています。

選択制がそんなに嫌なら、いっそ逆転の発想で民法を「夫婦は妻の氏を名乗る」と変えたらどうだろう。

同性だから家族の絆は守られる。子の氏で悩むこともない。男性の姓が変わると社会生活に支障が出る?今まで築いたキャリアが崩れる?

何をおっしゃいますやら。だったら旧姓を通称としてお使いになればいいじゃない。妻性強制法は反対論の嵐、不平等だ差別だと大騒ぎになるだろう。

でもね、現に女性は、事実上の夫性強制で同じ状態に置かれているのよ。

■なるほど。逆転の発想で物事を眺めてみると、物事の本質が見えてくるのかもしれません。

整備・点検

■20210302(火曜日:雨)

2016年に枯葉剤被害者支援の旅で立ち寄ったベトナム・ハロン湾の様子です。

■今朝は雨の予報通りでした。6時に目覚ましを鳴らして起き出しました。生ごみを所定の位置に運ぶために家を出た時には、幸いほとんど雨は降っていませんでした。朝食を取り、こうして画面に向かっている現在7時半少し前には、絶え間なく雨が降り続いています。今日は風も強まり荒れるようです。

広告代理店に勤める友人によれば、現在会社に出勤するのは、週に二日ほどだそうです。あとの日々は在宅勤務とのこと。体調を整えるのが大変ではないかと、他人事ながら要らぬ心配をしてしまいます。毎日出勤をするのが当たり前になっている人にとっては、一日中家にいるのは、たぶんかなりにのストレスになりそうです。

開業して30年ほどになる私にとっては、家で仕事をするのが、もうすでに当たり前になっていますので、毎日の時間の過ごし方も体に染み付きました。運動不足を解消するためには、かつては夜テニス教室に出掛けたり、室内でトレーニングバイクを漕いだり、色々試しましたが、結局のところ自分に一番合っているのは、ランニングだったようです。

毎日の通勤が無くなり在宅勤務になって、まず心配なのがメタボの悪化です。どう考えても、そうなるしか道はありません。食事に気をつけることは、もちろん大切です。しかし食事療法だけで問題を解決するのは、かなり困難です。炭水化物を制限する、いわゆるロカボでコントロールすることができそうですが、それで問題が全て解決するわけでもありません。

まず第一には、筋力の低下は食事療法だけでは止められないからです。筋力の低下は脳細胞の減少よりも恐ろしいほどです。日々日々、毎日の生活の中で筋力の低下による不便や危険性を痛感しています。

とにかく今まで何ということもなくできたことができなくなります。例えば瓶の蓋が開けられないとか、姿勢を保つのが困難になり、着替えの途中で転倒するなどです。本当に困りものです。

体重が増加すれば膝や腰に負担がかかりますから、腰痛が出てくるのは必定です。膝の痛みは高齢者の合言葉のようになっています。

それでも付き合っていくしかありません。若いときのように、つやつやした肌を取り戻すことができないように、中古車に過ぎない自分の体を整備・点検しながら、乗り潰すしか道は無いのです。

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